第82話「世紀のビッグフライト」
耳にはめたイヤフォンから流れる音楽は、ケニーロギンスの『デンジャーゾーン』である。
どんな曲かパッと思い浮かばないという人の為に言うならば、映画トップガンでお馴染みのあの曲であり、テレビ番組でも飛行シーンになると大抵流れるあの曲である。
俺はシートベルトが締まっている事を指先で改めて確認すると、顎を少しあげ遠くを見据えた。
「そろそろ、飛ぶな」
「ああ、飛ぶぜ。サラマンダーよりずっとはやいぜ」
傍らのスパコンも、わずかな緊張と挑戦的な笑みを湛えて、俺に頷き返す。
やがて、俺のプレイリストは次の曲を再生し始める。
エアロスミスの『ミスアシング』である。
こちらも有名な映画の曲だ。
「またこの地に足をつける時まで」
「さよなら世界……だぜ」
俺とスパコンは祈るように目を閉じた。
またいつの日か。
無事に大地を踏み締める瞬間まで。
俺は深く息を吸い込む。
「……ちょっと、バカ男子ども、うるさいんですけど。たかが飛行機の離陸ぐらいで騒がないでよね」
前方のシートの間から、サラがこちらを振り向きジト目で睨みつけてくる。
そんなぁ。せっかく世紀のビッグフライトごっこに興じていたのに。
「まあまあ、私も飛行機乗るの初めてだし、なんか緊張しちゃうよね」
サラの隣に座る柊木が宥めるように言うと、サラはふんと鼻で俺たちをあしらった。
今日から修学旅行であり、その1日目。
俺たちの地元から遠く離れた関西地方へ行くための飛行機内である。
修学旅行生は飛行機内のひと区画を占領し、俺たち4人は端っこの窓際で2人並びの座席を前後で並んでいる。
先程まで、客室乗務員さんが緊急時の対応方法などを説明していたが、それも終わるといよいよ離陸の瞬間が近づいていた。
俺は生まれてこの方、飛行機に乗った事がなかったので、もはやテンションアゲアゲではしゃいでいた。
「スパコンは何回ぐらい飛行機のったことあるんだ」
「ワイは年2回は必ず乗るぜ。東京のマーケットに薄い本を買いに行かないといけないからな!」
スパコンはそう言いながら、慣れた手つきで座席背面のモニターを操作し、配信している動画コンテンツを物色していた。
「そうか。サラは……」
「私はもう数える気もないわ」
そりゃそうですよね。
しかしそれならばと、俺は笑みをこぼす。
「ふふふ、それならある意味で、この修学旅行を最大限に楽しんでいるのは俺と言えるな」
なんたって飛行機の移動ですらテンションが上がっているのだから。
「はいはい、私は飛行機に乗ると条件反射で眠くなっちゃうから、静かにしといてよね」
あくびをしながら言うサラは本当に眠そうだ。
せっかく飛行機に乗るのだから、窓から雲海を見たりするのはめっちゃ楽しいだろうに。
「こんな夢のない大人にはなりたく無いよな、柊木も」
「そう、だね」
少しキレが悪く、柊木が頷く。
その時、機体が徐々に移動し、滑走路に入ったのだと知る。
次の瞬間、機体が加速を始め、俺たちの体にGが強くかかり始めた。
学生の集団だからか、辺りからは悲鳴のような歓声のような声が上がり、ちょっとしたお祭り状態である。
「まったく……」
その声にも、サラはうんざりした表情でため息をついていた。
その時、蚊の鳴くようなか細い声で、柊木が囁いた。
「……ごめんなさい、神宮寺さん」
「ん? どうかした?」
「手、握っててもいい……?」
柊木は、羞恥心と初めての飛行機に対する恐怖心からか、顔を真っ赤にしてサラに懇願していた。
「え、ええ、いいわよ」
そう言い、サラは先ほどまで俺を散々こき下ろしていた手前、少しバツが悪そうに彼女の手を握った。
……か、かわいいなおい。
