01-03
一度椅子に座ってしまうと、須川はもう他人のことなんて気にする様子もなく、誰かと話そうともしなかった。そういう態度は、不思議なくらいこの部の空気に馴染んでいる。
彼女は鞄の中から三つほど丸いカプセルを取り出して机の上に置いた。
「なにそれ」
気になって訊ねると、須川は意外そうな顔で返事をよこす。
「なにって、見たままだけど」
言いながら、彼女はカプセルをひとつ開けた。中にはビニールに包まれたフィギュアが入っている。どうやらトリケラトプスをかたどったものらしい。
カプセルトイだ。それはまあ、カプセルを見たら分かる。
「好きなの。こういうの」
説明が面倒だったのか、須川はそれ以上言葉を続けようとはしなかった。
ふたつめのカプセルからは、大きなダンゴムシのようなフィギュアが出てきた。
「それは?」
「深海生物」
「はあ。そんなのあるんだ」
「いろいろあるよ。蛇とか、クモとか、サソリとか」
「毒がありそうな奴ばっかりだな」
「生き物の生態とか、おもしろくない?」
「まあ、おもしろくはあるんだろうけど」
興味を持ったことがあんまりなかった。須川はそういう対応には慣れっこのようで、気にした様子もない。
「わたし、ウィキペディアとか見てるの好きなんだ。生き物とか、歴史上の事件とか、都市伝説とか、心理学用語とか」
「べつに聞き流してもらってもかまわない」というような言い方だったにせよ、須川が自分からそういうことを話すのが少し意外だった。
彼女は俺の方を見もせずに、トリケラトプスの模型を下から精査するように眺めはじめる。
「なるほどね」
須川がみっつめのカプセルに手を伸ばしたときに、また部室のドアが開けられた。やけに客人が多いなと思ったら、顔を見せたのは、さっき出ていったばかりの織野だった。
「言い忘れてたことがあった」
細長い腕で首のあたりを揉みほぐしながら、彼はパイプ椅子を自分で用意して窓辺に座る。
「広瀬、掃除しろって言ったのにやってないだろ」
顧問からの言葉に、広瀬は苦笑で答えた。
「そういう気分じゃなかったので」
「気分って。仮にも部活なんだぞ」
「仮にもボランティア部ですから、自発的じゃないと意味がありません」
「おまえらの自主性に任せてたら、卒業までなんにもしないだろうに」
呆れた溜め息を漏らしてから、織野はおかしそうに笑う。ここで叱るような人間だったら、ボランティア部はとっくに姿を変えていただろう。それから織野は机の上に載せられたフィギュアに気付き、興味深そうに視線をやった。
「なんだそれ。須川のか?」
「はい。ダイオウグソクムシです」
「ダイオウグソクムシ。へえ。名前は聞いたことがあるな」
「深海生物です。けっこう大きいんですよ」
「三葉虫とどっちが大きい?」
須川は三葉虫とダイオウグソクムシを比較するのが意外だったというように首をかしげた。
「個体によるんじゃないでしょうか」
「そういうもんか。ダイオウグソクムシっていうのは、どういう生き物なんだ?」
「なんでも、深海に沈んできた魚や鯨の死骸を食べるそうで、海の掃除屋とか呼ばれているそうです」
「海の掃除屋。へえ。掃除屋ね」
織野は感心したように息を吐いてから、「聞いたか広瀬」とマインスイーパに集中していた広瀬に声を掛けた。
「虫ですら掃除をするらしいぞ」
「それは虫に対する差別的発言ですよ」と広瀬が投げやりに返事をする。須川が苦笑しながら訂正した。
「ダイオウグソクムシは甲殻類ですけどね」
◇
織野は今日ばかりはしつこかった。いつもならタイミングを俺たちに委ねてくれるのだが、新学期が始まってもう二ヵ月、活動らしい活動もしていなかったので、いいかげん目に余ったのだろう。ひょっとしたら別の教師に嫌味でも言われたのかもしれない。
ゴミ拾いか掃除か、どっちか選んで今日中にやれ、やったふりでもいいから。織野はそう言った。
俺たちは顔を見合わせて、仕方なく決を採ることにした。ゴミ拾いと校内掃除、どっちがいいか。
全会一致でゴミ拾いになった。
