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 燐のいた集落は、それなりに豊かだったらしい。森の手前に作られた神社を中心にじわじわと人が増えていき、生活が象られたのだと、猪口を傾けながら言った。

「その神社の御神体ってのが巽だったわけだ。まあそんなの、宮司とほんの一部の、神職に携わってる奴らしか知らない話だけどね。あたしは知らなかった。そもそも捨て子で、集落に続く道の上に放って置かれてたらしいから、一番遠い身分だよ。子供のいない家に引き取られたけど、そう裕福でもなかったし、実子がいざ出来ちまったらどうにも疎外を感じたしねえ。ああいや、あたしの話はいいんだ、巽だ巽。あの子がなんであそこにいたのかは、本人も知らないんだよ。ふと気付いた時には本殿の中にいて、宮司に世話をされてたらしい」

「それは何とも、……変な話ですね」

 燐は笑い声を挟み、庭の方へ目を向ける。

「変でも何でも巽は神社の神様そのものだったわけさ。存在なんて知らなかったけど、妙な巡り合わせってのは起こるもんでねえ。ある日あたしは本殿の中に連れて行かれることになったんだ。かなり離れた位置からの参拝しか出来なかったし、驚いたよ。それから、ああそうだったのかって、納得したさ。春之介、単純にあんたの考えが聞きたいんだけど、あんたなら巽を御神体に据えて、どう使う?」

 急に聞かれてちょっと困るが、

「使うというか、可愛がりますかね……」

 素直に答えれば大きな声で笑われた。

「あんたさあ、本っ当に変わってるねえ!」

「そうは言われても、巽さんは可愛らしいやないですか」

「なら聞き方を変えるよ、宮司は巽をどう使ってたと思う?」

「死体と不要人材の処理ですか?」

 即答すると、燐は目を見開いた。当たっているらしい。なら所詮、似たようなことをした私も、ただの人間ということだ。

「多少違うけど、まあ、大体そうだよ」

 燐は肩を竦め、また酒を煽る。

「巽は腐肉というか、詳細に言うんなら、人間が腐らせた情みたいなもんが好きなのさ。わかりやすい例なら、妻子ある身での不義理とかね。濁ったもんが好物で、宮司は多分、集落のためになると思ったんだな。巽に不要なものを食って貰えばすっきりするからねえ。争いごととは、本当に無縁のところだった。それとは別で、骨の中身や腐肉も好物でさ、だからどっちも食ってたわけだ。後者の場合、あんたの言ったような用途だろうね」

「……燐さんが本殿に連れて行かれたんは、捨て子という部分が関係してるんですか?」

「ああ、話が早いねあんたは。その通りだよ、実子が生まれてから仲間はずれのような気分になったのさ。子供だったから許してほしいがねえ、育ての親はあたしの不満に気が付いて、宮司に相談したわけだ。集落の人間は本殿に何があるかは知らないが、御利益の確かさは身をもって知っているもんで、あたしを連れて行ったんだ。それで本殿に参ってみれば、宮司が直接あたしに中へ入るよう言った。予想だけど、親はあたしを他の家、子供のいない夫婦のところやら、別の村なんかに連れて行ってほしいって頼んだんだね。心の底からの善意だと思うよ、そういうを受けてる奴ばっかりだからさ。でも、宮司は受けてない奴だから、あたしを本殿に連れて行ったんだ」

 理由はわからない、と燐は言う。ちょうど巽の餌を切らしていたのか、面倒事の処理をしたかったのか、聞く機会はなかったようだ。どちらにせよ同じだろうと、私は感じた。

「本殿は暗かった」

 朝の光に反し、燐の声は重くなる。

「灯りもついてなくて、窓もなかった。観音開きの戸の隙間から漏れる陽だけが、ほんのりと巽を見せてくれたよ。御神体はやけに大きい鳥なんだなって初めて知った。あたしは縛られてたし、猿轡も噛まされてたし、子供ながらに死ぬんだなと思ったさ。でも、巽は食わなかった。近付いてきて、嘴で縄を解いてくれて、逃げていいと言ったんだ。だから逃げた。逃げてから必死で生きて、子供じゃなくなってから、集落に戻って本殿に忍び込んだよ。巽はまだいたし、あたしがあの時に逃した子供だってのも覚えてた。あたしは巽に聞いたよ。ここにいて楽しいのか、ずっといるつもりなのかって。……巽はしばらく黙ってから、わからないって言ったんだよねえ……ひひっ、懐かしいねえ」

 燐は胡座を解き、上体を逸らして天井を仰いだ。

「ま、そう言われたもんだからさ、ならわかるまで付き合って貰おうかと思ってね。でっかいから運べるか心配だったけど、自分で小さくなってくれたよ。だから簡単に抱き上げられたし、簡単に盗めたのさ。それからずっと一緒にいるんだ。あいつ未だに、あそこにいて楽しかったかって聞くと、わからないって答えるんだよ、面白いだろ?」

「おもろいと言いにくい話をした後に聞かんといてください」

「いひひ、そりゃあそうだ」

 燐は体をこちらへ向け直し、新しい酒を注ぎ始める。

「話は以上だよ。何かの参考になったかね」

「充分です、ありがとうございます」

「なら結構、お粗末様だ」

 いつの間にか入っていた体の力を抜き、一向に中身が減らない自分の猪口を持ち上げた。飲みかけだが飲めないため燐に返して、庭の方に目を向ける。

 巽にも少し、聞いてみたい。なぜ本殿にいたかはわからないらしいが、なぜ大人しく御神体になっていたのかと、なぜ燐を逃したのかは、気になった。そもそもは、燐たちに会う前から引っかかっていたことなのだ。夜の中に閉じ込められ、あの炎を海に返した後に、形ある現状として浮上した。

 異形を使うという選択肢の是非。

 炎を灯明台に据えた誰かや、燐の集落にいた宮司を咎める権利はどこにもない。

 私や燐だって、そうなのだ。

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