◇[Ark]
01-01
机の上に、箱が置かれていた。高さ三十センチくらいの白い六面体。
広瀬佳代は、その箱をしげしげと眺めてから、うん、と満足げに頷いて、
「会心の出来」
と笑った。
「これ、広瀬が作ったの?」
「そう。綺麗でしょ?」
綺麗、と言われると、そんな気もした。厚紙でつくったらしい白い箱。どこか安っぽさを感じるけれど、いびつでもないし、破れたりもしていない。だからといって、「うん、たしかにいい出来だね」なんて返事はできそうにもない。
どうしてわざわざこんなものを作ったのか、そもそもこれが完成形なのか、俺にはさっぱり見当もつかない。
「箱だね」と見たままの感想を口に出すと、広瀬はまた頷く。
「そう、箱です」
ご満悦な広瀬の表情は、むしろ俺を戸惑わせた。
「どうして箱なんて作ったの?」
「ふふふ」
広瀬はわざとらしく笑った。こんなふうに機嫌がいいとき、広瀬の態度は子供っぽくて見ていて楽しい。いつもはおとなしい分、余計にそう感じる。
開け放たれた部室の窓からは、六月の湿り気を帯びた風が吹き込んで、日に焼けたクリーム色のカーテンを揺らしていた。
どこか懐かしいような薄暗さのなかで、広瀬は得意な顔をして人差し指を立てた。
「矢崎柊一くん。クイズです」
「……はあ」
突然フルネームで呼ばれたことと、やけに芝居がかった広瀬の仕草とに戸惑いながら、俺は頷く。彼女は俺の反応を気にする様子もなく言葉を続けた。
「この箱には、何が入っているでしょう?」
言葉につられて、例の箱にもう一度視線をやる。なんでもない白い箱。上面には蓋がついていて、簡単にはずすことができそうだ。どこかに何かの文字が書いてあるわけでもないし、穴や切れ目が入っているわけでもない。大きさからいうと、大抵のものは入りそうに見える。この箱の中に、何が入っているか? 見当もつかないし、どうやらヒントもないらしい。
「わからない」
「そこをなんとかがんばって。あ、触ったらだめだよ」
思わず伸ばしかかった手を押しとどめて、俺は彼女の言葉に従う。
「持ち上げて重さをはかるのもアウトなの?」
「うん。だめ」
いよいよ難しい話になってきた。俺が両手をあげて降参のポーズをすると、広瀬は不服げに拗ねたみたいな顔をした。
「矢崎くん、付き合いわるい」
「どうしろって言うんだよ」
「もっとほら、わたしに質問して、それをヒントに当てるとか」
「ああ、なるほど。……いや、それだと、箱、いらないんじゃない?」
「ん? ああ、クイズとしては、そうかもね」
突然のクイズは、広瀬にとってはついでのようなものだったらしい。相手にされないからといって、気にした様子もなかった。単に、作り上げたものの出来栄えに自分で惚れ惚れして、上機嫌になっていただけなのかもしれない。
そう思ってすぐ、思いついたことがあった。
「からっぽ、とか言わないよな」
俺の言葉に、広瀬は一瞬ぴたりと動きを止めた。図星じゃないだろうな、と思っていると、彼女はわざとらしく咳払いをする。
「まあ、見ただけじゃわからないとは思うんだ」
何かをごまかすような口調でそう言ってから、彼女は机の上の箱を大事そうに撫でた。
広瀬がそれ以上何も言おうとしなかったので、俺は机の脇に出しっぱなしになっていたパイプ椅子の上に鞄を置いた。部室には、まだ俺と彼女しか来ていない。
ボランティア部の部室は東校舎三階の端っこにある。部員数は十二名。そのうち半数以上は幽霊部員で、ろくに顔を出さない。部室に頻繁に姿を見せるのは、三、四人がいいところだ。
部長は二年の広瀬佳代。主な仕事は、生徒総会や部長会議のときに、でっちあげた書類を読み上げて形だけの報告をするくらい。そのときは、名義上は副部長になっている俺も彼女の隣に座ることがある。
その部長が、放課後になってすぐ部室にやってきて、真っ白い奇妙な箱をつくっていた。
何を思ってそんなものをつくろうとしたのかはわからないし、ボランティア部の活動に関係のあるものなのかどうかも謎だが、まあ、関係なかったとしてもべつに文句はない。変なことをする奴だなあ、と思うだけだ。
俺が椅子に腰掛けると、広瀬は作業机の上に置きっぱなしだった箱を持ち上げて、部室の奥にある書棚の上にのせた。何かの置物みたいな扱いだ。