建前上なにかの活動をする必要があると言っても、記録や功績が残るような活動ではない。その気安さはやりやすかった。だから本当は、面倒ではあっても嫌ではない。
臙脂色の指定ジャージに着替えて、用務員室で軍手とトングを借り、ゴミ袋を持つ。職員室に控えているから終わったら声をかけにこい、と、言い残して、織野は引っ込んだ。
「くれぐれも騒いだり人に迷惑をかけたりしないように。俺が面倒になるから」
もちろんわかってます、と広瀬が返事をした。
昨夜雨が降ったせいで、路面はまだ少し濡れていた。ゴミ拾いするのに都合がいいとは言えないが、仕方ない。
俺たちは校門を出てすぐの並木道を歩いた。吸殻、空き缶、どこかのレシート、風で飛ばされたらしいビニール袋。たくさん、というわけではないけれど、探すまでもなくそこらじゅうにゴミがある。ひとつひとつを拾い上げてゴミ袋に入れながら、広瀬は楽しそうに笑った。
「こういうのも久々だね」
考えてみれば、ゴミ拾いなんて最後にやったのは去年の秋くらいかもしれない。冬場は寒いし雪も降るので避けていた。それ以外にも、理由はいくつかあるけれど。
少なくとも、俺はしばらくのあいだ何もする気になれなかった。今だってそれからマシになったとは言いがたい。広瀬がどうかはわからないけれど。
「サボり部って聞いてたのになあ」
須川は拗ねたような声でそう言った。ごめんね、と広瀬が言うと、ううん、と須川は取り繕うように笑ってみせる。
「ねえ、ボランティア部って、いつもこのメンバーなの?」
幽霊部員が多いっていうのは聞いたけど、と、須川はそう言いながら器用にトングを使いこなして吸い殻を拾った。
「まあ、こういうのに参加するのは今いるメンバーかな」
名越の答えに、須川は考え込むような顔つきになった。
「部室にたまに顔を出す奴なら、まあ、もうひとりいるけど」
うちの学校は部活動の所属を生徒に義務付けているから、やる気のない奴らもどこかには入らなきゃいけない。それで適当な部に所属だけしてバイトをしたりするわけだ。なかにはあとから入りたい部を見つけて転部する奴もいる。とにかくボランティア部は、そういうやつらのための部、という側面を持っている。
「その人は掃除とかはしないってこと?」
「だね」
「それってなんかいやだね」
「そう?」
「だって、わたしたちが何かしても、ボランティア部としての活動になっちゃって、その人たちも一緒にやったような扱いになるんでしょう?」
「ああ、そうなるね」
名越と須川の会話を聞いていた広瀬が、コーヒーの空き缶を拾いながら口を挟んだ。
「たいせつなのは、やってやったぜーっていう充足感だよ」
俺と名越は声を揃えて笑った。顧問に言われて仕方なくやっているだけの俺たちには、充足感なんて言葉は似合わないし、嘘くさい。広瀬だって、やるのもやらないのもどっちでもいいから、気にせずにいられるだけだろう。どうでもいいことで褒められようと、誰かに手柄を奪われようと、気にならない。もちろん、幽霊部員たちだって、自分たちがやったんだと誇らしげにはしないだろうし。
俺たちは学校の外周をぐるりと回るように歩くことにした。高校の敷地の裏手に少し足を伸ばすと、土手を挟んで大きく緩やかな川が横切っている。河川敷はテニスコートや野球場、子供向けの広場にローズガーデンまで揃った広大な公園になっている。
うちの高校の運動部の連中は、いつもそこでジョギングしたり練習したりしていた。川が近いことでいちばん恩恵を受けているのはカヌー部で、一応全国でも十指に入る強豪らしい。そもそも全国にどのくらいカヌー部があるのかは知らないが。
土手や公園が近くにあると、ゴミ拾いだって散歩のようなものだ。
「正直、わたし、好きなんだよね、ゴミ拾い」
「わからないでもないけどな」
独り言のように呟いた広瀬に返事をすると、彼女はこちらを向いて笑った。
「四季折々の風情を感じられるよね」
「俺はその境地には達してないけど。ゴミもあるし」
「だから拾うんでしょ?」
「風情のため?」
「そう、風情を感じたいがために」
「おおげさだな」
