04-02



 広瀬がどうにか落ち着いてから、人形劇の話をすることになった。


 切り替えが早いのは広瀬の美点だろう。ときどきそれが冷淡なようにも見えるけれど、それでも尊敬すべき部分だ。とても真似できない。さっきまでのやりとりなんてなかったように、広瀬はいつもどおりの、おとなしくてどことなくふわふわした彼女に戻っていた。


「まず、人形は紙棒人形でやろうと思うんだ」


「というと?」


「イラストを描いた紙を棒に貼り付けて、下から動かすようなやつ」


「なるほど」


 ぬいぐるみのようなしっかりしたものを、と言われたらどうしようかと思っていたので、一安心だ。


「舞台に関してはわたしが日曜大工で立派なのつくるよ」


 部内で須川に次いで小柄な広瀬がトンカチ仕事というのも、男子としてはなんとも気まずいが、役割分担というのは向き不向きが重要だろう。俺や名越がやるよりも、広瀬がやった方がいいものが出来上がることは間違いない。


「そんなに大袈裟なものをつくる必要あるかな」


 名越の疑問に、広瀬は軽く答えた。


「いやあ、必要はないけど、そんなことでもしてないとわたし暇だし」


「……いや、他にもっと仕事あると思うけど」


「名越くんは、背景担当」


「人形劇って、背景あったっけ?」


「背景装置については舞台担当のわたしと相談して決めます」


「これから考えるわけか」


 広瀬は名越の言葉を半分以上無視していた。まだ拗ねているのかもしれない。


 他人事のようにそう思っていると、広瀬は不意に俺の方を指差した。


「というわけで、人形作りは矢崎くんの担当ね」


「人を指差すな」


「よろしく」


 俺の言葉もどうやら聞いてくれないらしい。人形作り、となるとイラストも描けということだろうか。絵なんてろくに描いたことがないけれど、まあ、背景と二択なら、どっちにしても絵心は必要だ。荷が重い、とも思うが、広瀬ならきっと、「気楽にやろうよ」と言ってくれることだろう。気楽にやろう。気楽に、気楽に……。


 気楽ってどんな感じだ?







 とにかく最初にすることは、須川の脚本を読み直すことだ。


 登場人物の数や特徴、話の雰囲気をしっかりと考慮して、認識を共有しておかなければ、キャラクターはファンシーなのに背景がリアルだったり、その逆だったりしかねない。もちろん俺たちは気楽にやるつもりではいたが、だからといって適当なもので妥協をするならやる意味がない。


 確認が済んだら買い出しだ。これは役割を考えて二手に分かれることにした。


 舞台と背景の担当者である名越と広瀬はホームセンターに、脚本と人形を担当する俺と須川は本屋に向かった。

 舞台のつくりを理解していた方が背景を描くときに全体図が想像しやすいだろうし、人形のイラストを描くなら脚本担当とのイメージの兼ね合いが重要になる。そう考えると自然な分かれかただった。


 本屋にやってきた須川と俺のふたりは、イラスト資料や画集、絵画の入門書の棚を睨みながら考え込んだ。


「わたしが言い出したことではあるんだけど」と須川は口を開いた。


「なに?」


「なかなかに難易度高いよね、人形劇って」


「紙芝居くらいにしとけばよかったのにな」


「その方がよかったかな……」


「まあ、できなかったらそのときはそのときだろ」


「矢崎のそういうところ、いいと思うよ」


 本気で言っているのか皮肉なのか判断がつかなくて、俺は返事をしなかった。そのまま棚に並んでいる本を適当に見繕って手にとって見る。なんとかルーミスさんの「やさしい人物画」を開くと、人体の構造やバランスや骨格などから話が始まっていた。勉強にはなりそうだが、今は地力をつけるよりドーピングをしたい。ものづくりという観点から見るとあまり好ましくはないが、トレースのようなことも考えるべきだろうか。


 人物用のものだけでなく、名越のために背景用の参考書も用意するべきだろうし、そうなると資料も必要だろう。


 いくらくらいするものなのか、と思って裏表紙を見て思わず呻いた。まあ、部の備品ということにすれば部費でどうにかなるだろう。幽霊部員が頭数になってくれていて助かった、と初めて思った。……そういえば、画材はどうするんだろう。


