第129話「Let's go, catch the midnight star」
*
空港の国際線乗り場に来ると、なぜだか気持ちが引き締まる。
修学旅行で飛行機に初めて乗ったばかりの俺だが、国際線のゲートの先は異世界に繋がっているのではないかと思うほどに、果てしなく遠い場所に思えた。
俺はさしたる手荷物もなく、ほぼ手ぶらという場違い極まりない状態で、白を基調した内装の日差しがまぶしいほどに差し込む国際線ロビーを抜けた。
保安検査場の前には規制ロープが迷路のように張られ、すでに人が行列している。
その横に離れた場所では、今から国際線に乗り海外へ赴くであろう人たちが談笑したり、バックパックに荷物を詰め込んだりしていた。
「あ、クチナシ。こっちこっち」
そこで、神宮寺サラはいつもと変わらない表情で手を振り俺を招いた。
その場には、機内に持ち込める大きさのキャリーバックと、今回は彼女の付き添いとしてイギリスに同行する母親のオリビアさんが立っていた。
そして、俺と同じく見送りに来た父親の晴一さんの他に、柊木やスパコン、ランボーも既に集合して居た。
「おせェぞ、クチナシ。姐御の出所日に遅れたらただじゃ済まされねェぞ」
「ハァ? ちょっとランボー、変な言い方しないでよ」
ランボーとサラは愉快に笑いながら、俺を迎えた。
俺はそこに上手い返事も出来ぬまま合流する。
今日が、夏休みの最終日。
そして、サラがイギリスに旅立つ日でもある。
向こうではオリビアさんの親戚の家に滞在するそうで、しばらくの間はオリビアさんも同居するから生活の心配はないという。
「……ああ、サラ。何かあったらすぐに私に連絡をするんだよ、特に、夜は早めに家に帰って……」
「ああもう、ハイハイ。お父さん、何回目? それ。私だってもう子供じゃないんだから」
「……そうかぁ、サラももう子供じゃないのかぁ、いやしかし年齢としてはまだまだ」
動揺しまくっている父親に、サラはあきれながらもふと笑みをこぼす。
「着いたら連絡するから。インターネットで通話もできるんだし」
「……そうだな。うむ。お父さんも仕事が落ち着けばすぐそっちに行くよ」
親というものは、例えわずかな別れでもさみしいものなのだろう。
だが、それ以上に娘の成長を見守る父の眼差しは、強く光っていた。
その時、ロビーにはアナウンスが鳴り響き、保安検査場を通過する時間となった。
「おっと、そろそろ時間じゃね? めっちゃ混んでるぞ」
スパコンがスマホで時間を確認しながら言うと、サラは改まって全員に向き直った。
「みんな、お見送りありがとう。私もメッセで近況報告するから、みんなの活躍も聞かせてね」
サラが手を振りながらそう告げると、ランボー、スパコン、柊木は三者三様に別れの言葉を告げた。
俺は、改めて息を深く吸い込んだ。
「サラ、聞いてほしいことがあるんだ」
俺の真剣な声音に、彼女は僅かな笑みを湛えて静かに頷く。
「俺は……俺たちは、これからもバンドを続ける。音楽を奏で続ける。人に、伝え続けるよ。そして、それが沢山の人たちに響いて、でっかいステージでライブができるようになってやる」
ネクスト・サンライズでの、『Noke monaural』の最終結果は、二位だった。
一位は言うまでもなく彼らであり、世間ではメジャーデビューに向けた動向が話題となっている。
ちなみに、詳細な採点の中で、アキラさんと会場票の最高点は俺たちだった。
だけど、イベント会社とレコード会社、それにインターネット投票の点数では負ける結果となり、最終順位が決した。
それでも、俺は結果に満足している。
本当に欲しい人たちから、評価してもらえたからだ。
そして、一番答えを聞きたい相手は、目の前にいる。
「”賭け”は俺の負けだ……だけどいつか、俺たちのロックが海を超えて、サラのところまで届くように、俺はライブを続ける……だから、ええと、その、つまり……」
「俺は、サラのことが好きだ!」
俺は周りの人たちのことなど気にせず、思いの丈を叫んだ。
「いつの間にか、サラの楽しんでいる姿がみたい、ただそれだけのためにロックに打ち込んでいる俺がいた。いつか俺がサラにとって相応しい存在になれたら……俺のことも好きになってほしい」
「うん、わかった。クチナシの気持ち、確かに受け取りました。……私がまた日本に帰ってきたら、その時は凄いライブを見せてくれるって、期待しているね」
俺の飾らない気持ちに、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせて頷いた。
その時、ロビー内には再びアナウンスが流れ、搭乗する人は急ぎ保安検査場を通過するよう勧告がされる。
「サラ、そろそろ……」
オリビアさんが促すと、サラはくるりと背をむけ人並みに向かう。
保安検査場を通過すれば、もう引き返すことはできない。
俺は、徐々に遠のく彼女の後ろ姿をただ、規制ロープの外で、その場に立ち尽くして見守るしか無かった。
