二十二

 スーツと革靴とかばん。すっかりきれいになっていた。そういえばまだこの謎は解けない。これからの状況によっては美園さんにゆずることもあるだろう。男物だしサイズも合わないけど。


 文書整理の仕事は多忙を極めた。想定通りだった。同僚や部下たちの増員要求をおしとどめつつ、そういう要求があるという話だけが上層部まで届くようにする。

 コームイン殿は自分の手柄のために必要な人員増を握りつぶしているらしい。そういう噂が立てばしめたものだった。

 上層部の貴族からの呼び出しと叱責があってから、文書管理者養成のための機関設置の提案書を出した。これであくまで物事を進めるのは貴族たちという形になった。こうなってしまえば止めようとすれば貴族議会に恥をかかせることになる。


 学校はトリナ姫が担当することになった。また、一般市民からも学生が募られた。健は文書管理の教科書の一部を書いた。


 王国連合は発展している。魔王の領土の豊かさは予想を超えていた。これはすこしまずい。豊かになりすぎると現状変更の力が働きにくくなる。


「コームイン殿、使えそうな学生はいるか」

 お茶に招かれた。こんどはトリナ姫と二人きりだった。いつもと服の色がちがうが触れなかった。

「はい。思ったより多数」

「それはよかった。楽になるな」

「これも姫様のおかげです。学校運営へのご協力には感謝しております」

「しかし気になる点もある。貴族の子弟の割合をもうすこし高めたいのだが?」

「文書管理についてはそうはいきません。書類戦の重要性は魔王との戦争でおわかりのはず。こればかりは実力によらないと国が傾きます」

「それはそうだが……。このままでは重要な機関に一般市民が入りすぎる」


 健は考えるふりをした。


「では手を打ちましょう。自由に考えて行動する余地を狭めます。常に書類によって動き、だれがどこでなにをしているか明確になる強固な組織とします」

「やってくれるか」

「はい。ただ、それにつきましてはサナルカ姫様のご協力もお願いしたいのですが、いかがでしょう?」

「そうだな。姉上は貴族議会に知り合いが多い。組織改編では力になってくださるだろう。よし、話をしてみよう」


 頭を下げた。


「そのようにせずともよい。ところで、腰痛の具合はどうだ?」


 ところで?


「おかげさまで軽くなっております。新しい椅子をありがとうございます」

「いや、かまわんよ。で、薬はまだ塗っているのか。呪術医にはいまも通っておるのか」


 そういうことか。そこを疑っているのか。いや、そう思わせておいたほうがいいか。

 そう思わせておく? それが自分の本当の心か。わからなくなった。


「通っております」

「いつまでたっても治らないのか。医者を替えたほうがよいのでは?」

「お心づかい、ありがとうございます。ただ、ほとんど治っております。もう終わります」

「そうか。では仕事に集中できるな」

「ご心配をおかけしております」


「ところで、だ。おまえの身分についてだが、そろそろはっきりさせねばなるまい。城に出入りする立場でありながら十年の放置は長すぎた」

「わたくしは文書管理者です」

「そうではない。家柄だ」

「たしかにわたくしには家はございませんが、それはやむを得ない例外としてご容赦ください」


 トリナ姫は顎をなでた。


「いや、これは姉上のお考えなのだ。コームイン殿は家を創始すべきだとな」


 頭のなかをさまざまな考えがめぐった。コームイン家として貴族になった場合の有利不利、これからの計画に及ぼす影響、いや、これは固辞しなければならない。


「ありがたいお考えですが、これは即答いたしかねます。ご猶予をいただきたい」

「あいまいな答えはよせ。断るということだな?」

「はい。先ほど十年は長い、とおっしゃられましたが、むしろ短すぎます。仮にわたくしが国外から放浪してきた者だとして、十年程度で貴族にするでしょうか」


 姫は笑った。


「おなじだな。わたしも姉上にそういったのだ。早すぎると」

「せっかくのお話、誠に申しわけございません」

「よし、そう話しておこう」


 風でドレスが揺れた。会話を変えるきっかけにしよう。


「今日はお色がちがいますね」


 緑だったが深みがあって、角度によっては黒っぽくも見えた。


「なんだ、いま気づいたのか。それとも話を変えたくなったか。そう、もう桃色はしばらく使えない。結婚するからな」

「これは……。おめでとうございます」

「魔王の領土を共同開発することになって、そこの次男とだ。父上が決めた。正式発表はあさって。でも服の色を変えたからみんなわかっているけどな」

「お幸せになられますよう……」


「心にもないことをいうな」さえぎられた。


「いいえ。城にいる者は皆市民の幸せのために行動しなければなりません。そうであるから支配が許されているのです。姫様の婚姻により国はさらに豊かになります」

「そのくらいわかっている」

「これは失礼を……」

「いちいち失礼というな」またさえぎられた。「自分の立場は承知している。今日おまえを呼んだのは、それでも自分の口でいっておきたいことがあるからだ」


 目がうるんでいる。


「それは口にしてはなりません。お心に秘めておかれますように」


 トリナ姫は下を向いてしまった。


「おまえは正しいことばかりいう……。お茶の時間は終わりだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る