第83話「旅館特有の”あのスペース”」
修学旅行の一日目も、宿泊先の旅館に辿り着き高校生には少し物足りないボリュームの懐石料理を食した後、同級生たちと少し恥ずかしいイモ洗い状態で入浴し、ようやく和室客室でゆっくりと落ち着く時間帯となった。
学生たちは夜の九時までは自由に旅館内を闊歩できるが、それ以降は消灯時間となり部屋から出ることが禁じられる。
俺たちの部屋は、俺とスパコンの班仲間に加え、別の班の人間が二人いる。
名は中村と小林とか言ったか。
俺たち四人は特に馴れ合うような仕草もないが、生息する領域が明確に違う事は意識しあいながら同じ空間に同居していた。
中村と小林は、かつてのサラが所属していたようなカースト最上位でもなければ、俺たちと同類のような最下層でもない。いわば中間層の人間である。
「なあ、コバ。何時まで起きてる? てか女子の部屋とかいっちゃう?」
「まさかぁ。そんなとこ見つかったら内申に響くっしょ。でも誰か行ってんのかな?」
中村と小林はガヤガヤ声をわざと作ったような口調で、旅館特有の”あのスペース”で駄弁っている。
一方の俺とスパコンは早々に布団の椅子取りゲームに勝利し、自分の陣地となった布団にゴロゴロしながらスマホをいじっている。
「それなー。でもこの部屋に缶詰めもつまんなくね」
「はは。それな。てか中村は行ける女子とかいるん?」
中間層のクラスメイトというのは、ある意味で上位層の奴等よりも面倒くさい。
というのも、最上位の人間たちは下層の人間をナチュラルに見下して接してくるという鬱陶しさはあるのだが、それを除けば特に実害も少ない。
しかし中間層は事あるごとに『俺たちの方がまだ上だから。お前らよりも上位層と仲良くやれてるからな? 俺たちの方が空気読めてるから』というマウントを取って来るウザさがある。
今も、おそらく二人とも男女交際をしたこともないであろう中村と小林が、あたかも『女子なんてその気になりゃ彼女にできるぜ』的な空気を醸し出す雑談をしている。それをわざわざ俺たちに聞こえるように話しているのが一層うざったい。
俺は彼らの雑談を聴くとも聞かず、意識をスマホの画面に注力していると、彼らの話題が変わった。
「てかさ、コバはうちのクラスでさ、一番いいと思う女子って誰よ」
中村は、少し照れ臭さも交えながら、盟友にそう尋ねていた。
その話題には、なぜか俺も興味が湧き、小林がどう答えるのか聞き耳を立てる。
「うえー、どうだろ。別に好きとかそういうのは居ないけどさ」
予防線を張るな。素直に言えよ。
「もったいぶるなって。どうだ? ランクで言えば……一番は美野か?」
「うわー、まあ世間的に言えばそうかもしれんが、別にそこまでいいとは言えねえんだよなぁ。てか付き合いたいとは思わないな」
うんうん。それは確かに同意する。
美野は顔の派手さで言えば一番かも知れんが、男子心的にクラスイチの女子とは言えないんだよな。
内心でうんうん頷いていると、小林は返すように言う。
「まあ、顔だけで言えばやっぱ神宮寺?」
「まぁー……そうかな。てか、クチ男って神宮寺と付き合ってんの?」
うんうん、顔だけで言えば間違いな……。
「……えっ?」
急に話を振られ、俺は素直な声が漏れていた。
なんとなく聞き耳を立てていたのが恥ずかしくなる。
「いやだからさ、お前ら付き合ってんの?」
「いや……別にそういう訳じゃ、ないかな」
咄嗟に応える言葉に、なぜか部屋内の男子達三人の意識を集中するのを感じる。
「だよなぁー。まあそうだよなぁー」
中村は大げさに安堵したようにそう言った。
それば別に神宮寺サラに彼氏がいるかどうかという事よりも、クチ男程度に彼女が居るかどうかの確認が主だったようだ。
俺とサラは別に教室内で親し気に話すこともないが、男女の機微に敏感な高校生にとってみれば、俺たちが”付き合ってそう”というのはクラス内の共通認識だったようだ。
「でもさ、ぶっちゃけ言っていい?」
「なんだよ」