しかし、意を決したように彼女は手に持っていたキャリーバックをオリビアさんに預けると、勢いよく振り返りこちらに向かって猛進してきた。
驚く後続の人並みを掻き分け、彼女はロープ越しに、俺の正面に立った。
何か返事をくれるのかと、彼女の言葉を待つ俺はきっと間抜けな表情をしていたことだろう。
正面で向き合い、俺の目を覗き込むサラの表情が、イタズラっぽく光った。
次の瞬間、俺の両頬は彼女の両掌にガッチリと掴まれ、気がついた時には俺の唇に彼女の唇が重ねられていた。
脳から足先まで、電流が迸る。
時間にしておよそ2.8秒。
俺の神経は極限まで研ぎ澄まされていた。
唇を離した彼女は、潤んだ瞳のまま、極上の笑顔で言った。
「なってるの、もうとっくに。……なんてねっ」
次の瞬間、俺たちは見つめ合って笑いあった。
いつまでも、笑いすぎて涙が出るくらい、俺たちは笑った。
そして、その笑顔のまま俺はサラを見送った。
*
「ねえ、もうそろそろ行かない? 風も強いし、体悪くするよ」
気遣うように言う柊木に、けれど俺は「悪い、もう少し」といい、その場に立ち尽くした。
空港の屋上には、飛びゆく飛行機を眺めることができる展望デッキがある。
俺は、サラが保安検査場を通過した後、メッセでやり取りを続けながらも、彼女が乗った飛行機を見送るために移動した。
見えるわけないし、向こうからも俺のことが見える訳がないのはわかっている。
だけど、俺は溢れ出る涙をどうしても抑えることができなくて、どこか遠くを見つめたくなり、展望デッキのフェンスにずっとしがみついていた。
まだ、頬を伝う涙は途切れない。
お互いの気持ちは確認しあった。俺は幸せだ。
なのに、どうして涙が止まらないんだ。
俺は、とっくに飛行機の飛び去った青く広大な空を、日が暮れるまで眺めていた。
* * *
あれから、秋を迎え、冬を乗り越え、そしてまた春を迎える。
そのまま幾つもの、季節が過ぎ去った。
見上げると青く澄んだ空が広がり、風に沿って形を変えた雲がグラデーションのように彩っていた。
あの日と同じ空はもう二度と無いのだと分かっているが、見上げた空の先に何かを探してしまうのは人間の性なのかもしれない。
俺は高速道路のサービスエリアの片隅で、自動販売機で購入したアイスコーヒーの缶を片手に休憩していた。
ベンチの方ではホットスナックを貪る子供を連れた家族や、一人の時間を満喫する中年男性がソフトクリームを頬張っていた。
そろそろ眠気も取れたかな。
休憩した直後はまだまだイケる気がするのに車のハンドルを握った瞬間に睡魔が振り返す現象に名前をつけるべきだと、俺は1人脳内で提起しながら駐車場へ向けて歩を進める。
俺たちの機材を乗せたバンドワゴンは、この蒸し暑い炎天下の中、健気に走ってくれている。
薄汚れた俺たちの愛車に近づくと、助手席の窓からスパコンが顔を出した。
「おい、クチナシ。どこ行ってたんだよ。そろそろ始まるぞ」
スパコンは急かすように手招きする。
そして、もう一方の手でカーラジオのボリュームを上げた。
「いよいよだなァ。長かった気もするし、あっという間だったような気もするぜェ」
後部席からランボーが乗り出し、興奮気味にはしゃいでいる。
俺も全く同感だ。
これまでの時間が、はたして長かったというべきか、短かったというべきか。
その判断は今の俺にはまだできない。
何度もあの頃に思いを馳せ、色々な感情を想起し、そして最後には決まって一つの結論に行き着く。
俺たちの旅路はまだまだ途中で、この先どんなことが待っているのか、それは誰にもわからない。
ただ、俺はその未来を楽しみにしている。
いや、絶対に楽しいものにして見せる。後悔だけは、絶対にしない。
「よし、じゃあそろそろ出発するかぁ。聴きながら、次の街を目指そう」
俺は運転席に乗り込むと、ギヤをドライブに入れアクセルを踏み込んだ。
カーラジオからは、陽気なBGMと共に音楽情報番組が始まる。
『さあ、暑い夏のお昼、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか!』
『今日のミュージックトピックスのコーナー! 新進気鋭の若手バンドの紹介だ! 今月にメジャーファーストEPをリリースした彼らは全国のライブハウスを巡るツアーの真っ最中だ。今までは知る人ぞ知る隠れ人気バンドとして音楽マニアの間では知られていたが、遂に全国に向けて発進するぞ!』
『それでは早速、楽曲を聴いていただきましょう!『Noke monaural』で……』
心臓が鼓動する限り、音楽は鳴りやまない。
この道が続く限り、俺たちの旅は続く。
俺たちの音楽が、電波に乗り、海を越え、そしてこの空の続く場所で、あの子に届いてほしい。
俺のロックは、そういう音楽だ。
さあ、出発しよう。あの金色の輝きををつかまえに。
「『Let's go, catch the midnight star』!」
ノケモノロック Fin.
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