「それ、ここに置いとくの?」
「ダメ?」
「いや、べつにダメじゃないけど」
ダメじゃないけど、何の意味があるのか。持ち上げる瞬間の広瀬の腕の動きの感じから、空じゃないにしても中身は軽そうだな、とあたりをつけながら、俺は不思議に思う。そんな気持ちが顔に出ていたのか、広瀬は俺の方を見て困ったように笑った。
「これはね、矢崎くん。矢崎くんには、まだわからないと思うんだ」
「まだというと?」
「物事っていうのは、見かけ通りの意味じゃないことがあるからね」
大人みたいな一般論を口にしたのを最後に、広瀬はそれ以上箱について何かを言うのをやめた。べつに箱の中身に強い興味があったわけではないが、その言い方が妙に引っかかる。あとで彼女がいないときに確かめてやろう、と、そう心に決めた。
「それにしても、今日は名越、まだ来てないの?」
「うん。来ないのかもね」
なにせめったに活動しない部活だから、来る日も来る時間もみんなばらばらだ。
部長の広瀬だけは、毎日部室の鍵を開けるために誰よりも早く来て、帰り際に鍵を閉めるために誰よりも遅く帰っているが、他の部員たちにそういう責任感みたいなものはない。
前に一度、そんな広瀬を気の毒に思い、戸締りを分担しようと提案したこともあるのだが、「わたし、こういうの好きだし、部室にいるのも好きだし」と、まったく苦ではない様子で言うので任せることにしていた。本人がやりたいなら他人があれこれ口を出すこともない。
「そういえば、織野先生が、そろそろアリバイ作りに掃除やっとけって言ってた」
「アリバイ作りね」
顧問がそれを言うのだから、笑い話だ。俺たちが真面目な気分になって大掛かりな活動でもやりたがったら、文句でも言い出しかねない。たぶん、俺たちがそんな気分になることはないだろうけど。
「広瀬は掃除したい?」
「わたし、掃除嫌いじゃないよ。ゴミ拾いの方が好きだけど」
「でも、やりたい?」
「んー」と考え込むような間をおいてから、きまりが悪そうな顔をした。
「どっちでもいいけど、部室でぼーっとしてたほうが楽しいかな」
まあそうだよな、と思わず溜め息が漏れた。始めてしまえばそれほど苦痛ではないのだけれど、始めるまでが面倒だ。冬の朝の寝起きみたいなものだ。
「どうします? 副部長さん」
茶化した調子の広瀬の質問に、俺は肩をすくめた。
「まあ、やるしかないんだろうな」
俺の仕草が面白かったのか、広瀬はおかしそうに笑った。
「いつやる?」
「そろそろ名越も来るだろ。あいつが来たら相談しよう」
「名越くん、絶対嫌がるよね」
「やるとなったら逃げないだろ」
「まあ、そうだけど」
「嫌がったってやらせなきゃな。これでも一応、ボランティア部だし」
「……清掃部ってわけじゃ、ないはずだけどね」
それを言ったって、他にやることがないのだから仕方ない。
そんな話をしていたら、ドアの向こうから足音が近付いてきた。ああ、名越が来たのだな、ととっさに思ったが、どうやら違うらしい。足音は扉の前で止まり、かわりに、こんこん、という軽いノックの音が響いた。名越ならノックなんてしない。
「誰だろうね」
「さあ?」
「はーい」
返事をして椅子から立ち上がり、広瀬は部室の入り口に向かっていく。彼女がドアを開けると、向こう側からひとりの女生徒が顔を見せた。
「失礼します」
堂々とした様子の、小柄な女の子だった。
「ボランティア部の部室はここですか?」
「そうですよ」と答える広瀬の背中越しに、俺は突然の客人の様子をうかがう。
妙に鋭い目をしている、と一瞬思ったが、よく見ると気のせいだった。表情は穏やかで柔和そうだ。いくらか緊張した様子には見えるが、視線にも瞳にも強い印象は感じない。鋭そうに見えたのはなんだったんだろう。
「どちらさま?」
広瀬が訊ねる。渉外担当は彼女の役回りだ。女の子は一呼吸置いてから名乗った。
「わたし、須川小鳩って言います。二年B組……」
「あ、学年一緒だね。どうしたの?」
「入部したいの」
須川小鳩のその言葉に、広瀬はいかにも面食らったように目を丸くした。言っている意味がわからない、というように、言われた言葉をそのまま繰り返す。
「入部したい」
そう、と、須川は頷く。
