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立ち止まっていても仕方がなく、ひとまず歩き始める。足元を確認してみるが一様に白く、どこを歩かされているのか判然としない。煙は、注意深く嗅げば、確かに臭った。鼻のきく彼は困っているだろう。私のためにも彼のためにも、早く合流しなくてはいけない。
腕を振ってみると、煙はわずかにそよいだ。発生元の子供は見当たらない。あの村の中なのだろうかと思うが、彼の言葉をそのまま飲み込むのであれば、村の存在自体があってはならない奇妙なものだ。信憑性は高い。彼は村人がどの山に逃げても、平気で回り込み齧り付いていた。地形や山の様子を記憶している動きだった。
歩きながら、何度か咳き込んだ。煙が喉で粘つき不快だった。探さなければと彼を呼ぼうとするが、名前がないためにうまく呼べず、おおい、だの、どこにいる、だの、あまり意味をなさない呼び掛けになってしまった。当然、返事もない。まるで煙が吸っているようだった。反響もせず、白さの中に、私の声は埋没した。仕方がないので更に歩いた。
一面を同じ色、それも白色に囲まれていると、随分不安になった。あまり感じることのない感情だ。彼の好物のひとつに数えられるかもしれない。
なら今、彼に会えば食われるのだろうか。それ自体は構わなかった。彼は私の村に恨みがあり、滅ぼした。私もまた、彼とは違う恨みをひとつ、村に対して抱えていたのだ。だから彼に食い殺される村人を黙って見ていた。つい最近の話なのだが、既に遠い日のようだ。まだ歩く。じわじわと疲弊が生まれてくる。
ああこれは、疲れさせる目的かもしれないと、垂れた汗か張り付いた煙かわからない水分を拭いながら、独り言を呟いた。その時だ。
白の煙の中に、灰色の影が浮かんだ。大きさがちょうど、獣の時の彼に近かったので、すぐさま駆け寄ったが、近づけば大きくなった。
全容も見えた。建物だった。村にあったような朽ちかけた住居ではなく、しっかりとした木造の建築物で、一見すると寺だった。
悩み、罠のようなものだろうとわかってはいたが、入ることにした。通り過ぎて歩き続けても白いだけだ。建物に近づくと、扉は勝手に左右に開いた。こうなるとあからさまに罠だったが、踏み入った。
中は広く、仕切りがなかった。板間が続いており、道場のような雰囲気だった。一番奥だけ段差があった。例えば寺社だとして、仏像や御神体を置いておくための場所だろう。そこには人が座っていた。煙を吐いた子供かと思ったが、余市だった。
「春之介さん」
大変嬉しそうな声で話し掛けてきた。返事はせずに歩み寄り、距離を開けて、胡座をかいた。背後で扉が閉まった。一瞬暗くなったがすぐさま明かりが灯り、空間にゆらめく白色の煙が私と余市を浮かび上がらせた。
「あの、ここから……この煙の中から、出して欲しいんやけど」
お願いしてみるが、余市は首を横に振る。
「春之介さん、この村の住人になってもらえませんか」
首を横に振ったばかりか、提案をし始める。
「嫌や。嫌やというか、なられへんやろ」
「大丈夫ですよ。匂いでわかります。それにあなたはわたしの出したお茶を飲んだじゃないですか」
「飲んだけども」
「加えて何故だかはわかりませんが、あなたは灰団子をお食べになっている。だから村民になれます。頷いてさえもらえれば、ここを出て暮らすことができますよ」
灰団子。思わず口元に手を当てる。覚えがあった、旅人の持っていた、子供が目の前で齧った、あの饅頭のことだと理解した。
周りの煙が一層白く、眩くなる。反射のように咳が出た。吸い込んだ煙が喉にも肺にも絡みつく。立ち上がって振り向くが扉がなかった。春之介さんと、余市が猫撫で声で呼んでくる。逃れようと走るが、扉にも壁にも辿り着かない。後ろから髪を掴まれる。強く引っ張られ、痛みに喘ぐ暇もなく引き倒された。肩をしたたかに打ち付けてしまい、激痛が走った。
余市がかぶさるように乗り上げてきた。痩けた頬と、血走った目が視界に入る。手には灰団子と呼ばれた饅頭を持っていた。私の食べたものよりもかなり大きい。余市はそれを私の口元に押し付けて、食べるようにと冷静な声で言ってきた。
必死なのだとはわかった。余市の村は滅びかけていて、どうにかしたいのだとは、よくわかった。でも飲むわけにはいかなかった。私は口を開き、灰団子ではなく、余市の指に齧り付いた。
煙の中に絶叫が響いた。噛みちぎるほどではなかったが、余市の指にはくっきりと歯形がついた。
体勢を崩した隙に体の下から抜け出した。とにかく逃げるしかないと、足に力を込めて走り始めた。
煙はどこまでもどこまでも続いている。真っ白な闇のようだった。何かにつまずき転びかけるが、なんとか立て直して更に走った。走ったけれど白かった。不安だった。彼の顔が見たかった。
ひたすらの白に挫けそうになる。その瞬間、またぐっと髪を掴まれ振り向けば怒った顔の余市がいた。煙の中を自在に行き来できるのだろうか。ぞっとしつつ腕を振り、手の甲が余市の肩を殴り付けるが、感触が妙だった。
余市の肩から続く腕は、関節を境にぼとりと落ちた。それはすぐさま腐って骨になった。白骨の腕は煙を吐いた。思わず叫びそうになったけれど、苦悶の表情で肩を押さえる余市を見て止まった。
いや、苦しむ余市の背後を見て、叫びを止めた。
白の中に炎のような赤があった。煙を掻き分け屈折しながら広がる赤色は、私を心の底から安堵させてくれたのだった。
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