第5話

 吹 雪  3


 そのように雪の精は、呪文でも唱えるように三度繰り返しました。すると、どうでしょう。健太が折ろうとしていた一枚の紙は、すぅーと大きくなっていくのです。そして、ちょうど畳二畳ほどになると、雪の精はまた唱えました。

 「かぁーみよ、かぁーみ、この子のため止まれやホイ。」

 雪の精が唱え終わると紙の大きさもそこですっと止まりました。


 「この紙に乗って、これから健太くんの大好きなお父さんとお母さんのところに行きます。わたしが連れて行ってあげます。健太くんは、そこでお父さんとお母さんと一緒にいっぱい遊びなさい。でも、ひとつ健太くんにお願いがあるわ。お父さんとお母さんのところに行っても、必ずここに戻ってくるのよ。それもね、お陽様が海の彼方の水平線に昇る前に戻ってくることを約束して頂戴。どう、それが、健太くんにはできる?」


 健太は、目を大きく開いてこたえました。

 「できるよ。お父さんとお母さんにあえるなら、ぼくは何でもできるよ。約束するよ。必ずここに戻ってくると。」

 「そう、やはり健太くんは偉いのね。それでは健太くん、その紙の上に乗ってください。それから、おばあさんにご挨拶をしなさい。」


 健太は、そう言われて、炬燵の横の二畳ほどに大きくなった紙に乗りました。それから、そばにいるおばあさんを見ました。おばあさんは、相変わらず炬燵に足を入れて、畳の上に横になってすやすや気持ちよさそうに眠っています。健太は、おばあさんに挨拶をしました。


 「おばあちゃん、これから、お父さんとお母さんのところに行ってきます。夜明けまでには戻ってきます。ですから、目が覚めてぼくがいなくとも心配しないでください。」

 部屋の壁際にある健太の机には、健太が赤ちゃんの頃に写したお母さんに抱かれている写真が置いてあります。健太は、それに目を配り、「ああ、はやく、お父さんとお母さんにあいたい。」と呟きました。


 「どう、もう挨拶は終わったの。そう、それではこれから出発だわ。かぁーみよ、かぁーみ、この子のために、とーべやホイ。」


 そう雪の精が呪文を唱えると、健太の乗っていた一枚の紙は、ふんわり畳の上に浮き上がり、ゆっくり空間を漂ってそろそろと雨戸のほうに移ります。それから、雨戸がすっと開かれて夜の外に出ました。健太はハッと驚きました。そして大きく目を見張りました。それは、先程まであんなに吹き荒れていた風も雪も海鳴りも、すっかりんでいたからです。


 そのかわり、外は、白一色の銀世界でした。庭も、野原も、野原の向こうの砂浜も、それから家の背後の森も、白い雪景色となって静かに眠っています。健太は首をあげて夜の空を仰ぎました。明るい夜の空には、きれいな星がいっぱい輝いています。健太の丁度真上のあたりでしょう、無数の星を散りばめた天の川が、いま、静かに眠っている大地の上に、「さあっと降り注いでいます。(註1)」


 健太は、思わず呟きました。

 「きれいだなぁ、なんてきれいなんだ。」

 オリオン星座が、中天の右下のところで七つの光を放っています。すると、健太の気持ちに唱和するかのように雪の精が言いました。

 ひーとつ、ふーたつ、三つの四つ、五つの六つの、七つー、さあ、出発だ。あのオリオンの星座に向かって、かぁーみよ、かぁーみ、この子のために、とーべやホイ。」(註1)川端康成著「雪国」より。

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