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 多少は緩和するらしく、不知火は顔の下半分に手拭いを巻き付けた。そのまま村の外に繰り出して空気を吸い込み、一度咳をしたが臭いは和らいだと報告してきた。しかし、不審である。通りがかった村人が、怪訝そうに不知火を見ていた。

「……やっぱり、下見には俺一人で行くわ」

 海辺の集落はそう遠くもないし、危険も然程ないだろう。そう考えたのだが不知火は首を横に振る。

「あんたはすぐ、カミサマとか毛玉のやつとか、変わったやつらに気に入られるんだから、おれがいる方がいいだろ」

「流石に、人間の集落付近にはあんまりおれへんのやないか?」

「おれは近くにいた」

「まあ、それもそうやけど……せめて顔は出そう、こっちおいで」

 不知火を伴い、宿へと一旦引き返した。床の掃除をしていた宿の人間を捕まえて、櫛を借りてから部屋へと戻る。

 不知火の正面に座り、ぼさぼさの髪に櫛を入れるが、即座に逃げられた。

「痛い!」

「ごめんごめん、引っ張ってもうたか?」

 櫛を手に持ったまま近付くが、唸り声で牽制される。更に近付こうとすれば目が赤く光り始めた。牙や爪も伸び出して、ぎょっとする。

「そんなに嫌か? 怒らんといてくれ」

「あんたじゃなかったら襲ってる!」

「ああ、そんなにか……」

 仕方なく櫛を畳に置き、半分獣状態の不知火に向けて両手を広げる。

「ほら、もう持ってへんからおいで。ちょっと整えるだけにしよう、見た目が怪しいと、俺もあなたも人里で動きにくいやろう? 赤い目も人間の姿の時はそう目立たんし、口元を隠すんなら目元だけでも出した方が、不審には思われへん」

 不知火は牙と爪を引っ込めつつ、一応傍に寄ってきた。そろそろと抱きついてくるので頭を撫でてやり、ついでに前髪を掻き分けて目元がわかるように髪の流れを調整する。赤い目は、薄暗い場所であればやはり目立つが、太陽の下であれば他にも色が多く、目につきにくいだろう。

 終わったと声をかける。不知火は頷き、私の顔を急にべろりと舐めた。

「おれを心配してる味は、美味くないけど嫌いじゃないよ」 

 美味くはないのかとつい苦笑する。やはり、不知火に対する感情であればなんでも旨味になる訳ではないようだ。


 櫛を宿の人間に返し、不知火を伴って外に出る。順当に歩けば昼頃には着くだろう。潮の臭いはまだ遠いが、景色の奥に山がないだけで、海が近いのだとわかる。

 海辺の集落に向かうための、整えられた道はあまりない。人が踏み均して出来た通り道が基本の通路らしかった。そう賑わっている地域ではないようだ。時折、漁業の商人らしい人間が、籠を背負って歩いている。

 林を突っ切る箇所があった。ちょうど良いので道を外れ、不知火と並んで木陰に座った。口元の布は邪魔そうだが慣れたらしく、平気な顔で道を見つめている。魚籠と釣竿を持った男が通りがかった。不知火は立ち上がり、素早く仕留めに行った。

 喉笛を潰された男は私のいる木陰まで引きずって来られた。助けて欲しいと訴えるように見つめられるが、できない相談なので首を振った。表情に絶望と恨みが差した。不知火が、嬉しそうに喉を鳴らした。

 食事が済んでから、旅の間に用意した手拭いを出した。人の姿に変えた不知火の口元を拭いてやり、乱れた髪を整えて目元を露わにした。私に美醜は判断しにくいのだが、整っている顔立ちだとは思う。彼の父親が見初めたという村娘に似ているのかもしれない。

「なあ、さっきの、またやって欲しい」

 歩き出して林を抜ける直前に不知火が言った。

「さっきのって……どれや? 口を拭くことか?」

「違う。さっき食ってる時に、助けて欲しそうなやつに、首振っただろ。ハルがいると、化け物に襲われてるのに助けてくれないって恨みが、起こりやすいんだと思う」

「まあ、そうやろうな。俺が昨日言うた試したいことも、その類の発露を促す調査みたいなもんやし」

「ハルは、頭がいいんだな」

「ええんかは分からんけど、不知火の役に立つんやったら嬉しい」

 不知火は目を細め、頭を擦り付けてくる。歩きながらなので、少しよろけた。人の姿の時でも力が強いのだ。

 林を抜けてからは、潮の独特な香りが濃くなった。海風が地上にも届いているらしい。開けた場所からは海の姿が見下ろせた。集落まで、そう遠くはない。

 不知火は一度くしゃみをした。潮がやはり辛いようだが、布を巻き直して歩く速度を早めた。

 砂浜が見えて来た。集落の入り口と繋がっているため、ほぼ到着だ。予想通りに昼前で、海も砂も明るかった。白黒の羽を持つ海鳥が、海の上で回っている。

「なにか、集まってるね」

 不知火の見つめる方向に、人だかりがあった。網でも引いているのかと思ったが、違った。

 十人程度の人間が、舟に花や魚を積んでいた。他にも色々乗せられているようだったが、遠目であるため判別はできなかった。そのうちに、男たちが舟を囲んで海へと入った。沖に押しやられた舟は、風に揺られながらゆったりと進んでいく。

 砂浜に残っている人々は合掌していた。なるほどと思ったが不可解でもあり、予想通りなら渡りに舟で、ちょうど良かった。



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