八
ちょっと不満げな美園さんと先生にお礼と別れを告げ、急いで城に帰った。途中で馬車か荷車にでも相乗りさせてもらおうと思ったが、そういうときに限ってだれも通りかからない。
城に帰り着いたときには日はお茶の時間を過ぎていた。召使たちがこっちを見て非難がましい目をしている。それはそうだ。姫様を待たせてしまったのだ。
それでも親切な下働きが、まだ間に合うと教えてくれた。中庭とのことだった。これから行くと言づてを頼んだ。
ぼくは部屋に飛びこむと大急ぎで街着をお茶の服に着替える。状況ごとに服がある。ほんとにややこしい。
衣装だんすではスーツもゆれていた。シャツにネクタイ、かばんと革靴もおいてある。いずれももう新品のように回復している。あんな泥だらけの戦場を歩いていたのに、こうして休ませておけば買ったばかりのようになる。なぜかわからないけど助かる。
たいせつなスーツだった。ぼくが創造主に認められる書類を作り、ハンコを押せるのはこれを着ている時だけだった。ここの服を着てなにか書いてもただの紙切れにしかならないことは実験済みだ。これもなぜかわからない。もしかしたら物事の本当の主役はこのスーツとかばんと革靴なのかもしれない。
ぼくは頭を振った。とにかく急ごう。ぼくは中庭に早足で向かった。
中庭に出ると姫様専属の召使が近寄ってきた。肩の紋からすると姉のサナルカ姫の方だった。あれ、今日のお茶の主催は妹じゃなかったっけ?
めんどうな儀式的やり取りに遅参のおわびが加わって、あちらに見えている丸テーブルの所に行くまで五分ほど待たされた。
二人は日覆い付きの小さい丸テーブルでお茶とケーキを楽しんでいた。ぼくの席はサナルカ姫の正面だった。トリナ姫は右手側で、ふたりともすっきりしたドレスだった。姉は明るい青で、妹は朝より地味目の桃色だった。
「お忙しいところ申し訳ございませんが、魔王軍壊滅にお力をふるった方をねぎらわせていただきたくお誘いいたしました。どうかごゆっくりお茶をお楽しみください」
サナルカ姫がいった。
「お誘いありがとうございます。微力ながら王国の御為に働けましたことを誇りに思っております」
召使がお茶を注ぎ、菓子を取り分けてくれた。さっきの薬とは大違いの良い香りがする。
「さあどうぞ、とても良い葉ですよ」
一口飲む。たしかにすばらしい。
「あら、お砂糖は?」
トリナ姫が砂糖壺を指した。花の飾りがついていた。
「ありがとうございます。しかし、甘みは菓子がございますので、このお茶には用いません」
「それごらん、トリナ、コームイン殿は味がわかる方よ。おまえのようになんにでも砂糖は入れぬとおっしゃるよ」
そうして口を隠して笑った。透明な感じがした。そして、妹より緑が濃い目でこちらを見た。
「それでは菓子もどうぞ。茶に合わせて作らせたものです」
四角く、苔のような緑をしているが、もちろん抹茶味ではなかった。ふわっとした舌触りでチョコレートのようだが、もっと後を引いた。そこに茶を飲むと味が変化する。追いかけようとするが追いつけなかった。
「姉様、あのお顔。菓子に魂を盗られてしまったようです」
また笑われたが、不快ではなかった。
「なんと愉快な方でしょう。こんなことならもっと前にお誘いしていればよかった。トリナ、おまえは知っていたのかい? これほど味の分かる殿方がいらっしゃるなんて」
「いいえ、お姉様。やはり創造主様のお遣わしは舌の出来も違うのでしょう」
「お遣わしなどともったいない。しかしこのお茶と菓子の味はわかりますし、お二人のおもてなしの暖かさもわかります」
「お上手だこと。天からのお遣わしでないとすると、よその世界からですか。ニホン、とかいう? こちらにあらわれたばかりの時の証言を集めた記録を読みましたが、その単語が頻出します。わたしはあなたの世界を表すとみていますがいかがでしょう?」
「いえ、記録に意味などございません。あの時は混乱していたと思います。ちょうど頭を打った兵士のようなものでしょう」
笑顔を絶やさないように。
「ケーサツという言葉もたくさんありました。身振り手振りでなにかを伝えたいか、伝えてほしそうだったとありましたが?」
「さあ、まったくわかりません。よく覚えていないのです」
サナルカ姫は鋭すぎる。そしてその鋭さで突きさすことをためらわない。目をそらしてはいけない。ちょっとした変化でも情報を与えてしまうだろう。あくまでお茶の時間をおだやかに楽しむのだ。
それにしても、こうなるとこっちに来た時になにも持っていなかったのがかえって幸いに思えてきた。あのスーツやかばんだってぼくのじゃない。名前やブランドすらついていなかった。
「お姉様、ねぎらいのお茶ではなかったのですか。お尋ねばかりで困ってらっしゃいますよ」
「おや、トリナのいうとおりですね。ご無礼をいたしました。わたくしのいけないところですわ。不思議なことが我慢できないんですの。解き明かしたいっていう気持ちが抑えられなくて。お許しくださいね」
「いいえ。わたしはなんとも思っておりません。それよりもこのようなすてきなお茶会に誘われ、仕事をいっとき忘れられましたことを感謝しております」
「ああ、世の中の殿方がすべてコームイン殿のようであれば良いのに。さすれば争いごとなどなくなるであろうにな」
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