今度は小林が少し照れながら言う。
既に俺への確認は終えたのか、中間層男子達は二人の会話に戻っている。
「地味にさ、俺的にクラスの中で一番いい女だなってヤツと言えばさ。柊木だよな」
「ああ、それわかるー。なんかいいよな。美野みたくうるさくないし、神宮寺みたいなアレも無いしな。よく見れば顔もいけるし」
男子達がガヤガヤ騒ぐ声に、なぜか急激に俺の鼓動は高鳴った。
どこか、俺しか知らない筈の秘密の場所を侵されるような、不快感と焦燥感を覚える。
そうか、柊木って実は結構男子から人気あったんだなぁ。
と、ぼんやり考えながら、視線と指先は手にしたスマホに向けながら、頭の中では考えを膨らませる。
サラは顔立ちやスタイルで言えば一番人気がありそうだが、いかんせん過去の経緯的に好意の的にはならないというのが今の状況だ。
交際を申し込む度胸のある男子なんて、ごく一部だろうしな。
一方の柊木は、誰に対してもフラットな態度を崩さないので、少なくともマイナスな印象を持たれることもない。
今の彼女はおそらく、バンドに注力していて誰かと付き合っている風には見えないが、いずれは彼女にアタックする輩もあらわれるのだろうか。
彼女のバンドといえば、多村とかアリサもそういう関係の異性は……まあ、いなさそうだな。
多村は随所に思春期男子を狂わせる何かを醸し出しているが、彼女自身は兄妹の面倒を見るのに忙しそうだし、アリサはあの暴れ馬みたいな性格やバンドにバイトに作曲にと大忙しだろう。
そんなことを考えていると、スマホに通知が来た。
差出人はサラである。
『ちょっと、いい? どこかで話を』
とある。
俺は先ほどの会話のこともあり、極力何気ない風を装い「あー、少し土産物の売店でも物色してこようかな……あとちょっと腹も痛い気がするな……」と言い訳がましく言いながら部屋を出た。
修学旅行って、部屋のトイレが共通だとなんか落ち着かないよね。こう言っておけばスパコンも付いてくるとは言いずらいだろう。
*
俺は普段着兼寝間着用の薄手のパーカーをジャージの上に羽織り、旅館の入り口付近にあるベンチに腰かけていた。
ややあって、いつぞやと同じようなフードを被りスウェットを履いたサラが小走りに駆けてきた。
「どうかしたのか」
俺は、先ほどまでの部屋での会話を思い出し、少し照れ臭くなりながらも言葉少なく尋ねる。
「うん、まあ、ね……。柊木さんには売店を物色するって言って来てるから、ちょっと場所かえよ」
言い訳がモロ被りしていることに苦笑しながら、俺はサラの背中についていく。
いつぞやも、こんな風に夜の街を歩いた気がするなと思いながら。
しかし、彼女は周囲を少し見回すと、外出禁止のお触れを意に介さず正面ロビーから外に出た。
引き留める間もなく夜の街に繰り出す彼女に、俺はついていくしかなかった。
「場所変えるって、マジで外かよ……」
「いいじゃん、せっかくだし」
そういう彼女は、やはりいつぞやと同じように楽しんでいる様子だった。
というか、いったい話ってなんなんだよ。
*
夜の街を、二人で連れ立って歩く。
外出は禁止と強く言われていたので、これまた見つかればそこそこ大きな問題にされてしまうだろう。
サラがどこへ向かい、何の話をするのかは皆目見当もつかないが、もうこうなってはついていくほかない。
京都の夜は、少し湿ったような空気と、鮮やかな紅葉が見られる季節からもわかるように気温も下がっている。
旅館はそれほど街からは離れておらず、しばし歩くと市街地に出た。
「あっちの方、有名な川があるんだって。ほら、あんた川とか好きでしょ」
「いや、別に川なら何でも好きなわけじゃないぞ」
確かに俺の曲名にも川と入っているし、俺の音楽的原点は川辺でのアキラさんとの会話が大きいが、なんでもかんでも好きという訳ではない。
しかし、せっかく京都まで来たのだから、色々見ておきたいというのはそうだ。
促されるまま歩き続けると、大きな河川敷に突き当たった。
