貧民街の魔少年

第1話 珈琲を飲む男

「ジェイスンさん、仕事です。

 着いてきてください」


 アリスは言った。冒険者ギルドの中である。俺がギルドに出向いた途端、言われたのだった。


「いや、俺は休暇中なんだが」

「今、手の空いてる人間はあなたくらいなんです」


 そうかな。どう見てもギルドの待合室にたむろしてるのがたくさん居る。依頼票を見ながら考えてるヤツらもいるじゃねーか。


 すでにアリスは俺に背を向けて歩き出していた。

 賢明な俺はそれ以上言い返さず後を追う。この娘に何か言った場合、3倍以上の小言になって返ってくるのをすでに学習してるからである。どうもこの背の低い娘に俺は弱い。


 近くの食堂で暴力沙汰が起こった。その確認と連絡がアリスの役目らしい。

 俺はイナンナの街に詳しくない。まだこの街に来て、ひと月と経っていない新参者なのだ。

 石で出来た通りを歩いていく俺。周囲も石づくりの建物。大通りは人が多く行き交う。人々の身なりも良い。

 イナンナの街は治安が良い。東西を結ぶ街道の要所に在り、旅人も多く商業も盛んな街なのだ。

 アリスによると今俺達がいる大通りは一番安全な場所らしい。夜になると酔っぱらいのケンカくらいは有るものの、昼間は女性や子供が一人で歩いても平気なのだ。

 この街は周辺を騎士団がパトロールしている。街の内部は評議会による警護隊、商人達による自警団がいる。街で強盗やひったくりが居れば冒険者も手を貸す。もっとも冒険者はそれによる報奨金が目当てだ。

 大都市につきものの危険な通りは存在してる。

 街はずれの貧民街はよそ者が近づくのは自殺行為という物騒な場所だそうだ。それにしてもこの世界で最高クラスに安全な街だろう。


「……ならアリスちゃん独りで行けるだろう。

 何故俺も行くんだ?」

「暴力沙汰が現在進行形だったらどうするんです?

 ジェイスンさんはか弱い女性一人で行かせる気ですか?」


 いや、お前はか弱くない!



「こりゃ……ひどいな」


 店はメチャクチャだった。テーブルはひっくり返り、イスは原型を留めていない。人が大勢倒れている。野戦病院さながらだ。

 アリスは先に来ていた警護隊に捕まっている。緑色に塗られた軽装備に身を包んだ連中だ。警護隊の証らしい。


「季節外れの台風でも来たのか?」


 俺はアリスが仕事しているのを眺めるしかなかった。治療は俺の仕事じゃない。


「ハゲ頭の坊主だよ。そいつが店をこんなにしやがったんだ!」


 店の人間であろう、中年女性が俺に言ってくる。

 なんだって俺に言うのだ!


「大きな鉄棒でお客さんまでやられちまった」

「倒れてるのは客たちかい?」


「ウチの従業員も居るし、お客さんもいるよ」

「……あっちのひどくやられてるのは?」


 ほとんどの被害者は俺の見たところ重傷じゃない。棒でやられたと言ってたな。意識を失ってる人も脳震盪くらいだろう。


 俺が気にしたのは……2人ほど重傷の男がいるのだ。

 黒服を着込んだガタイのいい男ども。遠目に見ても手足の形が不自然だ。腕が、足が折れているのである。


「助けに来たってのにやられたのさ。

 普段偉そうにしてるくせにだらしない」


 中年女性の言葉がキツくなる。重傷男をよく見るとどうもマトモなご面相ではない。路地裏で出会ったら逃げ出したくなるような連中だった。

 

「アリス あの二人分かるか?」

「あれはコナー・ファミリーの組員ですね」


 ……マフィアか?!


