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「こういった宿場は、裏の顔があるんですよ」

 話しながら路地を進んだ。不知火と巽は多少怪我をしているので、通行人がちらりと視線を寄越す。

「燐さんはあなたと二人連れですが、傍目には一人旅に見えます。せやから、そうかもしれんなと、予想しました」

 陽が、随分下がっていた。提灯を灯す宿や食事処の姿が増えている。

「引っ掛かったんは酒豪の燐さんが飲んだ酒の量で、普段から浴びとるんやったら酔うて眠くなるには早いし、眠いと言い出すには少し、急やった気がして」

「私は、春之介さんと燐が出てきた時に視界を戻したので、燐の睡魔はいつものように私のせいかと思いましたが」

「そうやったら、それでもええんです」

 胸糞の悪い話ですから。そう付け加え、立ち止まった。私と燐が食事をした居酒屋だ。前回は気に留めなかったが、予想通りに、二階があった。

 二人に目配せをしてから、休業の看板を無視して戸を開けた。中は静かで、店の人間の姿はない。しかし物音は聞こえた。奥にある狭い階段が、目についた。

「燐の匂い、するよ」

 不知火が呟いた。その瞬間に巽が走り出し、階段を駆け上っていった。遅れて追い掛け、部屋に続く戸を開けた巽越しに、中を見た。

 大体、予想通りだった。狭く短い廊下の向こうには仕切り板に区切られただけの小部屋が三つほどあり、独特の湿気が、私にも感じられた。不知火はくしゃみをしたが、巽はここが何であるか悟った顔で眉を寄せた。

 慌てたように現れた居酒屋の主人は、私たちを見て怪訝な顔をした。

「お客さん、誰ぞに聞いて来たんです? まだ準備もできてないんで……それに、女のお客さんはちょっとねえ、」

「ああ、客やないです。人探しに来ただけで」

 主人は一瞬止まった。その隙に不知火が走り出し、一番奥の小部屋へと真っ直ぐに向かった。巽も後に続いた。引き止めようとした主人は、腕を掴んで私が止めた。

「いくら一人旅の女性やからって、酒に妙な細工をして攫うてまで、に従事させんでもええと思うんですが」

「いや、これは、違うんです頼まれただけで……仕事をさせようなんて、少しも」

「せやったら、大事にはせえへんから人だけ返してください。一人旅に見えたんかもしれませんが、お連れさんがいてるんですよ。返してもらえればどこにも、何も言いませんので」

 脂汗を浮かしながら、主人は渋々と言った様子で頷いた。舌打ちが出そうになったが堪えたのは、主人の背後に、髪を黒くした巽が立っていたからだった。

 巽はゆるりと変化して、鳥と人の狭間にいるような姿になった。真っ黒な羽に全身を覆われた人間、という風情だ。

 主人は振り向きも出来なかった。赤い嘴が容赦なく首を突き刺し、骨ごと抉り取る様子を、間近で見た。ずるりと引き抜かれた首の骨は即座に噛み砕かれた。中から漏れた髄液を、巽は骨ごと啄んだ。

「巽はねえ、腐肉やら骨の中身しか、口にしないのさ」

 不知火に肩を貸された燐がいた。彼女はひひっと笑い、巽の背中を掌で撫でた。黒かった体毛を灰色に戻し、人の姿へと変わった巽は、不知火ごと燐を抱き締めた。

「く、苦しい」

 不知火が困惑気味に呻いた。燐はまた笑い、すぐに声を抑えて、すまなかったと謝った。巽は無言で首を振り、不知火は相変わらず困惑していて、私は一応、無事でよかったと口にした。


 外はもう暗かったが宿場を早く離れるべきだと話し、宿に戻ってすぐに出立した。私と不知火だけでなく、燐と巽もだ。巽はまた鳥の姿になっており、燐の背負う荷物から飛び出している止まり木で羽を休めていた。

 宿場と別の村や町をつなぐ街道はやむなく外れ、深い竹藪に踏み入った。ゆっくり話をするには闇に紛れた場所が良い。それに、食事処の主人の死体が発見されれば、不自然に宿を出た我々が疑われるかもしれないので、目につきやすい街道は避ける方が無難だ。

 加えて、燐と巽には浅からぬ事情があるようだった。

「あたしを攫うように指示した大元は、多分あたしらの追っ手だ」

 燐は竹藪を進みながら話し出した。

「本当に助かったよ、春之介に、不知火。下手すりゃ尋問ついでに犯され回って死ぬもんだと思ってたさ、そんな気持ち悪い視界を巽に見せるわけにもいかないしねえ、目も迂闊に開けられやしない。ひひ、美人だと不便だよ、それにしてもよく見つけてくれたね?」

「ああ、旅籠屋やらその膝下の食事処は、遊女の類を有してることがあるんです。せやから、攫った相手を一旦閉じ込めるには、ちょうどええとこかなと。疑いすぎやとも思いましたけど、あの食事処はお誂え向きの二階があったし、燐さんが眠いと言い出したのも急やったんで、ちょっと変に感じてもうて」

「小屋に連れて行かれる途中で起きたけどさ、やたら手慣れた雰囲気だったから、竹藪が真裏のあの宿も一枚噛んでたのかもね。油断したよ、全く」

「タツミがいるんだから、油断するのも、仕方ないんじゃないのか」

 不知火が口を挟んだ。灯りのために獣の姿をとっており、私たちを先導してくれている。

 燐は喉の奥で笑い、足元にある竹を遊びのように蹴った。捕まって縛られていたそうだが元気である。

「しかしどうするかね、巽? やっぱり芸で金を稼ぐのは目立ちすぎるらしいや。慎ましやかに逃げたいねえ、なにかいい案はあるかい、三人とも」

「俺は……特にあらへんかな」

「おれも、ないよ」

「私はとりあえず、お二人についていけばいいと思いますが」

 不知火と同時に巽を見る。灰色の翼を動かして浮かび、不知火の背中にひょいと飛び移ってから、頭に頭を乗せた。不知火は唸ったが振り払わず、意見を求めるように私を見た。

「そうやな……ちらほら人を食わせるし、村を一つ潰したりなどもしたんですが、それで良ければ、ほとぼりが冷めるまでついてくればええんやないですか。男がいれば、今回のような危機は減るやろうし」

 と言いつつ意図は別だ。燐と巽には、聞いてみたいことが色々出来た。燐の曲者じみた性格には骨が折れそうでもあるが、行動を共にしながら、少しずつ話を聞き出せれば御の字だろう。

 同行の旨を伝えると、燐は私の肩を拳で突いた。

「ひひっ、お互い根無草だろうしねえ。どっちにしろ竹藪と、奥の山を越えるまでは一蓮托生。ここはひとつ、よろしく頼むよ二人とも」

「この山、かなり深そうやしな」

「おれは、ハルと二人の方が、いい」

 明け透けな返しに燐が笑った。思いのほか大きく響いた笑い声に焦ったが、巽もおかしそうに笑みを漏らした。私も頬がつい緩み、不知火だけが唸っていた。

 夜の竹藪はどこまでも深い。傾斜に差し掛かると暗さは増して、宿場の明かりはもう随分遠かった。



(狭間に棲む鳥・了)

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