九
仕事よりも疲れた、と今日を思い出し、ベッドに横になった。寝る前に塗った薬がちょっと臭う。心の中のお茶の香りが台無しだった。
あの姫姉妹、とくに姉の方は油断ならない。この城で記録を見なおすという行動に出られるだけでも大したものだ。ここの連中はその場限りのつじつま合わせの書類を作ってはそこらに放りだしておく者ばかりだと考えていたが、野々宮さんにいわれたことや、サナルカ姫のような人物がいるとなると、いつまでもごまかしきれないと思っていた方がいいだろう。
ただ、そうなると野々宮さんが心配だ。ぼくは文書管理という替えがきかないうえに重要な技能を持っている。なにかあっても取引できる。でも先輩、いや、美園さんは?
よし、もっと情報収集に本腰を入れよう。だれがなにをどこまで知っていて、これからどうしようというのか。それと、もっとここについて知らなくちゃ。記録だ。記録を調べるのだ。
これは戦いだ。ぼくが、いや、ぼくと野々宮さんが生き残るための。
しかし、先手を取ったのは王だった。翌朝、呼び出しがかかった。
仕事着がいいだろうと思い、スーツに着替え、かばんを持って王の広間に行った。途中なんども衛兵の誰何を受ける。ぼくだとわかりきっているのに権威を見せびらかしている。
王の広間は城でもっとも眺めがいい。領土のすべてを見渡せる。拡大視の魔法を使えばそれこそ店の値札もよめるだろう。
ぼくは玉座の正面、控えの円陣内に案内された。そこで待つように指示される。人を呼びだしておいて待たせておけるのもまた王の特権だ。
しかし、お出ましは意外と早かった。指二本幅もたっていない。
王は恰幅のいい老人で、持てる財産を象徴するような衣装だった。そのわりに身のこなしには気取ったところはない。さっさと出てきて廷臣たちの挨拶に答えるのもそこそこにすぐに玉座についた。飾りや金糸が重そうだ。
そして、おどろいたことに、王が座るとすぐに姫たちも出てきた。王の左手に姉、右手に妹。おなじく重そうな服。これはなんだ? ぼくはただ頭を垂れて膝をついていた。
「頭を上げよ。急な呼びだしだが、よく応えてくれた。おい、だれかこの者に腰休めを与えよ。腰痛に悩んでおると聞いたぞ。若いのに座り仕事ばかりのせいかな」
そういって笑う。音もなく座椅子のような背もたれ付きのクッションが運ばれてきた。脚がないので座っても目の高さは低いままだ。これも狙ってのことだろう。ぼくは待った。ここでは先に口を開くなど許されない。
「コームイン殿、宴の時にも話したが、そなたの働きには感謝しておる。書類戦では負け知らず。おかげでわが軍の損耗はつねに最小限。敵はほぼ壊滅。わたしがこのように安穏としていられるのもひとつにはそちあってのことだと思っている」
王がぐっと身をのりだす。まだ口を開いてはいけない。
「そして、書類が整ったせいもあり、人間同士の戦争は実質不可能となっている。これもおまえがこまごまと申請を行ってくれた成果だ」
まわりの廷臣たちが同意のため息を漏らしている。戦いを直接禁止できなくても、軍の移動や兵器の運搬に制限をかければ大規模な争いはできなくなる。いまでは道という道、畑という畑、町という町で武器の運搬には創造主によるきびしい制限がかかっている。
「そしていよいよ人ならぬ魔王ですらその軍を失った。もはやわれらに恐れるものはない……、とばかりもいっておられぬ」
ぽん、とひじ掛けをたたく。
「これから始まる平和の時代、人口は増え続けるであろう。つまり、養わねばならぬ口が増えるということだ。しかし他国に向かうことはできぬ。ならば空白地帯だ。魔王の支配する領土こそ、つぎにわれらが向かうべき土地だと思うが如何に?」
ようやく話すお許しが出た。
「はい。身にあまるお褒めのお言葉、感謝いたします。わたくしの働きが王家とお国のお役に立てたとあらためて知り、震えんばかりの光栄に存じます」
まずは内容のない返礼をならべ、その間に返答を考えた。
「また、空白地帯への進出、わたくしの言葉などに意味があるかはさておき、大いに賛同いたすものであります」
「よくぞ申した。して、進出についてはそなたももちろん力を貸してくれるな?」
「は。及ばずながら」
「よし。そこでだ。わたしは常に身の回りをきれいに保っておく性分でな。そなたについて疑うところはほとんどないのだが、この城には細かいことにこだわる者もおる」
左手をちらりと見た。
「おまえについてただひとつ納得のゆかぬ点は、ふつうに母から生まれたのではないということだ。とつぜんここにあらわれた。もう十年かな? あっという間だな。これについてそろそろ真実をきかせてほしい。言葉も流暢になったゆえ、もう誤解なく話せるであろう?」
腹に冷たいものを差し込まれたようだった。それでもよどみなく答えなければならない。
「お答えいたしますが、いままでと変わりございません。わたくしにはわからないのです。突然ここにいました。以前は覚えておりません。思い出そうとしてももうろうとするのです。深い霧がかかるのです」
王は腰掛けなおした。じっとこちらを見ている。
「ほう、そうか。霧か。ではその霧、晴らしてやろう」
その言葉と同時にわきの扉が開き、衛兵にはさまれてだれかが連れてこられた。ぼくは声を上げるのをがまんした。ぼくのせいだ。
野々宮さんだった。
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