第127話「Samsara」


 見渡す限りの会場が、眼下に広がっている。

 いつもはその群衆のうちの一粒となってライブを客席側から盛り上げているのだが、今はステージの上でマイクを前に立っている。


 見上げれば、快晴の夏空が広がる。

 音はどこまでも飛んで行ってしまうだろう。


 ついに、ここまで来たんだ。

 思えば、俺が本当の意味で音楽と向き合い始めた時、アキラさんから『伝えたいことがあるなら』と言われ、当時の俺は『わからない』と答えた。

 それからいくつものライブを経験し、その度に俺は伝えたい事を見つけ、それを音楽にしてきた。

 

 今日、この場所で俺が伝えたいことはハッキリしている。

 あの春の日から俺の心の中に芽生え、季節を通じて成長し、そして今解き放つ思い。

 それは決して誰かのためでも、世の中に対する声明でも、真理めいた理屈でもない。

 ただ俺のため、俺の素直で飾らない、情けなくてしょうもない気持ちただ一つだ。


「……それでは、第一組目。『Noke monaural』です。どうぞ!」


 司会兼事前説明を行っていた早崎さんが、紹介を行う。

 おざなりな歓声が飛び交い、俺たちはスタンバイに入る。


 ついに始まる、ネクスト・サンライズ最終審査。

 会場はRISE・ALIVEの中でも小さいステージであり、オープニングアクトということで客足も完全ではないが、それでも数えきれないほどの人数が集まっていた。

 参加者の中でも『Hello! Mr.SUNSHINE』の知名度は高く、さらに審査後には有名アーティストによるパフォーマンスも告知されているため、注目度は高いのだろう。


 客席を見回しても、見知った顔を見つけることはできない。

 けれど、この場には俺と関わってきた沢山の人たちが訪れていることだろう。

 

「いくか」

「オウ!」

「いつでもいけるぜ」


 俺たち三人は最後に息を合わせ、気合の咆哮をした。

 このライブに、全力を尽くす。

 

 一曲目は、『river side moon』だ。

 スパコンのカウントから始まり、ランボーがアルペジオを美しく奏で上げる。

 いきなりの重い曲に、客席は戸惑いながらも手拍子をくれる。


 俺は語るように歌う。

 春の夜、川辺に浮かぶ月のように。

 朧げな道しるべをくれるその光は、俺の中で輝きを増していった。


 曲は後半にかけて大きく盛り上がり、空気を震撼させる。

 俺はもう、自分の歌、演奏だけに集中し、客席の反応など途中からどうでもよくなった。


 一曲目を歌い上げると、拍手が巻き起こる。

 だが、その余韻も消えぬ間に、次の曲へ突入する。


 激しいブリッジミュートを刻むギターと、ランボーのロックな歌声で始まるのは『ASAYAKE』だ。

 それまでため込んでいたような気持ちを、一気に爆発させる。

 日が昇り始め、走り出した俺たちを止める者はもう何もない。

 会場をうならせ一気に畳みかける。


 曲間を開けず、ノイズが響き渡る中、俺は次の曲の前奏として激しいスラップベースを打ち鳴らす。

 それに合わせてスパコンのドラムのリズムが変わり、会場をダンスフロアへと変貌させる。

 夢か現実か。

 その境界すらも曖昧にさせるような、魅惑的で煽情的なリズムは、ランボーのラップ歌唱とも相まってエキゾチックな色を出す。

 『白昼夢中への疾走』は、全ての人の血を滾らせ、夢のその先へと誘った。


 三曲を立て続けに演奏し終えると、一旦フィニッシュとなるようにスパコンが激しくドラムを打ち鳴らす。

 三人で息を合わせ、音を合わせると会場からは甲高い声援が飛んだ。


「オラァ! ノケモノラルだぜェ! 審査とか関係ねェ! まだまだ行けんのかよRISE・ALIVEァ!」


 ランボーの煽りに、客席も雄叫びで応戦する。

 そこらの高校生と高を括っていた音楽ファンたちが、負けじとライブに応戦する様は爽快だった。


「まだまだ歌い続けてェところだけどよォ、あとの二曲はァ、クチナシが歌うぜェ」

 ランボーからマイクを引き継ぎ、俺は会場を見回す。


 そこにいるはずの彼女と、そしてどこかにいるはずの彼女へ。

 俺はこの二曲を、それぞれ歌う。


 俺はアイコンタクトで二人に合図し、曲を始める。

 シンプルなコード進行で、キーは俺が最も歌いやすい音域だ。

 俺が生きている理由すべてに感謝を綴った『茜色の手紙』は、暮れてゆく日の鮮烈な紅と、押し寄せる寂しい蒼が同居する楽曲だ。

 

 俺は二度と忘れない。

 この曲に込めた思いを。

 初めは腕を組んで聞いていた客も、自然と体を揺らし手拍子を発生させてしまう魔力を持った楽曲は、やはり俺一人では生み出せなかっただろう。

 確かな形に残るものなんて、楽曲一つあればいいんだと、ようやく気が付いた。

 

