6
「夜に漁をする時に、火を焚いて魚を誘き寄せるんや。それが
「うん、覚えてる。……そうか、あれが、不知火か」
「合うとったらな」
不知火は獣の姿に変化し、
「あんたが言うならきっと正しい」
とはっきり告げる。
「それに、納得した。あの炎……不知火の匂いは、生きてる匂いでも死んでる匂いでもない、冷たくて変な雰囲気なんだ。でも、煙の出る骨と、海の匂いに、少しずつ似てる。無念と執念の混ざった匂い。だからあれは無理矢理あそこに持ってこられたか、人間がそうとは知らずに、その、漁火の残りだと勘違いして使ったか、どっちかなんだろ」
「まあ、そんなところやろうな」
「おれとハルを閉じ込めたのは、海に戻して欲しいからなのか。今までも、誰か閉じ込められてたのかな」
不知火の背に乗せてもらいつつ、確証はないと、先に言う。
「この辺りに、巻き込まれたと思しい遺体やら遺骨はあらへんかった。それに、滞在するならあの家を使うやろうけど、しばらく人は居てへん様相やったから、俺とあなた以外が閉じ込められた可能性は低い。俺らは偶々、ここに縫い付けられる条件を満たしてもうたんや」
灯明台の麓についたところで、断りを入れてから背中の上に立つ。腕を伸ばすと、先端の淵には届いた。布に包んだ荷物を体に括り付け、力を込めて、よじ登る。
「この炎……不知火は、ほとんど瀕死やと思う」
話しながら覗き込む。相変わらず熱くもなく、ただゆらゆらと揺れている。見つめている間に、不知火も隣まで登ってきた。横目を送ると、話の続きを促された。
「不知火というのは人間が勝手につけた名前やけど、俺があなたを不知火と呼んで、あなたが自分やと認識しとるように、この炎もそう呼ばれとることをわかってたんやないかな」
「……、それはもしかして」
うん、と声は出さずに肯定し、
「俺があなたを不知火と呼ぶから、こっちの不知火が、名前に反応してもうたんや」
言い切ってから、荷物を下ろして古びた火鉢を取り出した。囲炉裏から持ってきたものだ。
「他にも色々、引っ掛かったことはあるけどな。見たことない魚は瀕死状態になっとる不知火の残り香につられて現れるんやないかとか、夜は逆に、不知火の明かりが怖くて近寄れへんのかも知れんとか、その影響で夜は不漁、昼は価値のない魚しかおらんようになって、漁業が廃れてもうたんやないかとか。ただの予想やけど、考えた」
話しながら台座を覗き、火鉢を炎に近付ける。下地の焦げた木材は意味を成していなかったらしく、炎は自ら火鉢へと移ってくれた。熱くはない。木材を見るに、通常の火を焚いたこともあるようだが、知りようもないし今はどうでもいい。
火鉢を胸元に抱え、隣にいる不知火を見る。彼は彼で、私の意図をわかってくれたらしく、柵を越えて飛び降りた。
「おれが妙に疲れやすかったの、こいつのせいか」
私から火鉢を受け取りながら、不知火は溜息を吐く。そこまでは至っていなかった。慎重に灯明台を降りつつ、理由があるか聞けば、鼻を鳴らした。
「不知火ってあんたが呼ぶの、おれのことだって気付いてからは、おれを仲間みたいなもんだと思っちまったんだよ。今、すぐ近くで嗅いで、やっとわかった。冷たい匂いと一緒にずっとこいつからしてた、よくわからない感情の匂いは、仲間に向ける情だったんだ。それから、助けてくれっていう念だ」
「ああ……そうか、辻褄も合うな」
「でもおれはこいつからの情とか、念とかわからねえし慣れてもないから、やたら疲れるだけだった。子供の頃のハルに好かれた時も、どうしてやったらいいかわからなくて、しばらく疲れてたんだぜ」
「それは今は置いといてくれ」
火鉢を再び受け取り、海へと視線を向ける。ほんの僅かに白み始めていた。時間の経つ速度が、早くなっている。
「行こう、不知火」
「うん」
火鉢を抱え、獣状態になった不知火の背中に乗った。胸に抱いた炎は心なしか縮んでいる。限界が近いのだ。
「なんで時間の進みが遅なったんかは、正直に言うてわからん」
海に入った不知火の首元に、片腕でしがみつく。
「力尽きる寸前の、振り絞った訴えの力やったんかもしれん。仲間やと思うたあなたがいて、助けて欲しかったからできる限り引き留めたんやと思えば、……可哀想やな、もっとはよ、気付けばよかった」
「充分じゃないのか」
足や腕に海水がかかる。反射的に炎を庇うが、多少掛かっても平気そうだ。それよりも、辺りがじわじわ明るくなり、炎自体が見えにくくなってきた。顔を上げる。もう随分、遠くまで来た。砂浜も崖も、後ろに小さく見えている。
不意に爆ぜる音が響いた。驚いて火鉢を落としかけ、抱きすくめる前に上体が揺らいだ。あっと思った時には海へと落ちていた。海水が口に入り、塩辛さが広がった。
不知火が頭で掬い上げてくれた。咳き込みつつ、共に落ちてしまった火鉢を探すが、その必要はなくなった。
私たちの周りを、炎の壁が取り囲んでいた。熱くはなく、波の上で揺れていた。壁の足元に海に浮かんだ火鉢があった。風前の灯だった小さな光は、ゆらりと縦に大きく伸びた。それは灯明台で見た、切れ切れの煙によく似た姿だった。
「あれも、きみか……」
呟くや否や、炎の壁が忽然と消えた。火鉢も同時に姿を消して、辺りが急激に眩しくなった。
朝陽が昇っていた。水平線を橙に染めつつ頭を出した太陽は、夜ばかりだった一帯を眩しく焼き払っていった。
「あいつ、帰れたみたいだよ」
不知火の言葉に、安堵した。首元に抱き付き頷くと、支えるように尻尾が巻き付いてきた。
暫くの間、波間に漂いながら日の出を眺めた。不知火は眩しそうにしていたが、その目はきっと、同じ名前の炎の名残を追っていた。
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