4

 不知火の起床を待つ間に自分も寝てしまった。目覚めると彼の姿がなく、慌てて家を飛び出した。外は当然のように夜のままだ。灯明台も燃えている。

 家を離れる前に、姿が見えた。こちらに歩いてくる不知火は獣状態で、ずぶ濡れだった。

「海にいたんか、どうしたんや?」

 不知火は離れた位置で体を振ってから、私の元へやってくる。

「ハルに、魚食ってもらおうと思って」

「そうか、心配したわ……」

「でも、いなかった。一匹も」

 来た当日には沢山泳いでいたと聞いた。夜に活動しない魚なのか、現在の状態が関係しているのかは判然としないが、引っ掛かる。

 不知火は落ち込んでいるのか、私の足元に蹲った。ただでさえ食事がなく空腹のところ、私のために無理をしてくれたのだ。嬉しいのだが、同時に心臓の辺りが締め付けられる。

「不知火、ありがとうな」

 傍に膝をつき、まだ濡れている体に手を回す。頭を擦り寄せてくる動きもどこか緩慢だ。

 早く原因を特定し、夜の中を抜けなければならない。どうにか一人で突き止めようと決め、元気のない不知火を立たせて家の中へと入らせる。あまり美味くはないだろうが、昨日の干し肉をいくつか傍に置いた。不知火はふんふんと匂いを嗅いでから、齧り付いて一つ食べた。

 頭を撫でてやり、出て行こうとするが阻まれた。尻尾に引き摺られて、不知火の隣まで戻ってしまった。

「行かなくていい」

「なんでや、ちゃんと調べんと、いつまでもここにおる羽目になるんやぞ」

「ハルは、一人で行くと、危ない目に遭うだろ。だから駄目だ、ちょっと休めば動けるから、待って」

「せやけど」

「ハルがいないと、眠りにくい」

 そう言われてしまっては二の句が消える。大人しく隣に寝そべって、満足そうな不知火に身を寄せた。余程体力を消耗しているのか、彼はすぐ眠りについた。また、心臓がじくじく痛む。

 不知火が辛い目に遭う事態は、嫌だ。母の姿を知らず、父は殆ど村に殺されたようなものであり、一人きりで暮らしていた彼は、もう充分辛かったはずだ。ただ、復讐のために山にいたのだ。やっと自由になったのだから、好きに食べて好きに生活して欲しい。耐え忍ぶ日々は二度と送って欲しくない。

 眠る姿をじっと見つめて、しばらく過ごした。外はずっと夜であるため明るさは変わらず、どのくらい経ったかも定かではない。そのうちに目を開けた不知火は、まず私の顔を舐めた。驚いていると、声を漏らして笑った。

「あんたとずっと二人きりなのは、いいな。静かだし、落ち着くよ」

 私も、それ自体は同じ気持ちだ。頷きで同意しつつ、起き上がって外に出てもいいか問い掛ける。不知火は了承しながら、私に巻き付けたままの尻尾を解いた。


 不知火と再び灯明台を調べたが、変わったところはやはり見つからなかった。ただ、時が止まっているわけではないとの確信は得た。不知火が石につけた爪跡がそのままな上に、星の位置がずれていた。

 家から正面を見ると、灯明台がある。はじめはその傍に、目立つ星が一つ、輝いていた。ところが今は、もっと高い位置にある。私たちの殆ど真上まで移動していた。

「おれは今まで気にも留めてなかったけど、星っていうのは、どうして動くんだ」

 不知火が真上を眺めながら呟いた。

「あれは、上に登ったあとは、下に落ちるんだろう。その後は、どう暮らしているんだ?」

「落ちとるわけやないよ、こう……ぐるっと回っとる、と思うのが一番、正解に近い。理屈は、ようわからんらしい。なんせあの星は、不知火の見えへんところに行くけども、時間が経てばまた現れる」

「同じところを、同じように回るのか?」

「時期によってずれるらしいけどな、俺も測ったことはあらへん。せやけど、回って戻ってくる」

 不知火は納得したように数度頷いて、カミサマか、と小さく漏らした。

「神様……あの、綺麗な蛇か?」

「うん。カミサマ、似たようなこと、言ってただろ。回るとか、なんとか」

「ああ、言うてたな。万物がそうとも限らんやろうけど、ある程度は回帰するもんなんかもしれへんね」

 なんだか禅問答じみてきた。話を切って、真上の星を少し見つめてから、灯明台に視線をやった。あれが明るいので、星自体、見える数が少ない。しかし、完全に止まった空間ではないとわかっただけでも、進展したと言える。

 もう少し調べてみようとするが、不知火に止められた。今度はどうしたのかと思えば、その場にぐったりと倒れてしまった。

「不知火?」

 膝をついて体を撫でる。不知火は首を振り、立ち上がろうとして、また蹲った。

「……、変だ、腹が減ってるってほど、減ってないのに、なんだ、これ」

「立てるか? 家までどうにか……」

「ごめん、引き摺ってくれ」

 そう言うや否や、不知火は人に変化して、縋るように抱き着いてきた。力に自信はないが、人の姿であればどうにか家まで運べた。床板の上に寝かせ、何か病気にでもなってしまったのかと頬や額を触ってみるが、不知火は元々体温が高いため測りづらい。でも苦しそうだとは、顔を見ればわかった。髪の合間から覗く目は、何かを堪えるように強く閉じている。

 何故不調を起こしたのか、根本はわからなくとも、思い当たる節はある。夜の中に入ってから、不知火は体力の消耗が激しかったように思う。普段ならば平気で走り回れているのに、疲れる回数が明らかに増えていた。

 それに彼は、一番の栄養になるであろう人間を、しばらく口にできていない。ここに辿り着く前も、人の姿はなかったから、何も食べてもらえていなかった。

 不知火は辛そうに、眉間に皺を寄せている。何かできることはないかと頭を撫で、着替えの着物をかけてやるが、気休めにもなりはしない。早く出なければ、しかしまだ原因がわからない、いっそ灯明台を壊してしまうか、それで一生出られなくなったとすれば。

 ……いや、そもそもは、私が興味を示したから、今の状況になっている。不知火は私を喜ばせようとしたからこそ、留まると言ってくれたのだ。

 だから、原因も責任も私にある。断って次の町へ向かえば良かった。そうすればこの状況にはならなかった、不知火が無闇に苦しむ状況など、生まれなかった。

 心臓がひどく痛い。張り裂けそうなほど苦しくて、眩暈を覚えた。

 その時だった。

 不知火が、ゆらりと身を起こした。こちらを向いたが逆光で、表情は読めなくとも真っ赤に燃える瞳は見えた。声をかける前に、素早く伸びた腕が私を捕らえた。力任せに倒されてから、はっとした。

 私が感じていたのは留まった後悔で、自分への怒りで、悔恨そのものだった。

 ゆっくり開いた彼の口には、鋭い牙が生えていた。

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