第117話「涙がこぼれそうになる」

「それでは、出演者の方々は準備をお願いします」

 生徒会長の女子による事務的な声が体育館のステージ傍にある控え室に響いた。


 有志バンド各出演組は、お互い最後の確認をするかのように声を掛け合ったり、エイエイオーと掛け声で互いを鼓舞している。

 そんな中、あたしは1人立ち尽くしていた。


 結局、メンバーは誰1人やってこない。

 あたしには準備する楽器もない。丸腰だった。


「あの、準備……大丈夫ですか?」

 生徒会の女子が、心配そうに尋ねてくる。

 しかしそれは、あたしの事の心配ではなくこの後のライブの成否に対する心配なのだろう。

 あたしは、それでも首を縦に振るしかなかった。


 嗚呼、あの時と同じだ。

 中学生の卒業式後に、彼に告白をした時と。


 あたしの思いは、誰にも聞こえず、闇夜に消えていく。

 どうして、こんなに気持ちを込めていても、一生懸命に取り組んでいても、最後はこうなってしまうのだろう。

 

 楽屋でポツンと1人、まるで絶海の孤島に取り残されたかのようだ。


『お前、何のためにライブをするんだ』


 そんな時、ふと霧島先輩があたしに訊ねた言葉が想起される。

 あの時は、うまく答えることができなかった。

 あたしは、知らないことが多すぎたから。


 しかし、今ならわかる。

 あたしは、ただ憧れの人のようになりたかった。

 中学の時の告白と同じで『好きな人と一緒になりたい』、ただそれだけだ。


 何のために?

 その答えは、好きだから。


 ……じゃあ、なんで好き?


 あたしは、急に目の前が真っ暗になった。

 あれ? なんで好きなんだろう。

 

 あたしのことを、”あんまり喋った事ないから”というくだらない理由で振った男子を、なんで好きだったんだろう。

 本番前に楽屋で1人、ガタガタ震えるほど恐怖を覚えるライブを、音楽を、なんで好きなんだろう。


 誰にも寄る辺のないあたしは、頭の中でずっと自問自答を繰り返していた。


「……最初のバンドの方、本番お願いします」

 その時、無慈悲にもタイムオーバーを告げる声があたしを思考の海から引きずり上げた。


 それでも、あたしはステージに向かって足を運んだ。



 眩しい程のスポットライトは、まるであたしの肌を焼き焦がす様な熱量を持っていた。

 1人、体育館のステージの中心に立つ。


 これまでの人生の中で、例えば中学の卒業式で卒業証書をもらった時も、全校生徒の前に立ち一人でステージの中心まで歩いて行った。

 でも、その時とはまるで何もかもが異なっていた。

 

 それまでは楽しそうにはしゃいでいた観客たちの声も、ステージに現れたのが楽器を持たないあたし一人であることに気が付き、疑問のような騒めきに変わる。


 あたしを見つめる観客の視線は矢のように鋭く、「一体どうしたんだ」、「早く始めろ」と言わんばかりのプレッシャーを放っている。

 あたし自身も、情けなく足元がガクガク震え、もつれる足取りは遅かった。

 喉は水を失った砂漠のように干からびていた。

 

 それでも、マイクに向かって手を伸ばす。

 震える指先がマイクを掴み損ない、床にマイクが落ちた。

 ガツンと嫌な音が鳴り響き、観客の不機嫌な騒めきは強さを増す。


 あたしは、本当にバカだ。

 どうしてこんなに、不器用なのだろう。

 中学を卒業した日の告白から、何も変わっていない。

 ただ自分の中の流行りに感化され、誰からも理解されず独りぼっちで暗闇を彷徨うことになる。

 

 あの日と同じ。

 独りぼっち。


 あたしは、それでもマイクを拾い上げ、握りしめた。

 いいや、思い出せ。

 あの日、出会った音楽を。

 あたしを変えてくれた存在を。

 あたしの未来は、あたしが変えてやる。


「『LoL』です。よろしくおねがいします」

 あたしの声はのどに張り付いたかのような掠れ声だった。


「え、1人でやるの?」

「楽器も持ってないぞ」

「アカペラ? それともカラオケ?」

「あいつ、一年の変人だってよ、どうせふざけてんだろ」

「いいから真面目にやれー」


 客席からのヤジにも、あたしは負けない。

 マイクを握り締め、大きくいきを吸い、歌を歌う。


 憧れの、先輩たちの曲。

 歌うは、『river side moon』。

 あたしの声はプルプル震え、惨めに裏返る。

 伴奏もないから、リズムもめちゃくちゃ。

 呼吸はどんどん浅くなり、喉が掠れる。

 音程なんて、もうどこかへ行ってしまった。

 でも、絶対にやり遂げる。

 絶対に。


「なにこれ……」

「てか歌下手すぎだろ」

「公開処刑じゃん、笑えねぇー」

「早く帰れよ」


 あたしはあきらめない。

 だけど、あたしの意思に反して、目頭が熱くなってくる。

 涙がこぼれそうになる。

 

 なんで音楽が好きになったか。

 自問自答の答えを、あたしはまだ知らない。

 だけどあたしは、『誰かの何者か』になりたい。


 愛の告白をして、笑って流される存在は嫌なんだ。

 変人だからって、誰からも理解されないのはさみしいんだ。

 こんな辛い場面では、誰かに寄り添ってほしいんだ。


 あの日、あの夜。

 あたしの世界を変えてくれた、あんな存在になりたい。

 だから先輩たちのように、あたしも音楽がやりたい。

 そんなライブが、してみたいんだ。


 だから、まだだめだ。

 まだ諦めるな。

 歌い切って、やり切った後で、反省はそれからだ。


 ついに、息苦しくなって歌の途中で大きく深呼吸をした。

 そして、再びマイクに向かって歌を歌おうとした時だった。


「ちょっと待つっす!」

 

 普段はおっかなびっくりな声は、だけどこの時ばかりは力強く響いた。

 あたしはパッと、その声のする方に目を向ける。

 体育館の入り口側から、一人の女子が駆け込んでくるのが見えた。


「……ウチ抜きで勝手に始めないでほしいっす。遅れたのは申し訳ないっすけど」

「スズ……」

 高千穂スズは、ドラムスティックを手に持ち、騒めく観客たちを押しのけてステージに上がってきた。


「それに、最強の助っ人も連れてきたっすよ。エミリ」


 その言葉に、あたしは再び視線を体育館の入り口に向ける。

 同時に、体育館に集まった生徒たちから、大きな歓声が上がった。


 その最強の助っ人である2人の先輩は、楽器を片手にステージに向かって歩みを進めた。


「後輩のピンチなら、まあ仕方ないっしょ。ライブが失敗したら生徒会のメンツにも関わるしな」

 そう言いながらギターを担いだ霧島先輩がステージに上がると、会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こる。


「ま、もう1人の助っ人が足を引っ張らなければいいけど」

 そういう霧島先輩の背後からは、ベースを片手にクチナシ先輩が、仏頂面で続いた。


「……まあ、後輩のためだからな」

 ジロリと霧島先輩を一瞥すると、それぞれはステージの両端に立った。


「霧島先輩、クチナシ先輩……」

 あたしはどう感謝すればいいのか、やっぱり言葉が見つからない。

「とりあえず、まずはライブを無事終わらせてからだ。……思いっきり、ぶつけてやろうぜ」

 そういうと、クチナシ先輩はすれ違いざまにあたしの肩を軽く小突いた。


 そのおかげで、なんだかスイッチが入ったような気がする。


「……ハイ!」

 改めて、ライブを始める準備が、整った。

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