「この店はコナー・ファミリーに属していたようです」



 広場で俺とアリスはお茶を飲んでいた。

 俺は少々興奮していた。広場の屋台で懐かしい匂いに遭遇したのだ。


 「おやじ、コーヒーがあるのか?」

 「ヘイッ、最近南方で流行っているお茶みたいなもんで。

  試しに仕入れたんでさ」


 以前にもこの世界で飲んだことは有る。が、悲しい事にほとんど流通していないのだ。

 たまに見かけるとどんな値段が付いていても飲まずにはいられない。今回は2年ぶりくらいだろうか。


 広場にはイスや丸テーブルが置かれてる。

 そろそろ昼が近い。周りには早めの昼食を屋台で買って食べる、そんな家族や旅人であふれてる。噴水の近くではカップルが談笑している。俺達は空いているテーブルとイスを見つけて休憩している。



「……それ、真っ黒ですよ。

 人間が飲める物なんですか?」

「ああ、大人向けの飲み物だからな。

 アリスには早いかな」


 俺はカップを顔に近付けてコーヒーの香りを楽しむ。


「一口試してみるか?」

「飲みます!」


 ……か……関節キス……

 アリスは何かブツブツ言っている。まだ口は着けていないんだが。


 一口飲んでアリスは吐き出した。


「に、苦いっ?!

 毒です、これ毒が入ってます」


 ミルクを入れてやるべきだったか。


 行きがけのアリスの説明には大事なポイントが抜けていた。

 イナンナの街の秩序を守っているのは騎士団、警護隊、自警団、だけじゃない。マフィアすなわち犯罪組織である。

 コナー・ファミリーはその代表格だという。

 この街で商売してる人間はコナー・ファミリーに金を納めて、揉め事を解決して貰っているワケだ。


「本当は……マフィアを無くして……

 自警団と冒険者ギルドの連携でやっていきたいんです」


「でもコナーは貴族とも繋がってます。

 いきなりコナー・ファミリーを敵に回すほどの力はギルドには無いです」


「フーン……見たところこの街は平和だ。

 コナー・ファミリーは最低限常識はわきまえてるってことだろう?」


「それは……日の当たるところはそうです。

 ……でも陰では!

 この前の事件みたいに女性が攫われている!

 ファミリーに逆らった店が潰されてる!」


 アリスは興奮して、涙目になっている。そういえば先日の事件で知人を亡くしたんだったか。


「分かった。

 良く知らないで言った俺が悪かった。

 謝るから泣かないでくれ」

「ジェイスンさんが悪いんじゃありません。

 謝らないでください」


「あっちの屋台で菓子を売ってたぜ。

 なにかおごるよ」

「……わたしを子供だと思ってませんか?

 ジェイスンさん、失礼です」


 ……そこは今夜お酒に誘うところです……

 また何か口の中でブツブツ言っている。


 俺はアリスから意識を別の方に向けていた。俺達のテーブルに近づいてくる連中がいるのである。


「よう、冒険者のジェイスンってのはお前だな!」


 3人組は広場には似合っていなかった。街中だってのに剣を鞘にも入れていない作法の無いヤツらである。


「いいや、俺はフレディ。

 神殿で働いてるんだ」


 俺は先日知り合った女性のプロフィールを無断借用した。


「……アリス、座ってるんだ。

 ただの人違いだよ」


 立ち上がって何か言いかけるアリスを黙らせる。

 男がジロジロおれを見る。


「黒髪、黒い瞳でやせっぽちのオッサン」

「コーザンさんに聞いた通りダロ」


 髪を赤く染め逆立てている男がナマリの入った言葉で答える。もう一人も似たような髪を染めた若僧だ。

 流行っているのか?

 目的はお洒落じゃなくて威嚇だろう。まっとうな商売の青年じゃないのは間違いないがプロのマフィアという雰囲気じゃない。路地裏の不良少年といったところだ。


 問題はその後ろにいるヤツだった。

 旅人の帽子トラベラーズハットを深くかぶり、マントで体を隠している。中身が分からないが、剣呑な雰囲気が漂っている。

 俺はそいつに注意を向けていた。

 案内役の不良少年2人と剣呑な実力者1人の3人組か。


「サマラさん、お願いします」

「……分かった。

 そいつを殺す」


 いや、会話の文脈がおかしい。そこは捕まえるとか痛い目に合わせるじゃないのか。

 見ると若僧2人も目を見開いている。予想外のセリフだったらしい。


 そいつが俺に向かって走って来た。

 マントから刀を抜いて!


 正気かよ?!

 辺りには昼食を楽しむ家族連れや、デートしているカップルがいる空間なのだ。狂気の沙汰だ。

 

 俺はイスで刃物を受け止めた。ところが、受け止めたと思ったイスの脚はキレイに両断されていた。

 飛び下がって、刀の攻撃範囲から離れる。マントの男から距離を取り観察する俺。


 周りにいた家族が叫び声を上げる。


「キャーーッ!!」

「なに? 何なの!」

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