第119話「音楽の神様」


 春藤祭も過ぎ去った、とある日の放課後。

 俺は中高一貫して帰宅部であり、その帰宅におけるスキルはエース級であると自負していいる。


 通常であれば部活や委員会などに参加する生徒が多く、下校時刻となっても校門付近が混雑することはない。

 ただし、行事や学校の設備工事などがあると、完全下校時間が繰り上がり部活が休みになったりする。

 その場合は帰宅の難易度も跳ね上がる。


 うだうだ喋りながら帰宅する野球部グループはカバンが大きく通行の邪魔になりがちであったり、バス停付近はお喋り女子グループがいるため通り抜けるのが大変だ。


 今日がまさにそんな感じで、学校のボイラーの点検だか何かで部活や委員会が休みになっている。

 高校3年生であればこの機会を受験勉強のために有効活用するのであろうが、俺は練習に直行しようと早足で校門に向かっていた。


 すると、校門前で普段は見かけない人の流れを目にする。

 別に人だかりができているわけではないが、何かを注視しながら校門を抜ける生徒が多くいる。

 だが、彼らはその場を抜けると何事もなかったかのように下校を始める。

 まるで、野良猫を見かけ気にはなるけど構う程の気概も無い、という風情だ。


 俺は周囲を気にしながら校門を抜けると、その正体にすぐに気がついた。

 紅い頭の女子が、うちの校門に背をつけて流れる人々を観察している。

 そして、俺と目が合うと手を振って駆け寄ってきた。


「セイジ、お疲れ!」

「お、おう。どうしたんだ、こんなところで」

 アリサは彼女の学校の制服姿のままで、特にカバンも持たずに立っていた。

「まあ、別にどうもしてないんだけど。アタシも今日は学校が早く終わったし、たまにはセイジの学校でも覗こうかなって」

 アリサは、そう言いながらどんどん溢れてくる帰宅する学生たちを眺めていた。

 同級生の多くや、下級生に至ってはほぼ全員が俺の存在など認知していないに等しいのだが、アリサの見た目は十分目を引くのかみんながジロジロと俺たちのことを見てくる。


「まあ、なんだ。こんだけ人がいると落ち着かないし、場所を変えようか」

「うん、そうしよっか。ねえ、今日は練習何時まで? 夜は何時から会おっか」

 俺たちの関係を知らない人から見れば、なんだか意味深な会話の内容に思える。

 俺は何故か慌てながらアリサを促しとにかく場所を変えようとした時だった。


「アリサ、こんなところで何しているの」


 鋭い声が聞こえ、驚き振り向く。

 その声の主を見た後で、俺は再び驚いた。

 普段は温厚な柊木が、鋭い目つきで俺たちを睨んでいた。


「何って、別に? セイジと二人のユニットの活動時間を確認していただけよ」

「……ふうん、そう。別にメッセでも事足りるよね、それ」

 棘を含む物言いの柊木は、これまでの付き合いからは想像もできなかった。

 アリサも怪訝そうな声音を隠すこともせず、言い返す。


「……どういう意味? アタシが普段何をしていようと自由でしょ」

「そうだけど。バンドに迷惑をかけるようなことはやめてほしいの」

 その言葉の応酬に、不穏な空気を感じる。

 校門前は、通り過ぎる学生たちが俺たちのことをジロジロ見ていた。


「……別に、迷惑じゃ無いでしょ。バンド練習だって、ちゃんと行ってるし」

「ちゃんと? そっか。……言わせてもらうけど、最近のアリサの弾くフレーズは全然面白くないよ。はっきり言ってつまんない。教科書通りで、どこか遠慮気味なんだけど」

 冷たく言い放った柊木の言葉に、アリサもムキになって叫び返す。

「はぁ!? どういう意味よそれ」

「どうもこうもないよ。それに……」

 一拍、柊木が息を吸うと、それまで寸前で止まっていた言葉が決壊してしまったかのように流れ出てきた。


「最近、曲書けた?」


 その言葉は、アリサにとって大きな痛手となったのか、今度は彼女が息を呑む気配が伝わった。

 そして、それは俺も少し感じていたことでもある。

 『Umu』を結成し活動を始めてから、アリサは1人でまともに曲を完成させられていないのだった。

 これまでは、曲ができれば俺に音源を送り付け、その感想を求めるというのが頻繁にあった。

 しかし、この数か月はそのやり取りもない。

 そしてユニット用の曲を新たに作り始めても、うまく完成せず結局既存曲しかやっていないというのが実状だった。


「別にサボってるとかそういうのじゃないのはわかってる。でも、私たちのバンドも重要な時期でしょ? これからはライブハウスを中心に活動する。ネクスト・サンライズは落ちたけど、知名度は少しずつ広まってきている。これから私たちは受験を控えているから、この時期に少しでもライブを重ねて音源を公開しておかないと、忘れ去られるって話し合ったよね」

