第5話 悲報

 2度目の偶然は未だに起こっていない。素敵な回想は虹の様にあっけなく消え去る。輝きが増すほどエネルギーの消費が激しく永くは続かない。


 燃料の蓄えは自己消費分でも呆気ないにも関わらず、今日という日があの占い師が言った最初の日に重なり、深憂しんゆうがエネルギーを横取りした。


エネルギー枯渇の警笛が僕の電話を鳴らせた。


「はい、品川製作所、沢村です」


 ある程度予想していたから、それが片桐からだと直ぐに分かった。昔から、そうだった。ひょっとして、と思っていると必ず片桐から連絡が入った。夫婦でもないのに。心の共鳴。


「俺だよ。今日、何の日か覚えている?」


 そんな聞き方するなよな、と心の中で呟いた。男からの質問だから何のプレッシャーもないが女性からだったら焦っていたに違いない。


「いいや。今日誰かの誕生日だっけ?そういえば、新聞休みだったかな?」僕はとぼけた。


片桐には、惚けていることが分かったらしく、少し、苛立って言った。


「バカ言うな。新聞休むのは月曜に決まっているだろ。占い師の言っていた最初の日だ。何か、嫌な予感がする」


お前は俺の恋人かと僕は関係を格下げした。

「嫌な予感とは?」

同じ考えをしていたとは言わなかった。


「それが分かれば電話はしない。忙しい社長が一介のサラリーマンに」

一介のサラリーマンはほっとけと思ったが、

「他のみんなは無事か?」


 咄嗟に出たと言う単語を使った事を後悔した。心配していた事を片桐に認めてしまった。


「今の所は」


何が今の所だよ。これから何かが起こる様な言い草だな。

「とにかく、もう切るぞ。今から会議があるから」


僕に裏切られたような寂しげな口調で返事が返ってきた。

「分かったよ。じゃあな」

分かり合えない恋人。


 電話は切れたが、気持ちは切れなかった。どうにも後味が悪い。粉薬を綺麗に飲み込む前に、オブラートからはみ出て、舌の根元に滞留し、水を飲んで流そうとしても上手く粉薬に水が届かないもどかしさだった。


 正直に不安に思っていると話せば良かったと思ったが会議の時間が迫っていたのは事実なのだ。


 会議の進行に伴い、片桐からの電話は徐々に意識の隅に追いやられていった。水が無くても粉薬は時間の経過とともに、自然と溶けた。しかし、全く、頭の中から消去されることはなかった。苦みは簡単に消えない。口内の唾液だけでは不十分である。


 会議が終わり僕は片桐、もしくは他の連中から連絡があるのではないかと電話が鳴るたびにドキドキした。


結局、その日は会社にあれから連絡は入らなかった。苦みも収まっていた。




 僕は帰宅し、当てもなくテレビをつけた。そして冷蔵庫からビールを取り出して飲み始めた。あれから、片桐からも電話がないし、他の誰からも連絡が無い。連絡があるにはあるで、気になるが、全くないのも困ったものだと思い始めると、急に片桐のことが心配になり僕は片桐の自宅の番号をダイヤルしていた。


誰かからの連絡を待っていたかの様に直ぐに出た。


「どうした?何があった?みんな無事なのか?」


そんなに質問されてもこっちから電話しているのだからまずこっちに質問させろ。


「それはこっちの台詞だ。お前がちょっと心配になって」と言って僕は続けた。「今日、おかしなこと言っていただろ」


既に冷静に戻った片桐が電話口にいた。


「ああ。確かに。心配だったが特に誰からも連絡がなかったし、あと2時間で今日が終わるので安心していた。そんな時お前から電話が来た」


 心配を振りまいたのはお前が先だろと僕は呟きながら、少し喉を鳴らした。粉薬の最後の一粒が残っていたようだ。それを飲み込んで言った。


「まあ、さすがに何も起こりそうにもないよな。そう言えば片桐、他の4人には連絡したのか?」

「いいや。今朝、お前に電話しただろう。あれから考え過ぎかと思い、やめた」


「実は、俺も本当は不安だった。朝の電話では平静を装っていたけど・・・」

「分かっていた。だからお前に電話した。お前もあの日、何か思うところが有りそうだったし」間を置いて片桐は続けた。「平静を装っていたって言うが、真っ裸だったぞ」


僕は正直に打ち明けたお陰で今回のことが一層馬鹿馬鹿しく思えてきた。


 あのインチキ占い師に1週間も不安に思わされたことが腹立たしく思えた。互いに話すと不安が増すものばかりだと思っていたが、全く反対であった。


 まあ、今日が後2時間もない事実も手伝っていると思うし、お互いもう帰宅しているわけだから大地震か火事でも起きない限り何の問題もない。


 僕は電話を切り、風呂に入って寝ることにした。結局占い師の言った最初の日には何事も起こらなかった。


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 それから3日が経った。僕はいつもより早く仕事から帰宅した。こんな時は決まって自炊することにしている。今夜の献立にスパゲティを考えていた。スパゲティはカレーと並んで献立の人気ベスト3にランクしていた。


