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「あまり、人の多いところでする話でもないと思いますが」

 海老の天麩羅を齧りつつ、酒以外に手をつけていない燐を見遣る。背後には何人もの酔客がいて、こちらに意識は向いていないが、それでも密談にはとんと向かない状況だ。燐は口角を引き上げたまま猪口を傾ける。五目のお握りを、こちらに押しやった。

「食べないんですか」

「酒だけで満腹だからねえ」

「食べられない、ではなく?」

 燐は片目を怪訝そうに細めてから首を振る。

「春之介。質問に答える気がないんなら、何にも聞かずに飯を食べてなよ。それならただの奢り損さ、あんたと、あんたが連れてきたが、大人しく出て行くまで近付かないだけの話になる」

「無闇に危害を加えるような子やないけどな」

 つい反論すると、燐はひひっと笑い声を漏らした。

「それならそれで結構。ま、人間外の生き物なんてあちこちにいるからねえ。普段はちょっかいもかけないんだけど、何、ちょっと変わった見え方だったもんでさ」

「見え方?」

 気になって即座に拾う。無意識だったのか、燐の表情が一瞬揺らいだ。更に詰めようと口を開くが、掌をかざして止められた。

「飲み過ぎたよ、あたしはもう宿に戻る。……と言っても、あんたらと同じところだけどね、行くかい?」

 戻る場所が同じであれば断る理由はない。さっさと勘定を済ませた燐に続き、居酒屋を後にした。夜風が涼しく、人の姿は心なしか減っている。

 不知火はもう宿にいるだろうか。考えつつ歩き出すと、すぐ近くで羽音が聞こえた。驚いて振り向いた私の視界に、大きな翼が飛び込んできた。

「ひひ、あたしのお迎えだよ、驚かせたね」

 燐の片腕に大きな鳥が止まっていた。鷲のように見えるが正確にはわからない。体は燻んだ灰色で、鋭い嘴だけが赤い。

 不知火に似ている。見た目ではなく、放つ雰囲気そのものが、私の理解できる範囲にいない生き物だ。

 鳥は準備運動のように数回羽を動かしてから、大人しく畳んだ。琥珀色の目玉が私を見たが、燐が声をかけるとふいと逸らした。

「可愛い鳥ですね」

 本心で告げたが燐は大きな声で笑った。

「怖がるやつの方が多いんだけどねえ、春之介、あんたはちょっと、おかしいね?」

「いえ、初めて見たので。とても綺麗だと思います、宿に連れ込めるんですか?」

「ああ、金を多く置いたら快く通してくれたさ」

「金で話がわかるだけ、ましですね」

「あんたは金を積んでも相変わらずあたしの質問に答えないのにねえ!」

 そうは言いつつ燐は面白そうだ。並んで歩き始めてからは、旅人というよりは鳥と共に芸をやりながら放浪する大道芸人のようなものだと話し、鳥の名前はたつみだと教えてくれた。

 鳥のおかげで案外打ち解けたらしい。私の方も、居酒屋で向き合っていた時よりも気を許していた。頼めば巽に触らせてもらえ、撫でた羽根は艶やかで触り心地が良く、しっかりとした骨組みが雄々しかった。巽は一度羽を広げて見せてくれた。内側の羽根は濃い灰色で、中に虚を飼っているようだった。

 宿に着く手前に、燐に向き直った。彼女は懐から出した餌を巽に与えながら、気だるそうに私を見た。

「俺の連れ合いも、紹介します」

 燐は重たく瞬きをしてから、いいのかね、と眠そうな声で言った。酒を飲みすぎたのか、反応が鈍かった。

「巽さんを見せてもらいましたし、まあ、食事も頂いたので。ただ、彼がどう言うかは不明なので、今すぐは難しいんですが」

「ああ……あたしもこいつも、かなり眠いから、その方が良い……じゃあ明日、朝でも昼でも、あんたらが会う気があるんなら、この宿の前で待ってなよ」

「いつでもええんですか?」

「構わないよ、巽に見張っててもらうから」

 燐は欠伸を落とし、ひらりと手を振った。部屋は知られたくないようだったので、彼女が宿に入る姿を見送ってから、自分も続けて中に入った。燐も巽ももうおらず、宿の中はしんとしていた。

 不知火の求める存在は、あの二人のどちらかかもしれない。そう考えたこともあり勝手に決めてしまったが、不知火の意見はどうだろうか。

 多少不安に思いつつ部屋に戻る。部屋の中は真っ暗で、敷かれた二組の布団の合間に転がっていた不知火は、目を赤く光らせて私を見た。

「遅かったね、ハル」

「ああ、すまん、せやけどあなたの、」

「匂いでわかるよ。ここに泊まってる変なやつ、どんなのだった?」

「俺に匂いはわからんけど、雰囲気はちょっと変わってたかもしれん」

 傍に膝をつくと、不知火は即座に頭を乗せてくる。一人で待っていて、寂しかったのだろう。燐と巽の話をする前に、食事はどうだったか聞いてみると、案外美味かったと返ってきた。

「案外?」

「うん、この町の裏側、深い竹藪があるだろ。あそこに、酔った客が小便しに来てたんだ。襲った直後はぼんやりしてるんだけど、ちょっとずつ怯えていって、それが面白くて、美味かった」

「酔い過ぎて、不知火に襲われとると理解するまでに、時間がかかっとるんやな」

「こういうのも、いいね。臓物はなんだか甘苦かったけど」

「多分、酒やな」

 不知火は酒を飲んだことはないらしい。飲ませようとしたこともないが、人間ごしに摂取することはあるのだなと一つ覚える。

「それで、ハルが会ったやつは、どんなのだった?」

 期待を込めたように見上げてくる。仲間というか同族というか、今までも異形に会うたびに物珍しそうにしていたが、今回はやはり、特に興味があるようだ。

 頭を撫でつつ、燐と巽について聞かせた。明日宿の前で待ち合わせたと言えば、物凄く嬉しそうにしてくれた。

「おれ、鳥、気に入ってるんだ。父さんが喧嘩したらしいのも、大きな鳥だって言ってたし、おれたちみたいな鳥がいるなら会ってみたかった」

 そんな話を聞いたなと思い出す。なんにせよ不知火は、二人に会うことに決めたようだ。私にも異存はなく、明日のために早く床についた。


 結果として、翌朝は二人に会えなかった。

 私と不知火は燐と巽を探すために、一日奔走することになる。

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