3

 色々考えたいが、燐のいる前で黙り込むと妙だろう。それに、一口しか舐めてはいないのに酔いを感じる。朝の庭の明るさがやけに白い。

「……不知火と巽さん、遅いですね」

 思考を切り替えつつ話し掛ける。返事がなく、過去を話させて気疲れさせたかと、慌てて視線を戻した。

 打ち捨てられた廃屋の中はしんとしている。燐はどこにも、いなかった。

「燐さん?」

 家の中はそう広くなく、隠れられそうな隙間もない。ぼうっとしている間に外に出たのか。姿を探して庭に繰り出し、何度か呼び掛けてみたが、声は木々の合間を通り抜けるだけだった。

 じわじわ困った。不知火と巽を迎えに行ったのだろうか。彼女は巽と視界を合わせられるらしいし、何かが見えて飛んで行ったのかもしれない。それならば、私までここを離れるわけにはいかないか。

 そう考えながらも、理屈ではないところで異様だとわかっていた。村を出て旅を始めてから、何度も遭遇した異様さだ。人ではない存在の匂いがする。

「ハル」

 唐突に声をかけられた。振り向いた先には不知火が立っており、一気に安堵した。いつの間にか人の姿をとっている。

「不知火、おかえり。巽さんと燐さんは?」

 歩み寄りつつ問いかけると、

「さあ、わからない」

 不知火はそう言い捨て、雑草の上に座り込んだ。私にも、視線で座れと示してくる。大人しく従うが妙だった。広がった安堵が緩やかに萎み、異形の気配がまた漂う。

 流石に慣れてきた。目の前にいる不知火は、不知火の姿をしている別の何かだろう。近くで眺めてみれば纏う雰囲気が明らかに違う。笑みを浮かべているが、どことなく皮肉めいた笑い方だ。子供のようだと巽にも言われた筈の彼は、意地の悪い仙人じみた輪郭を持っている。

 慎重に相手をしようと、座り直した。私の怪訝な態度に気付いたらしく、彼は目を細めてから、大丈夫だよと、前置きした。

「ハル、あんたが変なことさえしなけりゃあ、おれの話はすぐに終わるよ」

「……おれ、というのは、不知火の、ということやないんか?」

「うん、違う。おれに正しい名称はないし、間違った名称もないぜ。そこに是非はない。あんたが不知火って呼ぶやつの姿になってるのは、そうだな、あんたの記憶の中を一番占めているから、とでも思ってくれればいいよ。人間の方でいるのは、攻撃の意図はないっていう意思表示だ」

 それならば多少納得はする。見た目については、だが。

「ややこしいからとりあえず不知火と呼ぶけども、不知火は俺になんの用や? 本物の不知火は勿論、燐さんや巽さんは、無事でおるんか?」

「ああ、安心して、みんな無事だよ。用も、用ってほどのことはないんだ。この庭は、暇なんだ。ちょっとだけ話し相手になって欲しいんだよ、ハル」

「ほんまにそれだけならええけど、なんで俺を?」

「一回、目が合ったから」

 まったく記憶になくてつい詰まる。不知火は笑い、胡座をかいた足の間に収めていた両手を、胸の辺りまで上げた。それから、柏手を打つように二度掌を打ち鳴らす。音が響き終わるまでに目が合ったと言われた理由はわかった。不知火は、庭に転がっていた大きな石に変わっていた。

「あなた、石の形の異形とか、そういうものなんですか?」

 敬語になりつつ問うと、相手はまた不知火の姿になった。異形って解釈でいいよ。そう、不知火の姿と声で話されて、脳がじわじわ混乱する。石なら石のままでも話せると伝えるが、彼は首を振って私を見つめる。

「石のままだと口がないんだ。だから、このまま話すよ。それに、目が合ったのも理由だけど、もう一つ理由があって」

「なんですか……?」

「リンと話してた、御神体の鳥の話。その話自体はもういいんだけど、ハル、あんたが一人で悶々と考えてたことがさ、気になったんだ」

「……、人が異形を使うことについて、ですか?」

「そう、それだよ」

 彼は不知火の姿のまま、面白そうに私を眺める。

「おれも一口で言っちまえば異形に分類されるから、興味があるんだ。あんたは人だし、立場が違うんなら、話をしやすいんじゃないかと思ったのも、ある。おれはこの、神社になり損なった山の中に打ち捨てられた石だけど、きっと御神体になる予定ではあったんだ。だから余計に、聞いてみたい。聞かせてくれ、ハル。あんたは不知火と旅をしてきて、何度も助けられ、何度も頼りにし、自分本位に使ってきたと思い始めているみたいだけれど、それに是非をつけるなら、良いのか、悪いのか、果たしてどっちだ?」

 答えるまでもなく非だ。私は不知火に、自由に暮らして欲しい。好きなだけ好物を食べ、必要があれば私すら食料にして、生きていって欲しい。人には縛られないで欲しい。彼がどこか、落ち着いて暮らせる場所があるのであれば、そこを目指して歩きたい。

 ただこれは矛盾を孕む。目の前の不知火は、矛盾こそを知りたがっていると、わかる。

「……人間が異形と呼ばれる存在達を、都合の良いように扱うことは当然非やと、俺は思う」

 彼は頷き、続けろと目で言ってくる。

「せやけど例えば、俺は不知火を大事にしたくて好きに暮らして欲しいけど、その生活に俺がいること自体が非になれば、俺やなくて不知火が、怒る」

「不知火が、あんたのために?」

「うん、多分やけど」

 もう自惚れではないはずだ。不知火は明確に、私を信頼して、甘えてくれる。私が取られると思った時は激昂したし、夜から出るために私を頼りにしてくれた。共に過ごす生活を指して、自分の父親と母親のようだと喜んですらくれたのだ。

 その点に置いて、不知火は人を受け入れているのだ。だから矛盾してくる。

 私を否定すると、不知火の現状も否定することになってしまう。

 堂々巡りで、息苦しい。

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