5

 勢いよく起き上がると有り得ないほど柔らかい壁にぶつかった。はじめは理解できずに混乱したが、じわじわ覚醒して、毛玉の彼だと気が付いた。腕を動かし、起きたのだと訴えれば、柔らかい壁もとい、毛玉の彼の体毛は私を解放してくれた。

 頭を振り、景色を確認する。森の奥深くだ。陽は登りつつあって、昼に向かう眩しさが木漏れ日として揺れていた。

「ああ、起きたのか、おはようハル」

 いつの間にか不知火が、獣の姿で外にいた。毛玉の体毛に鼻先を突っ込み、盛大にくしゃみをしてから、私の隣に来た。

「こいつ、人の過去を覗くのが、好きらしいよ」

「そうやろうな、たっぷり覗かれてもうたわ」

「だから昨日、引っ張って助けてやったのに」

「もっと早う言うてくれ、構わんから拗ねたんかと思うて気付かんかった」

「それもあったから、言うのが嫌だったんだよ」

 不知火は不貞腐れた声を出し、頭をぐりぐりと押し付けてくる。

 可愛らしいので撫でてやりつつ、毛玉の彼を横目に見た。彼は笛のような声で鳴いた。また頭の中で声がするかと思ったが、

「おれとハルが友達で、羨ましいらしいよ」

 その前に不知火が教えてくれた。

「ああ……この森の奥で一人やし、寂しいんかやっぱり」

「でも、静かにきのことかぶどうとかを食べて、鳥やら猪とじゃれて遊ぶ生活は、気に入ってるみたいだ」

「友達、ようけおるやないか」

 毛玉の彼はぴっぴと元気に鳴く。その声に反応したのか、友達らしき鳥が飛んできた。彼は喜び、体毛の中から小粒の木の実をいくつも落とした。

 鳥に囲まれる姿を、不知火と並んで見つめた。雨の気配はすっかりなくなり、晴れやかな雰囲気が森の中には満ちていた。


 不知火の食事を得るため、太陽が真上に来た頃合いに、毛玉の彼に別れを告げた。空気の抜けるような音を出され、不知火が寂しいらしいと嗅ぎながら代弁した。

 いつになるかはわからないが、また来ると約束をした。もう過去は覗かないで欲しいとお願いすれば、一応返事はしてくれた。

「過去くらい、見せてやれば」

 洞穴を離れて歩き始めると、不知火が人の姿に変わりつつ、人の気も知らずに言った。

「恥ずかしいやろ。それにもう、ほとんど見てもうたと思う」

「じゃあ、おれとあんたが初めて話した時の事も、あいつは知ってるのか」

「そうなるな」

 二人だけの秘密だった過去だ。知られてしまって勿体ないと思わないでもないが、人と異形の関わりに興味が出ること自体は理解できる。

「懐かしいね、ハル」

 過去を追うように不知火が呟いた。どこか心細そうに見え、少し迷うが、手を取った。相変わらず、熱い掌だった。雪の降る冬の日に触れた時と何も変わりはしない。

 街道に着くまで、手を握って歩いた。不知火は何も言わなかったが、街道が木々の隙間に見えた頃、後ろを振り返りつつ口を開いた。

「あの毛玉のやつ」

「うん?」

「偶に、この街道から人を連れてきて、過去を覗いてると思う」

「……人間の言葉を、理解しとったからか?」

 理解していると言うことは、覚えるくらいは聞いたと言うことだ。嫌な予感が過ぎる。不知火は頷きながら、赤い眼をゆっくり細めた。

「あいつ面白い匂いだし、おれも気に入ったけど、多分限度っていうのが、わからないやつなんだ。洞穴の奥、人の骨がいくつかあったよ。食べた風じゃなかった。うれしい過去も、思い出したくない過去も、なんでもかんでも覗き回って、殺しちまうんじゃないかな。あんたの村にはおれに驚いて怯えただけで死んだやつとかもいたしさ、そういう……心? に、攻撃するのを、あいつ無意識にやっちまってるんだと思う」

 何も言えなくなった。私も、危なかったかもしれないのだ。

 黙っていると不知火は私を横目で見て、微かに笑った。

「あんたは大丈夫だよ。そもそもが怯えないし、怖がらないしさ。もしも何かありそうなら、毛を引きちぎってやめさせるつもりだったから、会いに来たくなったらおれも一緒に来るよ」

 頷きつつ、反省した。私は昔から、異形に友好的過ぎるようだ。異形の皆との距離を改めると言ってはみるが、不知火は既に諦めているらしく、おれがいるときはいいよとぶっきらぼうに会話を切った。

 街道に出た後、笛のような音が小さく聞こえた。毛玉の彼だとは思ったが姿は見えず、林を抜ける頃には消えてしまい、届かなくなった。




(最奥にねむる・了)

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