是非の庭

1

 派手な轟音が、朝日の照った山の中に響き渡る。それは何度か続き、小休止したかと思えばまた響く。とても楽しそうである。私の横で手持ちの酒を飲んでいる燐はげらげらと笑っていた。

「いやあ、不知火は強いねえ!」

「せやけど巽さんも手慣れてませんか?」

 呑気に話す私と燐の目の前で、また大きな音が立てられる。巽が上空から繰り出した蹴りは、先程まで不知火がいた地面を抉り取った。土と雑草が捲れ上がり、巽が大勢を立て直す前に不知火が突進する。頭突きかと思ったが、直前で急停止して胴体を捻った。振り回された長い尻尾が灰色の翼に当たり、羽根が数枚、宙を舞う。

 とはいえ、勢いは緩かった。喧嘩しているわけではないのだ。不知火が、異形とほとんど戦ったことがないので遊んで欲しいと、巽に頼んだ故の手合わせだった。

 巽は優雅な動きで翻り、離れた位置に着地した。不知火も追わず、数回頭を振ってから、終了の合図代わりに一声吠えた。

「お疲れ不知火、おいで」

 呼ぶと即座に走り寄ってきた。勢いのまま押し倒され、思い切りじゃれつかれる。軒先に、背中を強かに打ち付けた。

 笑い声が降ってきた。べろべろと顔を舐められる私を見下ろしながら、二人して笑っている。

「いっひっひ! 異形にこんなに懐かれてる奴も珍しいや!」

「それは、まあ、そうなんかもしれへんけど、どうやろう……」

「不知火さんを子供みたいなものと仰ってましたが、本当にそうですね」

 ただの鳥に見える大きさに変わりながら、巽が納得したように言った。

「でも、大変お強いです。どなたかに教わったんですか?」

「父さんが、何回か見せてくれた」

 不知火は答えてから私を解放した。巽は納得したように頷き、腰掛けている燐の隣にちょんと座った。

「朝っぱらから運動お疲れさんだねえ、巽」

 燐は含み笑いしつつ巽の頭を撫でる。満更でもなさそうにする巽を見れば、そちらも随分仲が良いんですねと言いたくなったが、惚気合いのようになりそうでやめた。

 唾液で濡れた顔を拭きつつ起き上がる。朝日が眩しく、二人が遊んでいた庭を照らしていた。廃れた民家がちょうどよく見つかり、一晩の宿にしたのだ。全員それなりに疲弊していたため助かった。家の中は結構荒れていたのだが、これはこれで全員慣れたものだった。

 ぼうっと庭を眺めていると、不知火に頭を擦り付けられた。燐と巽がいようがお構いなしに甘えてくる。二人は笑いはしても気にしていないので、もういいかといつも通りに頭を撫でて甘やかす。

「今日中に山を抜けちまいたいねえ、太陽が真上に来るまでにはここを出るかい?」

 燐に問われ、そうしようかと同意する。後の二人も異存はなさそうだ。腹拵えはしていこうと話し合い、なら食べられそうな獣や茸などを採ってくると、巽が羽を広げた。

「おれも行くよ、タツミ」

 意外なことに不知火も立った。

「猪とか鹿とか、狩れるから」

「食べ切れない気もしますが、折角ですし一緒に行きましょうか」

「うん」

 異形同士、気が合うのだろうか。木々の合間に消えていく二人を廃屋から見送り、なんとはなしに寂しくなる。私と不知火では、共有できない部分が多いのだ。

 溜め息が漏れた。その直後にどんと背中を突かれて、少し咽せた。

「春之介ぇ、あたしがいること忘れてんだろ」

 しんみりするあまりに忘れていた。燐は特有の笑い声を漏らしてから、私に猪口を押し付けた。私物のようだ。困惑している間にさっさと酒を注がれた。

「まあ飲みな。ひっかけてる間に帰ってくるさね、あたしは朝から飲んではいるけど」

 胡座を書いて座る燐の前に腰を落ち着け、向かい合う。改めて観察してみるが、曲者じみた印象は初見から変わらない。旅芸人と言われれば納得する風袋だ。

「……聴き忘れてたんですけど、燐さんて人間ですか?」

 ふと聞けば、燐は口角を緩やかに吊り上げた。

「そりゃあそうだ。他に何に見えるんだい?」

「いや……」

「あんたこそ、あんなでかいのを手懐けてんだから、異形の方がよっぽど近いよ」

「それはお互い様やないですか?」

「どうかねえ、あたしらとは立場が違うだろうし」

 当然の話だ。開示するか悩みつつ酒を啜ると、思い切り咽せた。今までに飲んだどの酒よりも濃い味だ。燐は普通の顔で舐めている。人間だが人間ではない素振りだ。

 鈴のような鳥の囀りが聞こえてくる。ちびちびと酒を飲みながら、程よく長閑な景色を眺めた。家は今いるこの一軒だけで、何の用途かは分かりかねるが、人里離れた山奥に住みたい気持ちは理解できる。庭も立派だ。雑草が茂り見る影もないとはいえ、手入れをされていた形跡がわずかにあった。明らかに山のものではない石が草の隙間に見えている。

「春之介」

 呼ばれたため視線を戻すと、真剣な目にぶつかった。

「あんたらには本当に世話になったからさ、聞きたいことがあるなら、聞いていいよ。答えられる範囲に限るけどねえ、それでも良けりゃあ、身の上話でも何でもしてやるよ」

 燐は言い切ってから、酒を一気に煽った。聞きたいことは、色々あった。向き直って徳利を持ち、燐の猪口に新しく注いでから、視線を合わせた。

「一番気になってるのは」

「うん」

「巽さんが、人に飼われとった異形らしいということです」

 緩い風が吹いた。酒の濃い香りが鼻をつき、燐はその強さごと飲むように猪口を傾けた。

「飼われてたよ」

 呟くような声が溜息のように漏らされた。

「あたしのいた集落が、ずっと飼ってた異形だよ」

 だから盗んで逃げたのさ。

 そう言ってから、燐はどこか寂しげに笑った。

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