とはいえ、公園の敷地まで入ってしまうと、そこそこ管理されているらしく、ゴミはあまり見当たらない。綺麗にされていると、ものを捨てにくい雰囲気が生まれる。好循環と悪循環というのはさまざまなものに適用されるものらしい。
篠原が、いつだったかそんな話をしていたな、と思い出す。あれはいつのことだったっけ。去年の、今くらいの時期だろうか。
茂みに隠れた煙草の空箱や中身の残ったコーヒーの空き缶をゴミ袋に入れながら、俺は少しのあいだ記憶を手繰り寄せようとした。彼女はなんて言っていたんだっけ? 思い出せない。それでもしばらく考えてみる。いま思い出せなければ、一生思い出せないような気がする。
「矢崎くん、どうしたの?」
隣を歩く広瀬に訊ねられて、ハッとした。ぼーっとしてしまっていたみたいだ。篠原のことを考えていたんだ、とは答えづらくて、「なんでもない」とごまかした。
土手沿いに歩いている途中で、不意に名越が草むらに目を止めた。ちょっと前までなら菜の花が咲いていて目を惹かれることもあったが、六月の今はもう、ただの草むらでしかない。そう感じてしまうのは、きっと俺の知識と気持ちの問題なんだろうけど。
「どうした?」
俺の言葉に返事もせずに、名越は草むらへと踏み入った。土手の半ばまで降りていったかと思うと、何かを拾い上げて駆け上がってくる。どうやらゴミが落ちていたらしい。
「エロ本だ」と、名越は言う。
「おー、お宝だ」と、広瀬が冗談めかしてうれしそうな声をあげた。
「なんでこんなところに捨てるんだか」と、須川は心底呆れた感じで溜め息をつく。
急に、喉に何かが詰まるような違和感を覚えた。
「ちょっと読む?」と広瀬。
「濡れてくっついてる」と名越。
「やめなよ。早くいこう」今度は須川。
俺はそのやりとりを黙って聞いている。胸の内側がむかむかしてきた。変なものでも食べただろうか、と思い返してみるけれど、そういう記憶はない。
「矢崎くん、どうかした? さっきから、やけにぼーっとしてるけど」
広瀬は、名越から受け取った汚れた雑誌を子供のような素直な顔で掴んだまま、そう訊ねてくる。
「いや、大丈夫」
返事をして、努めて何でもないふうを装い、笑う。
「さっさと行こう」
「なに恥ずかしがってんの、矢崎くん」
「そういうわけじゃないけど……」
べつに、いつもどおりの馬鹿話なのに、気乗りしないのはどうしてだろう。
「ほら、早く行こう?」
仕切り屋っぽく手を叩いた須川の声に、広瀬は「はーい」と従った。早くも、広瀬と須川の関係性は固まってきたみたいだ。
胸のむかつきは、少し歩いたらなくなってくれた。
いい天気だった。こういうのを、本当の五月晴れっていうんだったか。雨雲の隙をついたような晴天だ。
六月の風の湿り気がかすかに肌を撫でつけた。土手の上には昨日の雨でできた水たまりがある。さっきまで考えていたことを、俺はもう忘れてしまっていた。
そうこうしているうちに一周して、俺たちはコンビニで飲み物を買ってから校舎に戻った。そんなに時間は潰れなかったけど、職員室にいくと、織野は気にした様子もなく「おう、お疲れ」とだけ言ってよこした。ゴミを拾ってきても拾ってこなくても、気付かないんじゃないだろうか。
部室に戻ってから、買ってきた飲み物で冗談めかして乾杯した。
「久々にやると、ちょっと楽しかったね」
「たまには悪くないかもね」
広瀬と名越のやりとりに、須川は心底不思議そうな顔をした。
「ねえ、本当にここってただのサボり部なの?」
何をいまさら、というふうに広瀬は笑った。
「そうだよ。せっかくだし、須川さんの入部記念に写真でも取ろうか」
言うが早いか広瀬はスマートフォンを取り出してカメラを起動した。俺達はほとんど無理矢理に横並びにさせられて、ほとんどあっけにとられたままシャッターの音を聞かされた。
そしてその日は、そのまま解散することになった。
須川が持っていたカプセルのみっつめの中身がなんだったのか、あとになって無性に気になったけれど、訊ねるタイミングを逸してしまってわからずじまいだった。
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