 訊こうと思って須川を見ると、彼女はぼーっとした様子だった。広瀬といい須川といい、今日はずいぶんこういうのが多い。


「どうした?」


「あ、ううん。関係ない話なんだけどさ。……わたし、てっきり、名越くんって佳代のことが好きなんだと思ってた」


「名越が? 広瀬を?」


 予想外の言葉だったので、思わず声が大きくなってしまった。


「そんなに意外?」


「うん。考えたこともなかった」


 とはいえ、それは名越に彼女がいることを知っていたからかもしれない。


「なんか、そういうふうに見えたんだけど、わたしの目もあてにならないね」


 誰の目だってあてにならないよ、と思ったけど、あえて口には出さなかった。


「ひとつ、矢崎に聞きたいことがあるんだけど、いい?」


「なに?」


「どうして佳代は、人形劇をつくろうなんて言い出したのかな」


「広瀬の考えなんて、俺が知るわけないだろ」


「それはそうなんだけどね。矢崎がいちばん、佳代のこと知ってそうだから」


 どうしてそう思うんだろう。俺は去年ろくに部室に顔を出していなかったから、広瀬と一緒にいる時間なら、名越の方が長いはずだ。俺が広瀬のことを須川以上に知っているとは思えない。そんなあれこれについても、言葉にすることはしない。


 もし広瀬と俺が実際以上に親しく見えるとしたら、それは篠原のことがあったからかもしれない。


「やっぱり、わたしに気を使ったのかな?」


「広瀬が? 須川に?」


 また、声が大きくなってしまった。


「ほら、遥ちゃんとのことがあった直後だったし」


 その呼び方はやめた方がいいと言ったのに、須川の中ではすっかり桐島が「遥ちゃん」で固まっているらしい。


「まあ、そういう部分もあるのかもな」


「やっぱりそう思う?」


「でも、そんなの本人じゃないとわからないよ」


「それはそうなんだけど」


「本人に訊けば?」


 べつに冷たくあしらうつもりはなかったけれど、俺が広瀬についてわかったようなことを言ったところで何にもならない。


 須川は苦笑した。


「うん。そうなんだけど、気を使われたのかなって思ったら、訊くのが怖くて」


 なんとなく、その気持ちはわかるような気がした。


 そういえば、とふと思い出す。


「あのさ須川。このあいだ言ってた、わらしべ長者の話なんだけど」


「ん。なに、急に?」


「いや。好きって言ってたの、何か理由があったのかなって。あとから無性に気になって」


 ああ、と納得した様子で彼女は頷く。


「改めて説明するとなると、なんだか照れくさいんだけどね」


「言いたくなければいいんだけど」


「言いたくないってことはないよ。矢崎はあの話、どのくらい知ってる?」


 なんとなく知っている気でいたが、そう訊ねられるとよく思い出せない。


「ある男が藁を持っていて、いろんなものと物々交換して、最終的には金持ちになる」


「うん。だいたいそんな感じなんだけど、わたしが好きなのは、その前」


「前?」


「うん。どうして男は、藁なんて持ってたと思う?」


「考えたこともなかった」


「でしょ」


 須川はちょっと得意げな顔をした。少し楽しそうにも見えて、なんとなく安心する。


「その青年はね、貧乏だったんだ。その生活をどうにかしたいっていうので、観音様に願掛けをしにいくの。すると、観音様はこう言うのね。『ここから出て最初に掴んだものを持って、旅に出なさい』。そしたら青年は、観音堂を出た途端に転んじゃって、その拍子に藁を掴んでしまう。それでもとにかくお告げの通り、藁を掴んで旅に出ることにするの」


 そういう始まりだったのか、と感心するが、それだけではどこが好きなのかわからない。


「わたしは、この主人公、すごいなあって思うの。なんでかわかる?」


「神頼みで貧乏から抜け出そうとするなんて都合のいいやつだな、と思う」


「そこは、まあ、そうかもね」と須川は苦笑した。


「でもね、この主人公は、藁を手に旅に出るんだよ。それってすごくない? もし矢崎だったらどう? だって青年は、観音堂を出てすぐに転んじゃうんだよ。転んじゃって、最初に掴んだものは、何の役にも立たないような一本の藁だったんだよ? わたしだったら、すぐに諦めちゃうよ。せっかく観音様のお告げがあったのに失敗しちゃったって、こんなの持ってたって何の役にも立たないって、きっと諦めちゃうよ」


