カラフル・パンプキン・フィールズ

へーるしゃむ

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 篠原ひさぎと最初に会ったのがいつのことだったか、具体的には覚えていない。ただ、雨が降っていたことは思い出せる。


 柔らかにまとわりつく霧のような冷たい雨だった。

 灰色の雲が誰かの手で引き伸ばされたみたいに空を覆い尽くしていて、フェンスの向こうの景色は雨に煙って輪郭が滲んでいた。空気はしんと冷たく、じっとしているだけで肌の表面から体温が奪われていくようだった。

 青褪めていて、平坦で、どこまでも作り物めいた街並を眺めながら、なんだか夢の中にいるみたいだな、と、そう思ったのを覚えている。


 俺たちはそのとき、高校の屋上にいた。


 示し合わせたわけでもなければ、誰かに教わったわけでもないのに、俺たちはその日の屋上に居合わせた。俺は誰かがそこにいるなんて思ってもみなかったし、篠原の方も誰かが来るなんて考えもしなかっただろうと思う。


 それでも、俺が扉をあけて屋上に踏み入ったとき、篠原は既にそこに立っていた。


 鞄を背負って、お気に入りの青い傘を差して、霞がかった風景の一部として、フェンスの傍に立っていた。そこにいるのが当たり前のような顔をして。


 その瞬間に俺が抱いた奇妙な感覚については、うまく説明できない。

 詩情的な印象に反して、俺と彼女が交わした最初の言葉はひどく陳腐だった。


「何やってんの、こんなとこで」


 まず俺がそう言った。


 篠原は傘ごとくるりと振り向いてから、訝しげにこちらを眺め、


「べつに。そっちこそ」


 と、あんまり仲の良くないクラスメイトに話しかけられたときのような、そっけない調子で返事をよこした。

 どこまでもありふれていて、何の中身もない会話。それが俺と篠原の出会いだった。


 そのあとたいした話をしたわけでもないし、俺たちの関係に隠れた運命的な事実が明らかになることもなかった。たぶん、そんなものはどこにもないのだろう。


 起きたことだけを言うならば、同じ高校に通う同じ学年の男女が、ただ偶然同じ場所に向かい、そこで顔を合わせて、何気ない言葉を交わした、というだけの、どこまでも陳腐でありふれた話でしかない。


 それでも俺は、あの滲んだ水彩画のような景色と、ひっそりとした雨粒の冷たさと、その青褪めた風景の中に溶け込むように立っていた篠原ひさぎの姿を思い出す度に、なんだか夢の中にいるみたいだったな、と、そう思うのだ。

 




 そんな奇妙に青白い出会いの日から、俺と篠原は東校舎の屋上で顔を合わせるようになり、それがいつしか当たり前のようになっていった。

 二人並んで屋上の塔屋の壁にもたれ、他愛もない会話をいくつも交わした。 

 猫や、物語や、かぼちゃのことなんかについて。


「わたし、ときどき思うんだけどね」


 どこか眠たげな顔で、両手を膝の上で祈るように組み合わせて、篠原は言った。


「きっとわたしたち、本当はなんにもわかってないの」


「なんにも、って?」


「普段、わかったつもりになっていることについて、わたしたち、本当はなんにも知らないんだよ。きっと、自分が理解できる部分についてしかそれを知ろうとしないんだ。だから、知っているつもりになっちゃうの。本当は、なんにも知らないのに」


「よく、わからないんだけど」


 俺が首をかしげてみせると、彼女はふわりと笑った。小さな子どもを見るような、穏やかな顔つきだったことを思い出す。


「きっとそうやって、いろんなことを見逃しちゃうんだよ」


 彼女のその言葉が、塵や光や胞子のような、小さな小さな粒になって、いつまでもずっと空気の中を漂っているような、そんな錯覚を、俺は抱いた。


 今でもたまに、そのときの彼女の言葉を思い出して、考え込んでしまうことがある。俺はいったい、何を知ったつもりになっているだろう、俺はいったい、何をわかったつもりになっているのだろう、と。


 たとえば、ひとつの真っ白な箱について、俺はどれだけのことを知っているのだろう。

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