「えっと、須川さん、二年生だよね? どうして急に?」
「いろいろ思うところがあって」
「これまでは部活に入ってなかったの?」
「演劇部にいたんだ。でも、退部した」
「演劇部。退部」
広瀬は言葉をひとつひとつ咀嚼するみたいに復唱する。その様子に須川は戸惑っているように見えた。
「えっとね、須川さん。うちがどんな部か、知ってる?」
「……どんな部って、ボランティア部でしょう?」
須川小鳩は、手に提げていた鞄からクリアファイルを取り出した。挟み込まれていた薄い冊子を開くと、真剣な顔で紙面に目を落とす。
「ボランティア部では、慈善活動を通じ、奉仕の心と社会参加への意識を育む為に活動しています。主な取り組みは、校内の清掃や町中のゴミ拾い活動などです。また、今年度は、顧問の先生と相談し、これまでしていなかったような新しい活動にも、可能な限り積極的に取り組んでみたいと考えています」
生真面目な調子で須川が読み上げたのは、どうやら今月の半ばに開かれた生徒総会の各部活動報告の書類らしい。真面目に読む奴もいるんだなあ、と俺は感心した。細かいところまで目を通している生徒なんて、てっきりいないだろうと思っていた。
「えっと、つまり須川さんは、ボランティア部の活動方針に賛同して、入部したくなったってことでいい?」
広瀬がそう話をまとめる。須川はまた頷く。真面目そうな奴だな、と他人事のように思う。
「どうする、矢崎くん?」
「なんで俺に訊く」
「だって、矢崎くんが書いたんじゃない、今年の活動報告と活動目標」
たしかに俺が書いた。広瀬が手間取っていたから、それらしく見える文章をでっちあげたのだ。毎年同じじゃ味気ないと思って、「新しい活動を」なんてことも書いた。予定としては、「顧問と相談しましたが特に新しい活動は始められませんでした」となるはずだった。それを読んで部に入りたいなんて言い出す奴がいるとは思わなかったのだ。
「……とにかく須川さんは、ボランティア部で慈善活動に取り組みたい、と」
広瀬の言い方が要領を得ないのか、須川は「さっきからそう言っているはずだけど」と訝しげな顔をする。
「なるほどね」
広瀬がちらりとこちらを見た。知らんぷりして黙っていると、彼女は諦めたみたいに溜め息をつく。
「あのね、須川さん。入部するのはかまわないんだけど、うちの部は人数が少ないし、大掛かりな活動もできない。部費も少ないしね。基本的に掃除とゴミ拾いくらいしかやることがないの」
「うん。でも、何か新しい活動を始めるつもりなんでしょう?」
「えっと、それは」
嘘でした、とはさすがに広瀬も言いにくいようだ。無理もない。俺だって言いたくない。
「その新しい活動って、何かもう考えてるの?」
「それは、うん。まだだね」
「だったら、入部すると同時にひとつ提案したいことがあるんだけど」
「提案?」
いよいよ悪い予感がしてきて、俺は目の前の女の子の様子を観察する。
俺と広瀬の視線にたじろぐこともなく、とっくに言うことは決まっていたといわんばかりの表情で、須川小鳩は口を開いた。
「人形劇をやらない?」
俺と広瀬は、その言葉に顔を見合わせた。
「人形劇?」
「そう。人形劇」
俺は思わず考え込んだ。
目つきに鋭さを感じた理由に、ようやく思い当たる。あれは、決意とか、熱意とか、そういうものに近しい何かだ。あまりに縁遠いものなので気が付かなかった。
演劇部を退部して、ボランティア部で人形劇をやりたがる理由は、俺にはよくわからない。でも、それが彼女にとって、何か重要な意味をもつことなのだということは伝わってきた。
かといって、それに付き合ってやる義理が俺たちにあるとは思えない。
「須川だっけ」
俺が口を挟むと、彼女は警戒した様子でこちらを見た。水を差されたような気になったのかもしれない。かまわずに言葉を続ける。
「入部するなら職員室にいる織野が顧問だ。入部届の用紙はそこでもらえる。活動内容に提案があるなら、そのあと織野も交えて部内ミーティングでもやろう。人形劇をやるかどうかは、ミーティングの結果次第だな」
須川は何か言いたげに口をもごもごと動かしたけれど、結局続く言葉はなかった。考えていることがわかりやすくて気の毒になるくらいだ。俺と広瀬が乗り気じゃないことになんて、彼女はとっくに気付いているだろう。
