十六

 国王連合の境界を出て、竜骨平原に入るまでは窮屈だった。軍や兵器の移動には細かな制限がある。これが人間の国家間の戦争を実質不可能にしているとはいえ、面倒なものは面倒だった。

 しかし、いまやすべての武装は封を解かれ、行軍は堂々としている。部隊は前の戦いで放置された鬼の死骸を踏み越えて進んでいった。「やつら、弔いもしやがらねえ」「そりゃ鬼だからな。やっぱり野蛮な獣なんだ」「ま、共食いしてないだけましさ」


 この平原を抜ければ魔王の本拠がある山岳地帯になる。今度はそこが主戦場になるとみられていた。そのため馬や車は護衛をつけて平原にのこし、精鋭の戦闘部隊が進攻する計画だった。

 つまり、なんの奇策もない正面から挑む戦いだった。王や参謀たちは魔王の残存戦力を見積もり、戦費と時間を最小にする計画を練った。それがこれだった。一気に叩き潰す。


 そして、農民から徴募された兵士は護衛と土地の調査を兼ねる。一帯を農地として利用可能か、植民可能かどうかを調べる。かれらは通過する土地を見て目を輝かせた。黒く肥えただれのものでもない地面が拡がっている。それがあの山の魔王を倒せば手に入るのだ。


 文書管理者はそれぞれの馬車で最終確認を行っていた。過去にこの平原や山に関して出された文書の再調査だ。文面を暗記するくらい読みこんだが、それでも書類戦に備えて備忘録を取っている。書類は新たにつけられた検索札でずっしりと重くなるほどだった。


 ただ、この遠征にはひとつだけ、通常とは異なる点があった。


 隊列の中央付近、司令官の後ろに桃色の装飾がはいった馬車がついていた。紋はトリナ姫だった。情報参謀とのことだった。


「コームイン殿、夕食にお招きする。仕事と思ってほしい」


 さすがに軍事行動においては遠慮したのか、露営のテントは司令官より小さかったが中は暖かく快適だった。城の部屋と変わりないくらいだった。


「お招きありがとうございます」

「かたくるしい礼は抜きだ。すまんが食事をしながら仕事にしよう。報告を」


 頭を切り替える。


「はい。山での戦闘において、敵軍の手を封じるべく過去の書類を調べておりましたが、めどが立ちました」


 姫はうなずいて肉をほおばった。ここでは多少のお行儀悪さは許されるらしい。


「魔法の使用を禁止とする申請を行います。名目としては資源となる森林保護です」

「却下されないか。全般的に保護、というのは漠然としすぎているだろう?」

「はい。そこでまず魔法の種類を限定します。禁止するのは炎と氷、木を燃やすか破裂させるという直接的被害を与えるものです。それと、期間もです。秋冬のみとします。これで名目がたちます」

「たしかに、過去の戦いではその種の魔法が攻撃に使われていたな。で、魔王はどう反論すると見ている?」

「魔法の使用につき、間伐など管理のための使用という例外を設けるよう働きかけるでしょう」

「それに対しては?」

「根拠を求めます。間伐なら計画があるはずで、そこらで無制限に炎や氷を撃つのは違うでしょう。出せなければ異議申し立てをして却下させますし、出せばほんとうにそんな計画的使用ができるのかさらに問います」


 食事がすむと酒が出た。「よろしいのですか。進軍中ですが」「細かいことを。ほんのちょっとだ」笑って飲む。今夜はご機嫌だった。


「それにしても考え抜いてあるというわけか。よくやった」

「無論、油断はしません。魔王もこれが決戦であるとわかっているはず。むしろ必死さはあちらの方が上でしょう」

「その通りだ。わたしが来たのもそこにある。情報参謀として戦訓はすべて浚ってある」


 また飲んだ。強いな、と思った。一息であけてしまう。

 と、思っていたが頬と首筋が染まってきた。そろそろお暇した方がいいだろうか。そう思って腰を浮かせながら口を開いた。


「まて。そうあわてるな。ちょっとつきあえ」


 まずい。逃げ遅れた。


「ノノミヤ・ミソノについて聞きたい。あやつ、恐ろしい女だな」

「恐ろしい?」


 すると、隠しから書類を取りだして読み始めた。『指切りげんまん』だった。


「どうも契約を強制する呪文らしいが、指を切る、とか針を千本のませる、とかこれは拷問ではないか。いやしくもおまえは王室の文書管理者だろうに、そのようなことを強制するとはなにごとか。手は出せぬから放置してあるが、おまえ、今後の付き合いを考えたほうが良いのではないか」


 どうしよう。健はこれから説明しなければならない膨大な内容を考え、暗澹とした。

 それに、情報参謀殿は酔っているし、あまり良い酔い方でもない。


 夜は長くなりそうだ。小さくため息をついた。

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