祭囃子と焔の実
1
街道に沿って進んでいくと、唐突に森が現れた。本当に、唐突だった。歩いている私たちの目の前に、蜃気楼のように湧いて出た。
「なんだ、これ」
「森やと思うけど」
不知火は匂いを嗅ぎ、変な匂いではないと断定した。どちらにせよ、街道を覆うように発生したので、避けて通れるものでもない。迂回も難しいだろう。森は放射状に広がっている。
行こうかと声をかけると、不知火は獣の姿になった。私を直ちに背中へ乗せて、森の中へ突っ込んだ。一気に通り抜けようとしたらしい。しかし、数分も走れば急に立ち止まった。首を回して辺りを確認し、怪訝そうにした。
「奥に、誘導されてる」
唸るように言うので、一旦背中を降りた。森は鬱蒼としており、光が少ない。木々は太いものが多く、苔生した根元と巻きついた蔦が深さを殊更際立てている。湿った緑色の匂いがした。でも何か、違う匂いも、する気がした。
抜けさせてもらえないのであれば、急ぐ必要もない。走ってくれた不知火の背中を撫でて労うと、感謝のように顔を舐められる。
「ハル、ここはちょっと、おれたちの知ってる山に似てるね」
「うん、なんや、懐かしい匂いがするな」
「嫌いじゃないよ。だから、奥に来て欲しいなら、行ってやろう。おれがいれば、変なのが襲ってきても、それなりに大丈夫だと思うし」
「いつもありがとうな、不知火」
頭を撫でようとするが避けられる。ちょっと傷付く。最近反抗期じみている。
「おれ、子供じゃねえよ」
「それは……すまん、せやけど撫でるくらい、ええやろ」
「子供扱いしないなら、いいよ」
難しい注文だった。子供扱いしているつもりもなかったが、甘やかそうとすればつい、愛でる方向になる。不知火はやはり何かが不満らしく、小さく鼻を鳴らした。
お互いに唸りつつ、並んで歩き始めた。足は目的を知っているかのように、迷いなく進んだ。確かに、誘導されているようだ。それならそれで構わないと、のんびり誘われることにした。
木々の合間を抜け、上向きの傾斜に差し掛かる。山ではないので、緩やかな登りだ。階段状に崩れた土を片足で踏み、太い幹に掴まりながら乗り上げる。滑りかけたが不知火が頭で押してくれた。苔の群生する影に、湧水が流れている。
綺麗な森だ。差し込む日差しがどこを照らしても緑色で、どこか神秘的な空気に満ちている。
「不知火、ちょっと休むか? 綺麗なところやし、変な匂いもせんのやったら、ゆっくりしても構わんやろう」
「いいと思うよ。おれの食い物は、なさそうだけど」
「人、おらんやろうしな」
人と言わず、生き物気配がほとんどない。不思議なところだ。あるいは生き物がいないために、美しさが保たれているのか。
大きな木のそばで少し休むことにした。盛り上がった根の間に座り込むと、不知火も私の前で蹲った。頭だけは、私の膝に預けている。相変わらず愛しいのだが、撫でようと伸ばした手は甘噛みされた。
「なんでそこまで嫌がるんや」
不満になり少し怒ると、違うと反論された。なら何故だとさらに聞けば、真剣な紅い目が見上げてきた。
「あのさ、ハル」
「うん、なんや?」
「あんたはどうやったら、おれの子供ができるんだ?」
数秒、思考が止まった。子供、と思わず鸚鵡返しをすると、強く頷かれた。
「おれ、父さんが母さんの話をする時、羨ましかったけど、おれと同じ異形が他にいると思えないし、人間は嫌いだった。でも、ハルがいて、おれはハルが好きだ。だから、父さんと母さんみたいになりたい。おれの子供、どうやったらできる?」
できない。当然、できない。私は男で、不知火も男だ。子供を作るのであれば女が必要であり、しかしそうなれば私か不知火どちらかの子供でしかない。だから諦める他はない。
これらを、全く説明できなかった。不知火は本気の目で私を見つめていて、どうしても突っ撥ねられなかった。
「…………こ、子供を作るには……」
「うん」
「その……せなあかんことが、色々あって」
「何? おれが、何かした方がいいのか?」
「いや二人でせなあかんのやけど、どっちにしろこんな森の中ではちょっと、準備もあらへんし、ええと、とにかく今は無理や、どこかの村にでも着いた時にまた言うてほしい」
不知火は多少残念そうにしながらも、わかったと言って頭を足の上に置き直した。今度は、断りを入れてから撫でた。どうにか誤魔化しはしたが、いつまでも避けられる話ではないだろう。子供はできないのだと早いうちに教えてしまわねば。
最も、私が女であれば早い話ではあった。巡り合わせは、時に酷い。本当の話をした時、不知火が少なからず失望するだろうと思えば、既に胸が痛んだ。
ぱっと顔を上げた不知火に、掌を舐められた。咄嗟に引っ込めると、唸られた。
「辛そうな匂いがする。美味いけど、ハルが辛そうだと、おれも、いやな気分だ。あんたといると、わからない気分にばかりなる」
言葉も胸も詰まった。両腕を伸ばして頭を抱き締め謝ると、返事のように頬を舐めてきた。
「そろそろ、行こか。なんにせよ、森を抜けてからまた、ゆっくり話そう」
「うん、約束だよ、ハル」
「わかっとる、心配せんでええ」
頭をもう一度撫でてやってから立ち上がる。風はないが、枝葉が揺らいだ。奥に来いと言われているようだ。不知火と視線を合わせ、誘われる方向に向かって歩き出す。
美しい緑の森は、奥で一気に変化した。街道を突然覆ったように、森の色が突然切り替わった。そこは一面赤かった。枝の先には葉っぱの代わりに炎が灯り、足元には珊瑚のような苔が生えていた。
違った意味で、美しかった。不知火を初めて目の前にした時のような昂揚が、赤の森として目の前にあったのだった。
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