3

 私の故郷と同じくらい、村は閑散としていた。人は十人ほどで、半数は老人だった。子供が一人だけいるらしかったが、姿は見えなかった。

 私達を住処に招き入れた男性は余市よいちと名乗り、欠けた湯呑に茶を淹れてくれた。飲んだことがあるのだろうかと隣を見れば、案の定彼は変な顔をして湯呑の中を覗いていた。

 余市に、名を聞かれた。茶を啜りつつ、

春之介はるのすけです」

 答えた瞬間、彼がさっとこちらを見た。

「あんた、名前あるのか」

「そらあるよ、言う機会があらへんかっただけや」

 私達のやり取りを聞いた余市は不思議そうにした。名前も知らずに二人旅をする理由がよくわからないようだったが、踏み入っては来ずに彼の名前を訪ねた。

「おれの名前はないから、気にしなくていいよ」

 彼はぶっきらぼうに告げてから、余市の住処をぐるりと見渡した。

「ひとりずまいなのか。この村はそもそも、なぜこんなところにあるんだ?」

「山奥の集落は、そう珍しくもないでしょう」

「ああ、この……この人も、山に囲まれた村の出身だから、わかるけど」

 彼に指されて、一応頷く。余市はそうですかと言いながら、嬉しそうに微笑んだ。

 気さくな雰囲気の人だった。山奥の、裕福とは言えないであろう村だが離れるつもりもなく、いつか朽ちるとしてもここに居続けると話した。

 自分の村を思い出す。異形の化け物に食い殺された村人たちの悲鳴や命乞いが、よみがえる。隣を見る。彼は湯呑みの中を見つめたまま黙り込んでおり、ふと顔を上げたかと思えば私の袖を引っ張った。

「村の中、見たい」

「興味があるんか?」

 彼は頷かない。しかし、余市の住処に長居するつもりもなかったため、従って腰を上げた。

「特に見どころのない村ですが、案内しましょうか?」

「いや、いい。行こう」

 ぐいぐいと袖を引かれ、困惑しつつも従った。外に出ると、数人の村人が出入り口前に立っていて、私たちと目が合うなり無言で背を向け去っていった。

 気味の悪さを感じた。彼を見ると、同じ思いかどうかはわからないが、眉間に皺を寄せていた。

「なんや、変な村やな」

 話し掛けながら、歩き出す。村は余市の言った通りに見どころはなく、木々を切り倒してどうにか作った程度の広さであり、住居はどれも古めかしい。いくつかは無人であるようだ。傍を離れて覗きに行った彼が、そう告げた。

「人間の住処が珍しいんか?」

 彼は長く一人、いや、一匹で暮らしていたはずだ。私の故郷近くの山を根城にし、村人を食い続けていたと知っている。村や集落を他に目にしたことがないのだろう。私もなかったが、書物や稀に訪れる旅人から見聞きして、華美な都や海沿いの街など、色々な住処についての知識があった。

 彼はしばらく黙っていた。やがて犬のようにぶるんと首を振り、出よう、と短く言った。

「それはええけど、なんも食わんでええんか?」

「いいよ、ここは駄目だ。やっぱりどうしても臭いがするし、それに……」

 不自然に言葉が切れた。彼の目は私の足元に向いていた。視線の先を探して足元を見ると、青白い顔の子供が一人、立っていた。

「ああ、こんにちは」

 しゃがみながら声をかける。子供は数歩下がってから、手に持っていた饅頭らしきものを齧った。見覚えがあった。あ、と思わず声に出た。彼が食い殺した旅人が持っていた、芋のような食べ物だった。

 あの旅人も、ここに寄ったのだろうか。考えていると、彼に襟元をぐいと引かれた。

「何をするんや」

「あんた、なんていうか、危機感がないっていうかさ、おれといるからって、気を抜きすぎだと思うよ」

「なんの話や」

 彼は子供を一瞥した。それからまた、私を見た。目の奥がゆっくり燃えて、赤くなっていった。

「いいか、おれはあんたの村の四方の山全部をねぐらにしていたんだぜ。それで、村とか集落は、あんたの村以外にはひとつもなかった。山の中はほとんど走り回ったし、間違いないよ。おれたちが眠った岩の窪地だって、あるってのを知ってたから、向かったんだ。だから変なんだ。こんな村、あるわけがないだろ。さっさと出て山を越えた方がいいに決まってる」

 ぼすん、と間抜けな音が響いた。足元にいた子供が発した音だった。うわ、と思わず悲鳴を漏らしてしまった。彼は威嚇するように唸ってから、くしゃみをした。

 子供の口と目から、真っ白な煙が立ち上っていた。それはあの、彼が食い殺した旅人の白骨が吐いていた煙と同じもののようだった。

 辺りは瞬く間に煙に包まれた。あの朝霧か、と思っている間に、彼の姿が見えなくなった。


 私は煙の中に取り残された。彼は見えず、探そうがどこまでもけぶっていた。非常にまずかった。なるほど私は異形である彼を共にした安堵があったのだと、ここで初めて気がついた。

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