第121話「確かな形のある物」
「この後、花火があるんですって。みんなで最後に集合して鑑賞しましょう!」
一番後輩のくせに、橘はそう仕切っていた。
俺たちのいつものメンツに加え、『LoL』と『Yellow Freesia』の面々も加わり大所帯となった。
バンド出演を終えた二組は、休憩と水分補給を兼ねて休憩所のある祭り実行本部の屋台の方へ向かっていった。
その他はそれぞれの組み合わせで、三々五々に散っていった。
俺は花火までの時間をどう過ごそうか、一瞬迷っていると肩をたたかれた。
振り向いた先に立つサラは、暮れ始めた夏の空を見上げながら、楽しそうな声音で言った。
「せっかくだし、色々見て回ろうよ」
そう促すサラに誘われて、俺たち二人は出店の並ぶお祭りの人混みに踏み出した。
行き交う人々は皆楽しそうに、祭りの空気を堪能している。
笑い合う学生、くじ引きで手に入れた玩具に夢中になる子供と付き添う親、そして恋人と仲睦まじく歩くカップル。
俺はそんな人々を、まるで異国の映像のように、遠くに感じていた。
去年の俺たちは、きっと彼らと同じような姿だったのだろう。
あれほど無邪気に楽しめていたことを、心底懐かしく思う。
「なんかあっという間だったよね、この一年間」
サラも俺と同じような感慨を抱いているのか、目を細めて景色をその目に焼き付けるようにしている。
「今でも、本当に不思議だなって思うんだ」
俺が何も言えずにいると、サラが続ける。
「私とクチナシは同じ学校の同じクラスに居て、だけど最初はお互いのことなんて全然知らなかった。多分、春藤祭の事がなければ、ずっとそのままだったよね」
春先のHRで、松本に委員会を押し付けられたのが、今思えばすべてのきっかけだ。
「私もずっと本当の自分と向き合う勇気がないままだったと思う。表面上は強く輝きを放って、でも不安で眠れない日にはベッドの中で泣いていたと思う」
「そうして、私がこうして留学を決意することもなかったはず。私は元々は、弱いから。平凡な公立高校の中だからこそ特殊な存在になっていただけで、広い世界で見ればありふれた凡庸で些細な存在だよね」
ごく普通の公立高校だったからこそ、サラの特異性には目を引いた。
確かに、校則がなければ髪の色なんて自由だし、世界規模でみればハーフの人なんて特別でも何でもない。
狭い世界の特別よりも、広い世界の凡庸でもいいと決意したからこそ、留学をして広い視野を手に入れて、本当の意味で自分を見つける旅に彼女は行くのだろう。
「何度思い返しても、あんたたちのバンドの中でも、クチナシが歌う曲はどこか特別。『river side moon』は私に歩き出す勇気をくれた。そして、『茜色の手紙』では、いろんな出会いに感謝する気持ちが湧いてきた。そして、ふと思ったの」
「どんな人間もいつかは灰になって消えてしまう。時間は常に有限。永遠に残る形なんて、この世にはないんだと思う」
俺の高校生活もあと半年で終わる。
その先は大学なのか就職なのかわからないが、環境は年を重ねあっという間に変わっていくだろう。
僕らが居たいのは永遠だなんて、ほんとに都合のいい話だ。
「だからね、私は人生の中でこの一年間のことがすごく好き。いつか年を取って、命がなくなったとしても、また生まれ変わって、こうしていろんな出会いを経て今みたいな気持ちになれたらいいなと思う。……そう信じていれば、少しばかり距離が離れていてもきっと大丈夫だよね」
「……なあ、金魚すくいでもやるか」
俺は、ふと視界に入った看板を見てつぶやいた。
今の俺には、何か気の利いた言葉も、彼女を安心させてあげられることも言えない。
気を張っていないと、俺の視界は潤んで前が見えなくなってしまいそうだから。
「んー、今日はいいかな。連れて帰れないし。クチナシが育てるの?」