 柊木はさらに追い打ちをかける。


「今年も夏まつりのライブに出場することにしたよね。メンバーそれぞれで曲を作ろうって話してた。それなのに、アリサだけがまともに曲を書けてないよね」

「……う、うるさい、アタシだって、頑張ってやってるのに」

 柊木の言葉からは、ここ数か月のわずかなメンバー間の歪みが徐々に蓄積していたことがうかがえる。

 対するアリサも、精一杯の抵抗を示す。


「『頑張ってる』それだけじゃ誰にも伝わらないのは、もうわかってると思ってたけどな」

 柊木のその一言が最後の一撃となったのか、アリサは完全に目をそらした。


「もういい、アタシは帰る。今日は、ユニットも無し」

 そう、言い捨てたアリサは逃げるように走り去った。

 乱暴に袖で顔元をぬぐいながら、あっという間に姿は見えなくなった。

「あ、ちょっと……!」

 柊木はそこでようやく我に返ったのか、過ぎ去った背中に向けて手をさまよわせた。


「……なあ、部外者の俺があまり口を出すのもアレだが。流石に言い過ぎたんじゃないか」

 俺が口を開くと、柊木もうなだれるように足元へ視線を落とした。

「……うん、そうだね。でも、口が止まらなかった」

「イップスというかスランプというか。急に曲が全然書けなくなる時期もあるだろう。別にあいつも遊んでいて曲ができなかったわけじゃない。俺とユニット活動をしていても、『Yellow Freesia』のことをないがしろにしていた訳じゃなかった」

「うん、わかってる。わかってるんだよ。でも少しだけ、言いたくなったみたい……少しだけ、あの子がうらやましくなったみたい……」

 そこで、柊木も沈痛そうな顔を上げた。


「ごめん、朽林。あの子を、追いかけてあげて」

「……いいのか?」

「いいから。行って」

「……ああ。だけど、後でちゃんと和解するんだぞ」


 俺はそういうと、柊木と別れてアリサが走り去った方向へ足を運んだ。



 しばらく走った先、人気のない公園のブランコに、彼女はいた。

 目立つ赤色のおかげで、俺はその小さくなった姿を見逃さなかった。


「……アリサ。大丈夫か」

 その沈んだ頭に向かって、俺は声をかける。


「……うん。たぶん、大丈夫」

 そう呟く声は、いつもの元気はなくしわがれていた。

 俺はそれ以上何も言わずに、隣のブランコに腰掛ける。


 そのまま、沈黙するだけの時間が流れた。

 遠くで車が走る音や、カラスの鳴く声がする。

 俺はただ、そのまま茜色に暮れ行く空を眺めていた。


「……カズキ、怒ってた?」

「いいや、むしろへこんでたな」

「……そっか。そうだよね。たぶん、カズキもあんなこと言いたくなかったはずだよね。アタシが、ふがいないから……」

 そういい、ブランコのチェーンをぎゅっと握りしめた。

「あんまり自分を責めるなよ。柊木もきっと、色々打開策を考えているうちに煮詰まって、言い方がちょっと厳しくなっただけだろう」


「昔は、何も考えずに曲がどんどん降りてきてた。アタシはそれをギターで表現するだけで、勝手に曲が出来ていた。でもなんでだろ、最近は全然降りてこなくなっちゃった。音楽の神様は、アタシに試練を与えているのかな?」

 アリサは、独り言のようにそう呟いていた。

 俺は、その泣きそうな声に回答をすることはできない。

 これはたぶん、彼女たちのバンドで乗り越えるべき問題なのであって、俺が助力できることなど微々たることしかない気がする。

 だが、少しでも力になれるのなら、それは惜しまないつもりだ。


「『Umu』は、別にプレッシャーを感じる必要がない活動だ。自由に、ある意味で解放された時間だと思う」

 俺もアリサも、それぞれのメインのバンド活動における責任が大きくなりつつある。

 これまでの無鉄砲に戦いを挑むのではなく、時には冷酷な評価を受け止め成果を出していかなければならない時期に来ているのだろう。

 だからこそ、『Umu』は二人にとって息継ぎをするような、安らぐ時間であったのだろう。

「だから、『Umu』は必要ならいつでも、いつまでも活動していいんじゃないか。そうやって心が落ち着いたころに、ふっと曲が下りてきてくれることもあると思う」

 俺は、無理に励ますでもなく、ただバンド以外にも居場所は確かにあることだけを伝えたかった。


「ありがとう、セイジ。でももう少しだけ頑張ってみるよ」

 そういって、アリサはブランコから立ち上がるとその勢いのまま数歩先を歩いた。

 そして、「……それとも、もしかしたら」と俺に聞こえるか聞こえないかの小声で口を動かした。


「神様は、アタシにもう曲なんていらないって、言いたいのかな」


 後ろ姿のままそう呟いた声は、わずかに弾んでいて、でもどこか寂しそうな色をしていた。

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