二十
魔王と鬼の軍は三日はもった。四日目、すべてが終わった。
さすがに味方の損害は少なくなかった。遺体も遺品も回収できず、戦死が記録のみという兵もいた。
しかし、勝利した。それは揺るがしようのない事実だった。
なのに、喜びの感情を大きくあらわす者はいなかった。みんな肩を抱きあって、静かに微笑むだけだった。
それからさらに三日間、兵たちは魔王の山城の封印作業を行ってから帰国の途についた。
「明日は国だな」
テントは暖かかったし、食事は満足できるものだった。でも、司令官や副官たちを伴った宴は終わっていたので、姫がなぜ自分を呼んだのかはわからない。
「はい。これで一段落です」
「文書管理はこれからが大変なんじゃないのか」
「ええ、でも遠征に比べたらなんでもありません。慣れた仕事ですから」
茶かと思ったら酒が垂らしてあった。甘い酒だった。
「そうか。で、そうやってずっと書類いじりか。爪の先までインクに染めて」
「やってみると悪いものではありません。書類戦の文書、いろいろな記録、報告書、紙をめくって読みながら検索札をつけているとこの世の構造が見えてくるんです。いい気分ですよ」
「どんなふうに?」
「ちょうど、高い山から見下ろしている感じです。けれど景色だけじゃない。過去という時間をも超えて見渡せるんです」
「書類管理にそんな部分があるとは知らなかった。神の視点か」
「罰当たりを承知でいえば、もっと上です。だって、神だって文字で記載されてるでしょ」
トリナ姫は笑った。
「おまえ、酔ったな。甘いから油断したんだろうが、これはかなり強いのだぞ」
「これはご無礼を。そろそろおいとまします」
「いや、帰さぬ。今夜は本音を聞きたい。前に感情的になったが、ああいうおまえをもっと見たい。さあ、話してくれ」
「なにを、でしょう」
「なんでもいい。じゃあ、帰ったらまずなにをする?」
揺れる灯りをうつす目が健をじっと見ている。
「約束を果たします」
「『指切りげんまん』か」
「よく覚えておられますね」
「そいつを守るのか」
「針千本ですよ。破ったら大変だ」
「子供の遊び歌なんじゃないのか」
「そうですけど、そうじゃないんです」
ちょっと考える顔になった。
「おまえ、ノノミヤ・ミソノのことをどう思っているのだ?」
「どう、とは?」
いきなり立ち上がると椅子を引きずってきて健の左に座った。肩が触れる。もってきたカップの中が見えたが。健の茶とは色がちがう。垂らすどころかいつのまにか酒だけを飲んでいたらしい。
「とぼけるな。では問いを変える。わたくしとあの娘とどっちといるのがいい?」
「いい?」
「わたしと話しているとき、なにを感じる? いまはどうだ?」
「刺激的です。知的に戦っている感じがします」
なぜか、姫の顔にちいさな失望が浮かんだように見えた。しかし一瞬だったのでよくわからなかった。
「あの娘とも戦うのか、その、知的に」
答えに詰まった。考えたこともなかった。けれど、トリナ姫にとっては黙ってしまったというのが回答になったらしい。
「おまえ、もう三十近いんだろう?」
姫はかなり酔っているし、からむ傾向があるようだ。
「そうですね。もう手が届きます」
「いつまで独りでいる気だ」
「いやあ、わかりません。わたしはこの世界のふつうの人間ではありませんし、顔立ちや体つきからして違いすぎる。ずっと独りかもしれません」
「この国にいるのは出自や外見で判断する者ばかりではないぞ」
「それはそうでしょうが……」
「たとえば、だ、おまえの知性や判断力を評価する者だっている。すぐそばにな」
目を見た。揺れているばかりではなく、うるんでいた。
「姫様。さしでがましいようですが、そろそろお控えください。そのお茶はたしかにとても強いようです」
「これは茶がいわせているのではない。わたくしがいっているのだ」
肩にすがってきた。自分の立場としてはふりほどかなくてはならない。
「ここにきて、これほどうれしいことはございません。認められるとはなんと清々しい気分になれるのでしょう。姫様。お言葉感謝いたします」
そういって、白い手を静かに肩からはずした。「しかしながら……」
「コームイン殿はなぜ泣いておられる」
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