8
木々の少ない開けた場所から、今はない故郷を見下ろした。陽が落ち暗い中に、松明がぽつぽつと浮かんでいた。
不知火と父親がどこへ消えたかはもうわからなかった。故郷に背を向けて目を閉じると、祭囃子がほんの微かに聞こえてきた。でも、近づいては来ない。様子見のように、遠くの方で舞っている。
不知火はどうしているだろうか。早く会いたい、彼には伝えなければならないことがある。そろそろ実を吐かせて欲しいのだが、それにしては。
耳をすませ、遠くの囃子に集中する。廻る律動の中に、ぼんやりと不知火の声が聞こえている。私を呼んでいる、ような気がする。ここにいると、すぐに戻ると、伝えたいのだが方法がわからない。
「……、俺を戻す気、なかったんか」
私のやっていることは、人の身分を越えている。相容れない異形を追い詰めたあの長のように、深入りする人間を異形たちが疎ましく思っても、不思議ではない。
山の中を歩き始める。どうにかして戻る手立てはあるはずだ。一先ず祭囃子に近付くことを考えよう。今の私は、魂のような存在だろうか。なら飛べるだろうか。不知火の父の記憶からは離れた方がいいかもしれない。囃子には他の異形、例えばあの大きな鳥の記憶もあるだろうし、いくつか辿っていけば何かしらの手段は。
『春之介さんは、本当に色々、考えますね』
立ち止まって振り向いた。特に何も見当たらず、困惑するが声は続いた。
『いつかの恩が、やっと返せます』
「……、あなたは?」
『ほんの小さな加護ですよ。あなたたちの役に立つ時が、来るかもしれないと言ったはずです』
はっとした。腹に手を当てると、あぶくのような音が響いた。
「蛇の神様?」
ぼこぼことした笑い声が聞こえる。途端に景色が一変した。故郷の山々が遠ざかり、黒い闇の中へと放り込まれた。
記憶を辿る前にいた場所だ。通路みたいなものだろうか。祭囃子は近付いたが、どちらに向かえばいいかはわからない。
考えようとした瞬間に、遠くで何かが揺らめいた。先程見た、松明のように小さな灯りだ。
『あそこに、向かってください』
「あれは……命の灯火か、その類の何かですか?」
いいえ、と蛇の声は笑いを含めて言った。
『本当は海の上にいる異形ですよ。不知火と呼ばれてるものです、春之介さんたちに、恩のようなものがあるみたいですね』
ああ、と声が漏れた。蛇も、炎も、ひどく懐かしい。
『さあ、早く』
声に従い、炎に向かって進んだ。段々と大きくなる炎は力強く、闇に飲まれず燃えていてくれた。辿り着いて触れても熱くはない。一際大きく輝いて、眩しさに思わず目を閉じた。
体が引っ張られる感覚があり、祭囃子がすぐそばで聞こえた。目を開くと白かった。戻れるのだと実感した後、無意識に口が開いた。
「二人とも、ありがとう」
炎と水の音が同時に聞こえた気がしたが確認する暇もなく、白さの中に消えていった。
直後に、胃が捩じ切られるような激しい痛みが広がった。
「うっ……ぐ、うぇ、」
胃液が喉を逆流した。堪え切れずに咳き込んだ瞬間に、胃の中身をぶちまけた。
そして景色が一気に変わり、私はがばりと身を起こした。周りには燃える森が広がっていた。
「ハル!」
不知火が飛びかかるように抱き付いてきた。それでまた咳き込み、口に残った胃液が落ちた。人の形になっているため、髪の上にこぼしてしまった。
「不知火、すまん、髪に……」
「大丈夫だったか? 痛く、ない? 加減したから、傷にはなってねえと、思うんだけど」
「痛くないよ。遅なってごめんな」
加減のために人になったのかと思いつつ謝罪を重ねる。それから一度抱き締めるが、すぐに離した。
私の用事はここからだった。
「不知火、俺の食うて吐いた実は?」
「え? これだけど」
不知火は掌を開き、紅い果実を見せてくれる。少し溶けたのか形が歪で、私の唾液まみれだったが、ほっとした。つまんで持ち上げると、ひくひく震えた。
『な、なに、きみを閉じ込めようとしたのは、ぼくじゃないよ……』
「わかっとる。そんなもんはええよ、それよりも教えてほしいことがある」
『えっ、でも、いっぱい、見てきたんじゃ』
「俺にやない。不知火にや」
「おれ?」
「説明する。ええと、果実くん、きみもとりあえず、聞いてくれ」
不知火は驚いた顔をしつつも素直に首肯し、果実は震えつつもわかったと言った。
果実は不知火に持ってもらった。二人の前に座り直し、汚れた口元を拭ってから、あらためて記憶を思い出した。
クロさんと深冬さんは、確かに二人の子供を作った。共に夜を過ごし、そばで暮らした。
ただ、人間や動物の行う、交尾の類ではなかったのだ。
「不知火のお父さんは、お母さんの腹に手を当てて、力のようなものを送り込んだんや。それで、不知火、あなたが出来た。お父さんがどうやったんか俺にはようわからんかったけど、異形が次の世代を作る時の、
不知火は掌を覗き込む。見つめられた果実はちょっと飛び上がったが、わかる、と震えつつ呟いた。
『でも、でもね、黒の山神のは前例がないもので、本当は、ぼくたちのどれかを、依代にするんだよ』
ぼくたちに反応したのか、焔の大木から無数の糸が降りてきた。蓑に包まれた果実たちは、掌の上の果実のように、微かに震えていた。
『それに、それにきみは男性だから、お母さんのようにはできないよ。だから』
「いや、それもわかっとる。そしてこの相談は、きみらにも悪い話やないやろう。不知火の……黒い山神の廻る先を作って、俺らが育てるって話をしとるんや」
「でもハル。その通りにやったらさ、おれの子供ではあっても、ハルの子供では、ないだろ」
不知火が不安げに聞いてきた。頷いて肯定してから、そうでもないと、すぐに否定した。果実が飛び上がり、蓑たちはさっと引き上げる。勘が鋭くて、何よりだった。
「果実くん。きみ、俺の中にしばらくいたやろ」
『……うん』
「ちょっと溶けてもうてるしな。なんにせよ俺は、君を腹に飼えるんやないかなと思うてな。臓器の問題はあるけども、まあ、うまく切開すれば、出せるやろ」
『ちょ、えっ、本気で言ってる?』
「うん。それしかあれへんやろ」
果実も、不知火も、しばらく黙っていた。何か妙なことを言ったかと思ったが、そのうち果実が笑い声を上げた。
『酔狂だなあ、面白い。いいよ、いいよ、それならぼくが……いやオレが、どうにか協力してやるよ……昔のよしみでな』
突然の変化に不知火は怪訝そうにしたが、私は納得した。この果実だけが、糸を伝って降りてきた理由。
旧知の山神に似た不知火を気にして見にきたのだ。
果実の中身は、あの鳥だ。
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