この2つに関してはそれなりの拘りを持っていたのでレトルトは使わない。


 先ず、パスタ用の鍋に浄水器から水を入れ、そこに塩を少々加えてコンロの上に備えた。


今日のスパゲティはミートソース。


 冷蔵庫から出しておいた挽き肉に塩と胡椒をまぶしてそれを揉んだ。挽き肉は未だ冷気を保ちひんやりとしていたが、練り込んで行くと挽肉の温度が徐々に僕のそれに歩み寄った。


 冷蔵庫を開けニンニク、玉葱、唐辛子を取り出し玉葱をみじん切りにした。必要以上に細かく、そしてニンニクは必要以上に大き目に刻んだ。


 刻み終えるとそれを厚手のフライパンに移し、ニンニクと唐辛子にオリーブオイルをに、ガスに火を着けた。と、それから、パセリを求め冷蔵庫を覗く。


 パセリより先にセロリが挨拶をする。そうだった、セロリも入れないと。パセリを求めてセロリ会う。肝心のパセリとは縁がない。パセリの香りは譲れないがセロリの顔を立てるか。僕の拘りはこの程度なのだ。


 フライパンからは、ニンニクの香ばしい匂いとセロリの独特の香りが胃袋を刺激させ始めた。


 ニンニクと玉葱が狐色になると先程揉んでおいた挽き肉をフライパンに移した。挽き肉の色がどんどんとサーファーの肌のように変わって来た。そこに赤ワインを加え、挽肉が波乗りを始めた。最近は、フライパンの扱いにも慣れてきたので、波を捕まえるのが上手くなった。


 ワインのアルコールが抜けるのを嗅ぎ獲り、トマトソース、ドライトマトを加え弱火で10分ほど煮込む。その間にスパゲティを計量し、塩水の入った鍋に火を着けた。


 10分程経って、今度はフライパンに、ウスターソース、醤油、バジリコ、マジョラム、ナツメグ、そして、おまじないとして、ローレルを一枚加えた。後は、再び15分程煮込むだけだった。


 先程の塩水が沸騰し始めたので、試合前のボクサーの様に計量を終えたスパゲティを鍋に入れた。


 スパゲティは水を与え過ぎたサボテンの様に直ぐに硬さを失って行った。僕はソースを混ぜながら時間を潰した。お腹の虫も鳴き声を荒げ始めていた。


『よしっ、出来た』腹の虫に言った。スパゲティとミートソースをお皿に盛り冷蔵庫からビールを手に取った。


テレビはバラエティー番組に変わっていたが、他の番組をチェックする前にスパゲティの出来栄えを確かめたかったのでチャンネルはそのままにしておいた。


味の方は満足できた。採点に評価基準はなく、とっても甘めである。


 採点と解説に違いはあるが、解りやすく説明するために、言うと、サッカーの解説でお馴染みの松木安太郎氏のような感じで採点している。


 料理に時間が掛かった割にスパゲティは直ぐに無くなった。腹の虫も泣き止み眠りに就いたので起きないようにビールで酔わし、止めを刺した。


 夏空の雲の様にまばらに残ったミートソースのお皿と軽くなったビールの缶を持って重みのある缶を取りにキッチンに向かった。


『うーんナイスショット! うーんナイスショット!』


 腹の虫は眠っていたが、こいつは眠る事が無い。ただ、役目を果たしているのに、八つ当たりをされる。いや、因果なである。片桐の言う通り携帯に支配されている。


 手に持っていたお皿と缶をキッチンにおいて音の鳴る方へ急いだ。最上からだった。

「はいよ」

「沢村!」


 着信画面は最上からだと告げていたが、携帯から流れてくる声は一致していなかった。でも、どんな状況でも携帯の画面は冷酷にその相手を確実に通知する。と名付けられる由縁ゆえんである。


「どうかしたのか?声が変だけど」

しばらく最上から返事が無かった。


「佐久間が、佐久間が、死んだ・・・」


 僕は何を言っているのか全く理解出来なかった。一杯しかビールは飲んでいなかったにも関わらず。


「最上ちょっと待て。今何て言った」


「佐久間が逝ってしまったのだ!」

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