5

 朝と昼の合間の時間だ。太陽はかなり登っており、眩しさに目が慣れていく。

 不知火は鹿を庭の真ん中に転がした。どうしようかと思っていると、燐が小刀を出しながら、進み出た。

「解体は任せなよ。火でも、熾しておいてくれるかい?」

 心得たので、火打ち石を持ってきた。巽が拾い集めてくれたらしく、枯れ枝や枯れ葉が積まれていった。

 着火の手前、そういえば熾して平気だろうかと、石を見た。意思疎通の方法がわからずまごついたが、警鐘のようなものを感じなかったため、火をつけた。

 燐の解体した鹿は美味そうな匂いで焼けた。村でも、何度か食べたことのある生き物だ。猪などに比べると獣臭が少なく、食べやすい。

 焼けたばかりの鹿肉を頬張った。鉄の風味が鼻を抜けたが、味わい自体は淡白だ。ちらと横を見ると、骨を突いている鳥状態の巽がいた。その隣では不知火が生肉を咥えている。人の姿であるため、血液が目立っていた。口元が真っ赤だ。

 ごつごつと叩きつける音が響く。巽が砕いた骨は庭に散らばり、小石に紛れてながら転がってゆく。やはり中身を吸っているようだ。じっと見つめていると、こちらを向いた。目の色は穏やかだ。

「巽さんは、腐肉やら腐臭が、好きなんですよね」

 問うと、巽は困惑した様子で燐を見た。燐は私に経緯を話したと説明し、小刀に刺していた鹿肉へとかぶりついた。

 巽が寄ってきた。私の隣にすっとうずくまり、恐る恐るという様子で見上げてくる。

「はじめは、骨の中身や、死体だけで良かったんです。神社の中に持って来られるものも、そればかりでした。けど、ある時急に、腐臭自体に反応するようになって。……燐には手間をかけさせています。骨も、動物を殺さないと中々手に入らないですし」

 どこかしょげて見える。可哀想になり、頭に手が伸びかけたが、止めた。不知火と燐の視線を感じた。

 手を引っ込めつつ、

「腐臭に満ちた場所を知ってます」

 本題を切り出せば、燐も巽も驚いたような声を上げた。

「春之介、与太や気休めじゃないのかい?」

「大丈夫やと思います、新鮮な腐り方をしとるはずです」

「それは、その、……教えて頂いても……?」

 巽の眼差しがどこか煌めいている。本当に腐臭が好きらしい。

「勿論です。ただ少し、此処からは距離があるんですが」

「ああ、そんなのはいいさ。あたしらは暇しかないからねえ、その浄土は一体どこにあるのかね、兄さん」

「俺の故郷の山ですね」

 不知火がさっと私を見た。思い出したらしく、あそこか、と血だらけの口で呟いた。

 燐と巽に詳しく説明した。故郷が山に囲まれた過疎地であること、その山の一つに、かなり前に滅んだと思われる村の跡地があったこと、村人たちの墓一帯が不知火曰く煮詰まって腐ってしまっているということ。

 ついでに付け足す。私の故郷は、私と不知火が潰したために、もう誰も住んではいないこと。

「……せやから、俺の村の方にも腐り始めの無念なんかがあるかもしれません。かなりの辺境なので、人もそう来ないと思いますし、周りが山という立地は巽さんももしかしたら、好きに飛び回れて楽しいかもしれへん。どうでしょう、行くんやったら、詳しい道筋を教えます」

「教えてくれ、行くよ」

 燐が即答した。

「食い物もある上に巽が好きに飛べるんなら、行ってみる価値があるだろうしねえ。山がすぐそばなら、あたしの食い物も調達できるだろうしね。……地図、持ってるかい?」

「いや、書きます」

 鹿肉の残りを一気に頬張り、荷物を持ってきた。中から筆と紙を取り出し、燐と巽に挟まれながら、目の前で地図を書く。暇になったらしく、途中で不知火が背中に寄りかかってきた。頭を撫でてやってから説明に戻り、簡易的なものではあるが、一応は完遂した。

 仕上がったばかりの地図を燐に渡した。彼女は真剣な目でそれを眺めてから、私に視線を向けた。

「もらってばかりも落ち着かないからさ、使うかはともかく、巽が御神体だった集落までの地図をあげるよ」

「え、でもそれやと、燐さんたちが行く必要ができた時に困るんやないですか」

「大丈夫だよ、あたしはともかく、巽がその辺はきっちり覚えてる」

「覚えています」

 巽は自信ありげに頷いてから、羽を広げて燐の荷物を取りに行った。渡された地図は使い古してあり、所々が破けていたが、道順は問題なく確認できた。

「ありがとうございます、ほな一応、もらっておきます」

「遠慮しなくていいよ。いつか行く時に、遠慮なく食い散らかしてもいい。浄土と地獄は紙一重だからねえ」

 燐は笑い、私の書いた地図をしまった。滞りなく話が済んで安堵する。しばらく共に旅を続けても問題はなかったが、巽の食事を思えば、そうもいかない。せっかく心当たりがあるのだから、不知火のように美味いものを食べて欲しいのだ。

 座り直して、火を消してから新しい鹿肉を手に取った。締まった腿肉は噛みにくかったが、程よい脂でちょうど良い。

「ハル」

 寄ってきた不知火はまだ口周りが赤かった。手拭いで綺麗にしてやっている間、燐と巽は何かを話し合い、時折明るく笑っていた。

 その一部始終を、庭の石はきっと見ていた。黙り込んだままそこにいて、景色に溶け込みながら、この先も何かを見つめ続けていくのだろう。


 山を降りたところで、燐と巽に別れを告げた。巽は燐の肩に乗ったまま頭を下げて、燐は独特の笑い声を漏らしながら手を振った。歩き去る後ろ姿は流石に旅慣れた雰囲気で、私の故郷には難なく辿り着けるだろうと無根拠に思った。

 また、不知火と二人になった。石に教わった街道へ向かおうと歩き始めたところで、いつものように頭を擦り付けてきた。

 撫でてやろうとするが避けられた。不知火は私の肩や髪を遠慮なしに嗅ぎ、不愉快そうに眉を寄せた。

「また、異形か何かと、遊んだろ」

「……ばれたか」

「危なくないやつで、良かったね」

 不知火は鼻を鳴らして離れていく。危なくはなかったし、勝手に話し掛けてきたのだと一応弁解すれば、納得はしてくれた。

 ほっとしつつ、道を進んだ。太陽は真上を滑っており、非の打ち所がないほど晴れていた。




(是非の庭・了)

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