川辺に並ぶ歴史ある建物から漏れる灯りのおかげで、それなりに明るい。
さらに、見物にきた外国人観光客や、川の側に並んで腰かけるカップルが沢山いて賑わっていた。
「ほう、普通に人がいっぱいだな」
地元の川は夜になると人の気配が無くなるので、賑わう夜の川は新鮮だった。
「で、話ってのは……」
俺は、どういう目的なのかサラに問いかけるも、「え、まあ。うん」と曖昧な返事しか寄こさない。
「あの、実は……」
サラが口を開くと、周囲のカップルたちがキャッキャウフフする声やら、記念撮影をする観光客たちの声が響く。
どうもペースがつかめない様子の彼女は、どこか諦めたように言った。
「うん、実は家に買って帰るお土産は何がいいかなって」
「はぁ?」
普段の彼女の口癖が、今は俺の口からこぼれ出てきた。
そんな俺に対し、捲し立てるようにサラは続ける。
「いやほら、お母さんはイギリス出身でしょ? せっかく京都に来たんだから特別なお土産がいいかなって、だから普通に買えるようなものじゃなくて特別な何かが買いたいなって」
「さすがにこの時間じゃ、もう店も閉まってるだろ」
夜九時を目前にしたこの時間帯じゃ、飲み屋ぐらいしか開いてないんじゃないだろうか。
俺のその言葉に「ああ、そういえばそうね」なんて鼻をかいて白々しく言う彼女に、俺は少し苛立つ。
さすがに、修学旅行といえど外出禁止の時間帯に外に出るリスクを冒してまで、適当な理由で連れ回される身にもなってほしい。
何かもっと真剣な話なのではないかと覚悟した気持ちも裏切られ、徐々に腹が立ってくる。
「別に用が無いなら俺はもう帰るぞ。九時過ぎたら部屋の見回りとかもあるかもしれんし、部屋の奴等も怪しんでるだろう。悪いが夜遊びなら一人で勝手にやってくれ」
たとえ、お土産屋を物色するなりトイレに籠るなりしていてもせいぜい三十分ぐらいだろう。
そろそろ戻らないと本格的にヤバい事になるだろう。
そんな焦りと苛立ちからか、咄嗟に俺の口から出てきた言葉は少し粗暴だったかもしれない。
俺の言葉に驚き、少し目を丸くした後しゅんと肩を落としたサラは「……そうね、ごめんなさい」としおらしく謝った。
もしかしたら、サラは大事な話など初めから無くて、修学旅行特有のテンションによる遊びのつもりだったのかもしれない。
それにしては危険すぎるような気もするが、だとすると少し言葉が厳しすぎたか……。
いや、だからと言ってわざわざ夜に宿を抜け出さなくてもいいだろう。
そんなことを考えながら、結局二人並んで夜の街を引き返すことにした。
この川は、カップルたちのメッカであるようで、周囲には肩を寄せ合う男女が沢山いる。
そんな甘い空気と、俺たちの陰険な空気に少し気まずくなりながらも、会話も無く二人で並び歩いた。
……いや、まさか。
彼女が何か本当に、特別な話をしたくて、どこか静かで景観のいい場所を探していたわけじゃないよな。
それならこんなに沢山人が居たのは誤算だったろうが……。
横目でサラを伺うが、フードの中に顔を隠し感情は読み取れない。
そんな、言葉では形容しがたい感情を抱えながら二人、夜道を歩いていた時だった。
狭い路地の向かいから通りを歩み来る人物に目が止まった。
缶ビールを片手に、黒い長髪を靡かせる彼女は、ほろ酔いの様子で鼻歌を歌っている。
その曲は、聞き覚えがある。
自然と意識がその人物に集中し、まじまじと顔を眺めてしまう。
彼女が口ずさむ曲は、まさに彼女自身の楽曲であったからだ。
「あ、ああ……!?」
俺は驚きのあまり、変な声をあげてしまう。
サラは何事かという様子で俺の顔をのぞき込むと、俺の視線の先の人物に気が付く。
そして、向こうの人物もまた、驚き戦慄く俺の顔を見据えた。
「おや、君はもしや、いつぞやの……」
突然の再会に、俺たちは目を丸くする。
その人物は、紛れもないAKIRAその人だった。
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