 歌い終えると、会場からは静粛な拍手を受け取った。

 俺はそれに頷き返し、次が最後の曲であることを告げる。


「最後の曲をやる前に、少しだけこの場で話したいことがあるんです」


 俺は誰に向けるでもなく、マイクに向かってただ喋る。


「俺は、音楽に出会うまで。人に迷惑をかけないようにひっそりと暮らしていました。特に不自由もない……だけど、感動や衝動もない人生でした」


「それが悪いことではないと思います。だけど、音楽を始めてからは色々な経験をして、それまで感じたことない悲しみも経験して、沢山の人と関わって、徐々に色々な感情を知っていきました」


「俺は、恵まれていると思います。初めて音楽に向き合うきっかけをもらった時に、すでに答えは教えてもらっていました。『あとは誰に、何を伝えたいか』。俺の中で育った感情と、それを音楽で表現をする技術。そして、この最高の舞台に共にたどり着く仲間と。今、全てそろいました」


「すごく個人的な思いで恐縮ですが、それでも。俺の音楽が誰かの心に共鳴するのなら、それ以上ありがたいことはありません」


 ただ1人の人間に、この思いを伝えたい。

 『好きだ』という、ただそれだけの思いを伝えたい。


 そのために、こんな立派な舞台の貴重な時間を使って、俺の青春全てを捧げて身につけた演奏技術をもって表現する。

 こんな我儘で贅沢な事はない。

 俺は最高に幸せな人間だと思う。


 俺は視線を巡らせ、ランボーと頷きあう。


 ランボーが居てくれたから、このバンドに勢いが生まれた。

 バカすぎるほど真っ直ぐな男は、俺と全く違う性格で最初に会った時から殴り合いの喧嘩もした。

 時には、俺も本気で怒りを込めて叫んだこともある。

 だが、それでもこいつは突き進んだ。

 そのパワーがなければ、間違いなくこのバンドがここまでたどり着くことはなかっただろう。


 後ろを見やれば、スパコンがニヤリと笑みを浮かべてこちらを見ている。

 スパコンとしょうもない出会いをしたからこそ、俺がバンドを組むというきっかけが生まれた。

 皮肉屋で、時にはうだうだ文句を垂れていることもあるが、結局は俺についてきて実は何かとバランスをとって纏めてくれている。

 縁の下の力持ちとは言ったものだが、彼の性格や度量が無ければ俺たちが三人組としてまとまらなかっただろう。


 俺は、そんな2人の貴重な時間を共に過ごし、バンドに明け暮れ、そしてこの場所を勝ち取った。

 2人には感謝しかない。

 それまで必死に練習を積み重ねてきた曲ではなく、ほんの一週間ほど前に生まれた楽曲をこの場で演奏したいという、俺の個人的な願いにも応えてくれるのだから。


 この大舞台で、ただ1人の個人的な感情を、マイクに向かって叫ばせてもらうのだから。


 もはや大勢の観客に届くかどうかなど、知ったことではない。

 俺はただ一人のためだけに歌う。

 それが俺の、ノケモノとしての、正真正銘のロックだ。


「それでは、最後の曲です。この曲は、大切な人へ、伝えたい思いを歌にしました。聞いてください……『Samsara』」



 スパコンのカウントが、静まり返った会場に響いた。

 次の瞬間、空気が破裂する。


 俺たち三人が息を合わせてド頭から全力で掻き鳴らす。

 ランボーのディストーションを纏ったギターがオクターブ奏法で縦横無尽に駆け巡る。

 スパコンの超速ビートが鼓舞し、会場を一気に盛り上げる。


 ブリッジミュートを刻むAメロに、俺は歌い始める。

 歌詞は、全て英詞となっている。

 俺のヘタクソな英語はきっと、海外の人はおろか日本人からも失笑モノの内容だろう。

 だけど、俺はあえて英語にこだわった。

 いつだったか、英語の歌詞の曲を書き演奏することに憧れた瞬間があった。

 それはきっと、彼女と知り合ったからこそ、そう思うようになったんだ。


 ベースのフレーズは、もはや小賢しい理屈は無い。

 俺の手ぐせのままに、気持ちが突き進むままにただ音を弾く。

 むしろその方が、ランボーとスパコンのビートと合致して気持ちがいい。


 俺がシャウトすると、ランボーの高速オルタネイトピッキングとスパコンの超絶フィルインがテンションを一気に爆上げさせる。


 次の瞬間、ほんの一拍の空白。

 俺は大きく息を吸い込む。

 サビに突入し、全力を吐き出した。


 俺の歌はきっと、上手ではないのだろう。

 だけど、歌いたいと思った。

 それは、伝えたい気持ちがあるからだ。


 神宮寺サラに伝えたい。

 俺のちっぽけな青春に、鮮やかな金色で彩りを加えてくれた彼女に伝えたい。


 初めて俺が、誰かに歌で何かを伝えたいと思わせてくれたこと。

 俺が大きな壁にぶち当たって挫けそうになっても、優しく掬い上げてくれたこと。


 実はチーズケーキが好きで、歌はちょっと苦手で、俺たちの悪ノリにも楽しく付き合ってくれるところ。

 常に目標を高く持っている高貴なところ。


 そして、あの日俺に向けてくれた可憐な笑顔。


 そのどれもが愛おしくて、例え俺が何度生まれ変わったって、君に恋をするのだろう。

 そして俺は拙い言葉でもいいから、君と共に、夜空にまばゆい光を灯したいと願うのだ。


 そんな思いを、伝えたい。

 俺がサラのことを、本当に好きだということを。

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