◇[Jack in the box]
06-01
夏らしいことなんてなにひとつしないまま、夏休みが終わろうとしていた。
その日の朝、広瀬から部室に来るようにと連絡があった。そんなものがなくても俺は顔を出すつもりでいたので、なんだか不審に思ったけれど、いくら考えてみても思い当たる節がなかったので、頭を悩ませるのをやめて学校へと向かうことにした。中学時代から使っている自転車に乗って、学校までの道のりを走った。普段なら気にしないのだけれど、休み中となるとバス代がもったいないような気がしたのだ。その日の空はよく晴れていて、空気はあたたかく、風は穏やかだった。これなら大丈夫、と俺は思った。
通り過ぎていく景色は、やはりいつもと何も変わらない。
テイク・イット・イージー、と、篠原がいつかうたった曲を、俺は口ずさんだ。
肩の力を抜けよ。気楽にいこうぜ。くよくよするなよ。無理すんなよ。心配すんなよ。
きっと誰もが、肩の力をうまく抜けずにいる。だからこそ、そう歌っていたんだろう。それはきっと簡単なことじゃない。言い聞かせるみたいに、俺は鼻歌をうたう。テイク・イット・イージー、テイク・イット・イージー……。
額に汗を滲ませながら学校につくと、駐輪場でジャージ姿の何人かの生徒が話をしていた。水飲み場の水で、顔をおもいきり洗っている誰かがいた。
俺は彼らのことを気に留めなかったし、彼らも俺のことを気に留めなかった。
部室につくと、俺以外の三人は既に揃っていて、待ち構えるみたいにこちらを向いて並んで立っていた。
「おはよう。矢崎くん」
そう言ったのは広瀬だった。
「どうしたの、三人そろって」
怪訝に思って訊ねるけれど、三人はただ黙って顔を見合わせるだけだった。須川は何か企み顔で、名越はあきれたように苦笑して、広瀬だけが、いつもみたいな笑顔だった。
俺の質問には答えずに、
「待ってたよ」
と広瀬は言った。どうやら、待たせてしまったらしい。
「ねえ、矢崎くん。机の上を見てくれる?」
言われたとおりに、部室の中央にある机を見た。
名越が鶴を折っていた机、須川が脚本を書いていた机、広瀬が真っ白な箱を置いていた机。
そこに今は、小さな箱が置かれている。高さは十センチくらい。真四角ではなく、横に長い直方体だ。横幅が十五センチくらいだろうか。
また箱か、と俺は思った。
上面に蓋のついたその小箱は、淡い色彩の飾り紐で上下に括られて封をされていた。紐には造花の飾りがついていた。
「何に見える?」
「何って、箱に見えるけど」
広瀬は頷いてから問いを重ねた。
「何が入ってると思う?」
いつかのような彼女の問いかけに、俺もいつかと同じ答えを返す。
「わからない」
「だよね」
そう言って広瀬は笑った。
「箱の中身なんて、開けてみないとわかるわけないよね」
ただ戸惑うばかりの俺に、名越が声をかけてきた。
「開けてみろよ」
広瀬と須川に視線を向けると、彼女たちも順番に頷いた。
いったいなんなんだろう、と思わず考えたけれど、どうやら教えてくれるつもりはないらしい。箱を開けてみれば、わかることなのかもしれない。
俺はその箱を手に取った。軽いが、空というわけではなさそうだ。紐をほどけば簡単に開けられるはずだったけれど、固く結ばれてはずれない。どうやら、ずらすのが正解らしい。
飾り紐は幸いゴムでできているらしく、ずらすのは簡単だった。はずす途中で、何か一瞬違和感を覚えたが、それが何なのか考える前に紐をはずしきってしまった。
その瞬間、鮮やかな色彩が俺の目に文字通り飛び込んできた。驚いて思わず目を瞬かせたあと、その正体に気付いた。ひらひらと、紙吹雪が舞っている。あっけにとられたままもう一度箱を見ると、蓋が勝手に外れていて、中から奇妙な形をした紙が飛び出していた。
バネ仕掛けだ、と遅れて気付く。
なんだこれ、と思いながら、紙でできたバネの一番上の面に視線をやると、そこには愛らしいデザインのメモ用紙のようなものが貼り付けられていた。
「誕生日おめでとう」と、そこには小さくそっけない文字が並んでいる。
紙吹雪が舞い続けている。
「……誕生日?」
俺がそう呟いた瞬間に、パン、とそばから破裂音がした。
さまざまな色の紐が、俺の頭上からふりそそいだ。
火薬の匂い、かすかな白い煙。音の出所は、左右に立っていた須川と名越だった。彼らの手元にクラッカーを見つけて、遅れて納得する。
広瀬はくすくす笑っていた。
「矢崎くん」
驚いて声も出ないままの俺に、彼女はそう呼びかけてきて、いつもみたいな顔で笑った。
「誕生日、おめでとう」
あっけにとられたままの俺を見て、須川がくすくす笑った。
「なんだか、想像以上にうまくいったね」
名越もまた、俺の方を見て笑っていた。
「矢崎、まだびっくりしてるね」
「大成功だね」と広瀬は満足げに頷いた。
「会心の出来」
ああ、そうか、と遅れて気付いた。
誕生日。
俺の誕生日だ。
みんながあまりに楽しそうだから、俺までつられて笑ってしまった。
「おめでとう」と三人は順番に言った。なんだか大袈裟な気がしたけど、こいつらがこんなことを真面目に計画して実行に移したんだと思うと、ものすごく笑えた。
「ありがとう」と俺も素直に言えた。
本当にそう思った。
広瀬に言われてもう一度箱をよく見ると、バネ仕掛けの下の底は二重になっていた。
そのなかには、綺麗な袋にラッピングされたクッキーが入っていた。
紙吹雪とクラッカーの紐を片付けもせずに、俺たちはそのクッキーを四人で分けて食べた。
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