 話しているうちに熱が入ったのか、須川の声が少しずつ大きくなる。首を巡らせて周囲を見て、近くに他の客がいないことを確認してほっとした。須川は恥じ入るように俯いてから、こほん、と咳払いをして、小声で話を続けた。


「でも、青年はとにかく旅に出るの。わたしがすごいと思うのはそこ。もし彼が、こんな藁なんて何の役にも立たない、どうにもならないガラクタだって言って、諦めて旅に出るのをやめていたら、彼はずっと貧乏暮らしだったんだよ。だからわたしは、あの話が好きなんだ。わたしがいま手にしているものが、わたしの目にはつまらないガラクタのように見えたとしても……それでもどこかに向かい続けたら、その藁は、何かになるかもしれない。わたしがあの話から受け取ったのは、そういうこと」


 須川はそう言い切ってから、俺の方を見てまた苦笑した。よくわからない、という思いが、また顔に出てしまっていたらしい。


「もしかしたら、藁を掴んで歩いた先でも、藁は藁のまま、ガラクタはガラクタのままかもしれない。旅に出たところでなにひとつ変わらないかもしれない。でも、旅に出なかったら、確実になにひとつ変わらないままなんだ」


 やっと、俺にも須川の言いたいことがわかりかけてきた。


 名越が須川の脚本を批判したとき、須川は思い切り落ち込んだ。俺はそのときのことがずっと不思議だった。自信があったわけでもなさそうなのに、彼女は誰かに慰められるまでもなく、自分で気持ちを立て直したのだ。そのときの打たれ強さの理由が、ようやくわかったような気がする。


 自分の話がつまらないかもしれない、誰の目にもとまらないかもしれない、どこにでもあるような、ありふれたものかもしれない……。そんなこと、きっと須川は百も承知なのだ。それでも彼女は脚本を書き続ける。自分でもわかるくらい稚拙だとしても、自分の思い通りになんてほとんどできなくても、誰かに馬鹿にされたとしても、それでも。


 いつか、何かになるかもしれないから。


「なかなかに感動的な解釈だな」と素直な気持ちを口に出すと、「バカにしてる?」と須川は邪推した。言葉では気持ちを伝えるというのは、なかなかうまくいかないらしい。


 話が終わったのを見計らったみたいに、ポケットの中で俺の携帯が鳴った。


 須川に一言謝ってから画面を見ると、どうやら名越からの電話らしい。


「もしもし?」


「矢崎、今どこ?」


「どこって、本屋だけど」


「ああ、そっか。あのさ、なんか広瀬が、今日は解散だって」


「解散?」


 買い物を済ませたあともう一度部室に集まって、打ち合わせをする手筈になっていたはずだった。広瀬が急にそういうことを言い出すのは珍しい。


「広瀬はどうしたの?」


「わからない。どこかから連絡があったらしくて、急用が出来たっていなくなった」


「そっか。何かあったのかな」


「だと思う。なんだかずいぶん慌ててたけど」


 それ以上詳しいことは名越にもわからないようだった。

 電話を切って事情を説明すると、須川は心配そうな顔をした。


「まあ、あらためて連絡が来るだろうし、今日は解散しとこう。名越もそのまま帰るって」


「名越くん、荷物大丈夫かな?」


「ああ、まだ買ってないって。資材は運ぶのが大変そうだから、今度織野に車を出してもらおうってことになったらしい」


「ああ、なるほど」


「織野が車を出してくれるか、疑問だけどな」


「たしかに」と頷いてから、須川は何気ない調子で言葉を続けた。


「佳代、どうしたのかな」


 さあ、と俺は肩をすくめた。


 俺と須川は、とりあえず簡単なイラストの入門書のようなものだけを買って、その場で別れることにした。


 外に出ると、じりじりとした日差しが石畳に投げつけられていた。少し向こうの景色が蜃気楼に歪んでいる。商店街は、いつもより人で賑わっているように見えた。ざわざわとした人々の気配、話し声、笑い声。頭上に広がる青い空と、どこからともなく響く蝉の声が、変に俺の気持ちを落ち着かなくさせる。


 その景色は、以前となにひとつ変わっていないように見える。


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