◇[Present]

02-01


 ボランティアという言葉は、ラテン語で「志願兵」を意味する語に由来しているらしい。そう教えてくれたのは名越だった。


 志願兵、義勇兵。ある目的や思想に賛同し、自らの意思で戦いの場に赴く人々。確信犯。血で血を洗うような語源のそれとは比べるべくもないだろうが、俺たちの所属する部も「ボランティア」という言葉を冠している。その名は、一般的に用いられている意味としても、原義と照らし合わせてみるにしても、「看板に偽りあり」ということになるだろう。


 去年の今くらいの季節に、広瀬が部室に工具箱を持ち込んだことがあった。

 なんでも、当時、彼女のクラスメイトのひとりである女の子が、一昔前のテレビゲームに熱中していたらしく、中古屋で気になったソフトを片っ端から買い集めてはプレイしていたというのだ。それでちょっと困ったことが起きた。 


 ゲームを起動すると、まず画面にバックアップデータの破損を伝えるメッセージが表示される。指示に従って再起動をおこなうと、ひとまず通常どおりにプレイできる。だが、セーブポイントでデータを記録して一旦電源を落とし、もう一度起動してみると、またバックアップデータの破損を伝えるメッセージが表れる。まさかと思いゲームを始めると、たしかに記録したはずのデータが消えている。


 何度やっても同じなのだ。ぜんぶ消えてなくなってしまう。


 けれど彼女は、すぐに諦めたりはしなかった。彼女が買い溜めたゲームソフトは、いくつかはプレイ済みだとは言え、まだまだたくさんある。


 不安になってそれらのカセットの起動を試みると、いくつかのソフトで同様の現象が確認できた。これが全部プレイできないなんてことになれば、金銭的にも痛手だし、それ以上に悲しい。彼女はとにかくそれらのゲームをプレイしたかったのだ。それに、いまこの場にあるソフトと同じものが、別の方法で手に入るとは限らない。ネットをさがしても見つからないことだってあるのだ。


 そこで彼女は、多くの人間がそうするように、この状況をいくつかのワードに分けてスマートフォンで検索してみた。こんなにもたくさんのソフトで同じことが起こっているのだから、自分のほかにも同じように困っている人がかならずいるはずだ。


 すると次のようなことがわかった。


 古いカセット式のゲームソフトの多くは、カートリッジ内部にセーブデータを保存するための電池を内蔵している。電池が切れてしまうとセーブデータが保存できず、表示上記録したことになっていても実際には記録できていない。この電池は通常十年程度はもつように設計されているが、カセット式のゲームハードの歴史は古く、二、三十以上前まで遡る。

 彼女は問題のカセットに貼られたラベルシールの右下に視線をやる。小さく記載された発売年数は、一九九五年。そのゲームは彼女よりも年上だった。


 原因がわかってしまえば、次はそれをどう解決するかだが、ここで彼女は途方に暮れた。調べてみると、とりうる対策は三つに分けられていた。


 ひとつは販売元の会社に修理を依頼すること。これに関しては「まだサポートしている」と書いてあるサイトと「サポートは終了している」と書いてあるサイトに分かれていた。実際に調べてみると、公式サイトにはサポート終了の記述があった。あらためて参考にしたページを見直してみると、その記事自体がもう既に十年近く前に書かれたものだった。


 ふたつめは業者に頼むというもの。調べるとすぐにそういうサービスをおこなっているゲームショップのサイトを見つけられたし、料金も高額というわけではなかった。ただ、郵送や手続きの手間があるし、交換したいカセットの本数を考えると決して安くはない。


 みっつめの手段は、自分で電池を交換するというものだった。言ってしまえば、カバーを外して基盤に取り付けられているボタン電池を新しくするだけの作業だし、手順を紹介しているサイトはいくつもあった。とはいえ、自分の手でやれるかと言われると自信がない。


 朝の教室でスマートフォンを片手に悩んでいた彼女に、どうしたの、と声をかけたのが広瀬だった。彼女が事情を説明すると、広瀬は「道具さえそろえば交換できるかもしれない」と言った。


 クラスメイトは悩んだが、結局広瀬に頼むことにした。


 業者に頼んだ方が確実だったのかもしれない。でも、「自分が持っている工具が使えるし、そんなに時間はかからないと思う」と広瀬が言った。彼女はその言葉を踏まえて検討し、頷いた。いくらか早く済むし、いくらか安上がりになる。

 なにより、彼女は、既に広瀬佳代という少女を信頼していた。少なくとも、自信のないことを自分から言い出すような子ではない、そして、もし失敗しても、彼女なら許せる、と。

 これは、彼女たちが入学式の日に出会ってから二ヶ月程度しか経っていなかったことを考えるとすさまじいことだ。


 後になって本人たちから聞かされた話だから、もしかしたら脚色があるのかもしれないが、いずれにせよ、彼女がその日のうちに広瀬に電池の交換を頼んだのは事実らしい。


「うまくいくとはかぎらないし、ひょっとしたら壊しちゃうかも」


 広瀬はそう言ったが、クラスメイトは覚悟を決めた様子だったという。


「もしそうなったとしても恨まないよ。このままだったらどうせ壊れてるのと一緒だもの」


 そうして広瀬は引きうけた。


 作業は部室で行われた。カセットのネジをはずしてカバーを取り外し、電池を固定する金具部分を小型のハンダゴテを使って溶かす。古い電池をはずし新しいものに交換すると、金具ごとテープで張り付け固定しなおした。カバーをネジで留めて完成だ。