「……いいや、そうだよな」
俺がぼんやりと答えると、サラは苦笑しながら言った。
「この後の花火、楽しみだね。いつの間にかクチナシも後輩つくって慕われてるし。今日は天気もいいし、最後にみんなで見れそうでよかったー」
サラは花火が心底楽しみなようで、無邪気に笑っている。
俺は、自然と言葉の中に入り込む“最後”という単語にいちいち心臓が反応する。
別に永遠に会えないわけじゃない。
ただ”高校生活最後の”というくらいの何気ない形容詞だ。
それなのに、俺は過敏に反応している。
不意に、脳内にある言葉が思い出される。
『だから、君もハッキリと覚悟をしといたほうがいいかもね』
その、覚悟という言葉の意味を、俺はようやく理解し始めていた。
俺は、ぼんやりとお祭りの出店に並ぶ、金魚掬いの水槽を眺めた。
ゆらゆら揺らめく水面の奥で、無数の金魚たちが泳いでいる。
それぞれ形も大きさも模様も違う彼らは、水槽の中を狭そうに行き交っていた。
この金魚たちはこの先、どんな運命を辿るのだろうか。
今は鬱陶しいほどの数の同族に囲まれた狭い水槽にいる。
だけど急に掬い上げられ、たった一匹で孤独に金魚鉢で飼われるのだろうか。
それとも、多くの植物や隠れ家が用意されたアクアリウムのような場所で、多くの魚と一緒に管理され快適に過ごすのだろうか。
俺とサラはこの先、どんな人生を歩むのだろうか。
「あ……」
俺は呆けた声がこぼれ出る。
俺とサラの間に、確かな形のある物などが無い気がする。
先ほど、露天商でランボーと川上が選んでいたように、何か形に残るものがあれば……。
「クチナシ? どうかした?」
表情は笑みを浮かべながらも、水槽を眺めたまま微動だにしない俺の事を心配する声音で、サラは聞いた。
「……ああ、いや……」
俺は彼女に向かって、なんでもない、と言う意味を込めて頷き返した時、視界がグラグラと揺らいだ。
そのまま、世界がぼやける。
すぐ近くにいるはずなのに、遠くでサラが慌てたように叫ぶ声がする。
夏祭りなのに、ひどく寒い。
俺の世界は夕暮れ時の茜色から、あっという間に深夜の暗闇へと移り変わった。
*
音が聞こえる。
水が滴るような、サラサラとした心地よい音がする。
俺は暗闇の中に1人立っていた。
目の前には、ガラスでできたような透明な階段がある。
螺旋状に伸びていくその階段を、俺は一段ずつ登って行った。
やがて、世界が白み始め、夜が明けたのだと悟る。
朝焼けに包まれながら、俺は温みを肌で感じ、さらに階段を登る。
ここはどこだろう。
辺りを見回すが、真っ白な雲海が眼下に広がるのみで、透明な螺旋階段を登る他に行くべき場所が無かった。
やがて、大きな丸い球体が頭上に現れる。
階段はそこに続いていた。
階段を登り切り、球体の中へたどり着くと、中はうす暗く丸い天井にそって光の粒が瞬いていた。
プラネタリウムのようなこの空間で、俺は思い至る。
そうだ、俺はサラと一緒に居たはずだ。
そして、夏まつりの最後の花火をみんなでそろってみる約束をしたんだ。
戻らなければいけない。
踵を返して球体から出ようとしたその時、急に音楽が鳴り響いた。
一瞬のメロディは楽器でも声でもない、感覚として俺の脳内に響いた。
全身の毛穴が開いたような、ゾッとする衝撃が駆け抜ける。
それまで聞いたどんな音楽よりも、俺の心臓を高鳴らせ高揚させた。
俺は闇雲に手を伸ばす。
忘れてはならない。
この感覚を覚えている間に、ベースを手にして曲にしなければならない。
使命感に駆られてネックを握りしめたとき、俺の視界はまぶしい光に包まれた。
真っ白な世界に、俺の意識は再び消え去った。
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