5

 食われてしまっても構わなかった。幼い頃、初めて出会った時から、そう思っている。安堵すら覚えるほどだ。力を抜いて見上げると、真っ赤な双眸に射抜かれた。

 しかし、開いたままの口は食い付いては来なかった。

「……どないした、食うてもええよ」

 不知火を憔悴させた後悔はずっとある。それなりの味にはなっているだろうと自負するが、不知火は首を振った。

 更に言い募ろうとしたところで、掛け衿を乱暴に掴まれた。

「脱げ」

 低い声だった。聞き間違いかと思い、念の為聞き返すが、再び脱衣を要求された。

「な、なんで?」

 狼狽えつつ問う間に、不知火は痺れを切らしたらしく、勝手に帯を緩め始める。慌てて止める。先程まで別の理由で切迫していたが、空気が一気に変わってしまって理解が及ばない。

 私の動揺をどう感じたのか、不知火は髪を掻き回しながら

「悔恨、食うから脱いで」

 とあまり意味の通らない説明をした。

「いっ、いつもは、そのまま食うてるやろ」

「それは、肉ごと食ってるからだ。悔恨だけでいい、あんたごと食っちまったら、おれ一人になるだろ。あんたなしで、ここを出られる気がしない」

「悔恨だけ、食えるん……?」

「食えるよ。ハルの顔、たまに舐めてるだろ。ああやって、食う」

 なめる、と思わず口に出す。不知火は頷き、今度は容赦なく私の着物を剥ぎ取った。力で敵うはずもなく、なけなしの抵抗はことごとく無に帰して、肌を吸われた瞬間に諦めた。


 大変な目に遭った。恥ずかしさの余りに死にかけた。食われる方が余程ましだったと思われる。

 満足そうに食事を終えた不知火は、私を枕にまた眠りについた。私は全く眠れなかった。食われてしまったために自責や後悔の念が一旦薄れたことだけは、考え事に適して助かった。

 私がいない状態でここを出られる気がしないと、不知火は言ってくれた。頼ってもらえていることは、非常に嬉しい。ならば考えるしかない。期待に応えて、共に朝陽を浴びるのだ。

 ずっと暗いままではあるが、時間自体は進んでいる。星が動いているし、私たちは腹が減る。この状況は一定の空間で起きており、始点は恐らく、勝手に灯ったあの炎だ。あれを境に、夜が終わらなくなった。いや、時間は進んでいるのだから、物凄くゆっくりと朝に向かっているのかもしれない。

「あの火、冷たい、て言うてたな」

 眠る不知火の頭を撫でつつ思い返す。冷えた匂いのする炎か。燃えていないのだから、炎と呼ぶものでもないだろうか。

 熱くもない、ただ光っているだけのなにか。不知火曰く、嗅いだことのない奇妙な匂いを放っており、何かしらがいる気配はする。

 はじめは熱のない灯火に対し、灯明台が使われていた頃の記憶ではないかと話したが、当たらずとも遠からずな印象が今はある。記憶の連続にしては、夜自体が進んでいるからだ。複数の夜を跨いでいるわけではなくて、一つの夜をじっくり見せられている。こう考える方が近いと思われる。

 どちらにせよ、あれはただの炎ではない。不知火や白い蛇のような異形の類かもしれないし、煙を吐いた骨のような人間の悔恨や執念の類かもしれない。

 なら、意思は存在しないだろうか? 理由もなく閉じ込められたのであればお手上げに近付いてしまうが、私が迂闊に団子を食べた時のような原因があるのだとすれば、打開に近付く。

 火が灯る原因。火打ち石は持っているが、使う前に灯っていた。つける動作も必要としない上に冷たいのであれば、炎ではなく、やはりただ単に光るだけの現象か……。

 現象?

 がばりと身を起こす。私の腹を枕にしていた不知火が、不満げに唸りながらこちらを見た。

「何、どうしたんだ」

「もしかすると、夜から出られるかもしれん」

 剥がれたままの着物を拾い、適当に羽織りながら家を見渡す。目当てのものは囲炉裏にあった。拾い上げて荷物に加え、帯を巻こうとしたところで不知火に腕を掴まれる。

「ちょっとくらい、説明しろよ。あれを壊すっていうなら、おれがやる。ハルのおかげで元気になったし。美味かった、ありがとう」

「いや、それは、そうやなくて」

 ぶり返した羞恥をどうにか抑える。

「……元気になったんは、良かった。説明なんやけど、わかりにくいかもしれんから、実際にやってみながら話すわ」

 帯をしっかり締め、荷物を全て持つ。不知火は首を捻りつつも従ってくれた。

 外は当然夜だ。真上にあった明るい星を探してみると、やはりまた、少しだけ位置がずれている。海の向こうはじっと暗い。生き物の気配も、あまりない。

 灯明台の光だけが、叫びのように灯り続けている。物悲しいほど、眩しい。

「不知火」

「ん?」

 返事をした不知火に、違う、と言ってから、灯明台を指差した。

「多分あれは、不知火や。……これは予想どころか勘やけど、この辺りの漁業がなくなったのも、あれが関係してると思う。なんにせよ不知火やとすればあんなところに置いたらあかんもんや。海の真ん中に、元いた場所に、返しに行こう」

 不知火は話を聞きながら、黙って灯明台を見つめていた。何を思っているかはわからないが、紅い瞳には親愛に似たものが滲んでおり、ほんの少しだけ妬けてしまった。

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