須川の沈んだ表情を見て、広瀬はこれ見よがしな溜め息をつくと、俺の首筋をぺしりと叩いた。
「矢崎くん、性格悪い」
たしなめるようにそう言われると、さすがに悪いような気もしてくる。何が悪いのかは、分からなかったが。
「ごめんね、須川さん。わたし、部長の広瀬。こっちの男子は副部長の矢崎くん。態度が悪いのは思春期のせいだろうから許してあげてね。それでね、人形劇についてなんだけど、ちょっとむずかしいと思う」
「……どうして?」
突然の話の成り行きについていけないのか、須川はにわかに気色ばんだ。広瀬は開き直ったみたいに平然とした顔をしている。
「だって、みんなやる気ないもの」
なんでもないことのように、広瀬は言う。須川はあっけにとられたように口をぽかんと開けた。
広瀬のこういう悪びれないところは、真似はできないが尊敬に値するかもしれない。
須川がどういう期待をしていたかはわからないが、ボランティア部は基本的にろくな活動をしていない。気まぐれに掃除やゴミ拾いをしているのは本当だが、そういうときを除けば、部室に集まってそれぞれに好き勝手なことをしているだけだ。
広瀬だって俺だってそこに文句はない。そうわかっているからこそ、顧問の織野も幽霊部員たちをのさばらせているのだろう。掃除なんかするくらいなら、俺だって部室でまったり本でも読んでいたい。部員全員、できれば真面目な慈善活動なんてしたくないのかもしれない。毎日毎日ぐだぐだ生きて、総会か何かのときだけ、「ボランティア部ではこれこれの慈善活動を通じて奉仕と社会参加の意識を高め……」とでも言うことができたら満足なのだ。
他の学校には真面目に活動してるボランティア部もあるのだろうし、そういう人たちにはなんとなく申し訳ないような気もするが、よそはよそ。俺たちには俺たちなりのスタイルというものがある。というほど、大袈裟な話でもないだろうが。
もっとも、この部がこんなありさまなのは、俺たちの責任ではないはずだ。ボランティア部は俺たちが入部する前からずっとそういうふうにやってきたらしい。言ってしまえば、これもひとつの、「部の伝統を重んじ……」という奴なのかもしれない。重んじるほどの伝統なのかどうかはさておき。
入部をするというのなら、そういう部だとわかったうえでしてもらわないと、あとになってお互い困るだけだ。
「やる気がない?」
今度は須川が、広瀬の言葉を鸚鵡返しにする番だった。
「そう。だからね、人形劇なんて誰もやりたがらないの。矢崎くんの言い方はまどろっこしかったけど、ようするにそういうこと。須川さんが入部して、人を集めて、ミーティングをして、多数決をとったところで、ぜひやりましょうなんて誰も言わない。顧問の織野先生も、きっとそうだと思うよ」
ここにきて、須川もようやく、広瀬が何を言わんとしているかを理解したようだった。
「つまり、ここはボランティア部じゃなくて……」
「うん。サボり部」
須川は眉を寄せて悔しそうな顔をしたかと思うと、背を向けて部室をあとにした。足音が徐々に遠ざかっていく。広瀬はそれが聞こえなくなるまで入口の方をじっと見つめていたが、やがて短い溜め息をついて、疲れたような顔で笑った。
「ちょっと悪いことしたかな?」
「事実だし、仕方ないだろうな」
たしかに、少し気の毒だったかもしれない、とは思う。だからといって、力になりたいと考えるほど殊勝な人間でもない。妙な期待をさせるくらいなら、最初から断ってしまった方がこちらとしてもずいぶん気楽だし、あちらとしても助かるだろう。
俺は何気なく、書棚の上に置かれた白い箱に目を向ける。
広瀬のつくった白い箱は、さっきからずっとそこに置かれたままだ。当たり前だけど、勝手に動いたりはしないし、壊れたりもしない。
箱の中に、何が入っていると思う? 広瀬の質問はこうだった。
じっと眺めていると、無性に気になってしまう。
「なあ、やっぱりからっぽなのか、その箱」
訊ねると、広瀬は少し考えるような素振りをみせてから、また、わざとらしく笑った。
「どうかな?」
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