 手間取ってはいたが、すべての工程を終えるまでに二十分とかかっていなかったと思う。様子を眺めていた俺は、彼女の手際のよさに感心した。


「ずいぶん手慣れてるな」


「こういうの好きなの」


「意外だ」


 照れくさそうに笑うと、広瀬は話をそらした。


「ネジがくせものだったね。普通のドライバーじゃ回せないやつだもん」


 彼女はピンセットとペンチを使って代用していた。「ネットに書いてあったから」と笑ったけれど、それをすぐに実践できるのは見事だ。ピンセットは曲がってしまっていたが。


「これでうまくいくといいんだけど」


 本体まで借りていればその場で確認できたのだが、さすがにあちらもそこまで手間をかけさせる気にはならなかったのだろう。


「まだ学校に残ってると思うから渡してくるね」


 広瀬がそう言って部室を後にしてから、俺は彼女のことについて少しだけ考えた。彼女はとんでもなく偉大なことをやってのけたのだと思った。讃えられていいし、誇っていい。


 翌日の広瀬のクラスメイトによると、それからは初期化されることもなくデータを保存できるようになったそうだ。

 彼女は作業にかかった費用を払おうとしたが、広瀬は「ほとんど買い足してないから」とそれを断った。クラスメイトが負担したのはボタン電池代だけだったということになる。


 でも、と続けようとするクラスメイトに、広瀬はこう言った。


「じゃあ、ジュースおごって」


 おもしろいのはそれからで、その子があまりに熱中するものだから、他のクラスメイトたちもゲームに興味をもつようになり、広瀬のクラスでレトロゲームのブームが巻き起こった。

 そして同様の現象に悩む者があらわれ、そのたびにクラスメイトたちは(男子までもが気まずげな顔をして)広瀬に電池の交換を頼むようになった。広瀬はそこそこ楽しげだった。


 その時期、ボランティア部の部室はゲームソフトの医務室だった。広瀬はひとつひとつ丁寧に治療していった。ほつれて破れたぬいぐるみをやさしく縫い直していくみたいにも見えた。


 彼女のその姿に、俺は母性のようなものすら感じた。彼女のやっていることのなかに、俺たちの生きるこの世界についての、なにかとんでもない秘密が隠されているんじゃないかという気さえした。たとえ実際にしていることが電池の交換だけだったとしても。


 クラスメイトたちはソフトを引き取りにくるとき、嬉しそうな顔で広瀬にお礼を言った。それと同時に多くの人間が、祠にお供え物でもするように、さまざまなお菓子や飲み物を広瀬のもとに置いていった。


 クッキーやチョコレートにはじまり、スナック菓子やキャンディ、駄菓子の袋詰、キャラメルにプレッツェル、購買部で金曜日にだけ数量限定で販売される人気のホイップパンを持ってくる奴もいた。


 広瀬はそれを受け取るたびに「ほんとにこんなのいいのに」と困り顔で縮こまっていたが、クラスメイトたちはほとんど押し付けるようにして部室に食料を残していった。


 たくさんのお菓子の扱いに困った広瀬は、自分が受け取った報酬を、俺や名越にもシェアしてくれた。おかげでその時期のボランティア部は食べるものには困らなかった。


「ボランティア部がこんなに報酬を受け取ったら、看板に偽りありってことになるね」


 名越は、机いっぱいに広げられたお菓子の山を見てそう苦笑した。


「営利目的じゃないもん」


 そう言いはしたものの、広瀬は「ボランティア」のつもりで電池交換を引きうけていたわけではないだろう。それはあくまでも彼女の個人的な親切であって、部活動の一環ではない。


 そのとき名越が、ボランティアの語源は志願兵を意味する言葉なのだと教えてくれた。


「だとしたらどっちにしても、ボランティアじゃないね」と広瀬は笑った。どっちだっていいや、というふうに。


 お菓子はあまりに多すぎて、俺たちだけで食べ尽くすことは不可能だった。それで、食べきれない分を全員に分配し、家族や近所の子供たちに配って食べてもらうことにした。


 広瀬や名越がどうだったかは知らないが、俺には少し難易度の高い任務だった。回ったのは二、三軒だったし、近くだったので労力はかからなかったが、玄関のチャイムを鳴らして家の人が出てくると、決まって「あら、柊ちゃん」となつかしそうに目を細められるのだ。

 そうして俺が事情を説明すると、「あのやかましかった柊ちゃんが敬語なんて使うようになって」と嬉しそうな顔をされる。そういう空気は面映ゆくて苦手だった。不思議と悪い気はしなかったけれど。


 さて、それは去年の六月の出来事だった。入学してから少し経ち、いくらか互いの存在に慣れてきたとはいえ、まだクラスメイトたちの間によそよそしい距離感が残っていた頃だ。


 レトロゲームは、そんな彼や彼女らの関係のいくつかを、静かに、さりげなく結びつけた。


 そのときの名残だろうか、ときどき広瀬と校内を歩いていると、彼女を「コテコ」と呼ぶ男子を見かけることがある。「その呼び方やめてよ」と、広瀬はいつも照れくさそうだった。


 広瀬の行為はボランティアでもなんでもない。うちのボランティア部はそれでいい。俺たちがそう決めた。

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