そんな表情で、俺とスパコンは顔を見合わせる。
普段のややクールで大人びた柊木の意外な一面に、ほっこりする一同であった。
*
修学旅行初日は、主に移動である。
午前中に飛行機に乗り、関西地方に到着した俺たちは、そのまま空港で観光バスに乗り、京都へ向かう。
文化会館のようなところで、昼食として幕の内弁当が配られ、食後の眠い時間には歴史文化遺産に詳しい先生から京都の歩き方をレクチャーされた後、集団行動で銀閣寺を巡ることになった。
学生たちは、各クラスごとにゾロゾロと並び、銀閣寺の周囲を巡る。
「へぇー、銀閣寺って銀箔が貼られてるわけじゃ無いんだな」
俺は素朴な感想を漏らすと、フフンと鼻で笑う声が聞こえる。
振り向くと、サラがしたり顔で俺をみていた。
「あったりまえじゃない。金閣寺は金箔が貼られているけど、銀閣寺は違うのよ」
「じゃあ、なんで銀閣寺っていうんだ?」
「そ、それは……」
思わず言い淀むサラである。
「さっき、文化遺産の先生が説明してたけどね……諸説あるから正確なところはわからないみたいだよ」
柊木はそんな俺たちに冷静に突っ込む。
ほほう。聞けば、銀閣寺は昔は銀箔が貼られていたのではないか説とか、貼ろうとして断念した経緯があるのではないか説、よく見れば銀色に見えなくもない説とか色々あるらしい。
だが、現代を生きる俺たちにとって、真相は知る由もないのだ。
もしかしたら、金閣があるなら銀閣があってもいいんじゃね? みたいな適当な冗談が定着してしまったのかもしれない。
真実なんて、突き詰めてしまえば些細な問題でしかない。今は全国民があの建物を銀閣寺として認識しているならば、それ以上の理由は要らないのだろう。
そんな事をつらつら考えながら、周囲の池をぼんやりと眺めていた時だった。
「ねえ、朽林。あれなにかな」
柊木が俺を呼び、ちょうど銀閣寺から対角の反対側の木の上を指差す。
俺たちは他の生徒たちから少し離れ、柊木が何かを見つけたらしいそれを探す。
「なんかいたのか?」
俺は、彼女の指さす木の上あたりを見回すが、特にこれと言って変わったものを見つけられない。
「ええと、あの木の上の方なんだけど」
うん、ただのなんの変哲もない樹木に見えるが……。
「えい、隙ありっ」
カシャリ。彼女のイタズラが成功したような弾んだ声と共に、スマホが俺たちの眼前に差し出されカメラが撮影した音がした。
見れば、セルフィになった画面には、マヌケな顔をした俺と、楽しそうにはにかむ柊木の姿が並んで映っていた。
「お、おう」
「ふふっ、ゴメンね。せっかくだからさ」
そういう彼女は、まるで幼子を愛でるかのような柔らかい笑みを浮かべながら、スマホを手中で弄んでいる。
「い、いや、普通に写真ぐらい撮るって」
「そう? 朽林ってこういうときに大抵人の輪に居ないから、集合写真とかとってもいなかったでしょ」
柊木はそう言うが、確かに俺は学校のイベントごとでも、クラスメイトと写真を撮るなんて経験はなかったな。
彼女とこうして会話をしたりするようになったのはこの一年の事だが、中学も同じ学校に通っていたのだから彼女にとってはお見通しという事かもしれない。
「だからって……」
そんなマヌケな顔をした瞬間を撮らなくったっていいじゃない、と思わず恥ずかしくなる。
そんなことはお構いなしに、柊木はニコニコ笑うと、「あとで朽林にも送ってあげるからさ」と言って俺に背を向け人の列に戻った。
ちなみに、柊木とはこの修学旅行の班が同じになった時、グループが出来たのでお互いのアカウントが分かっている。まあ、普通はクラス全体グループに所属していて大体の人同士は繋がっているんだろうけどさ。
少し間をおいて、俺もクラスの列に戻る。
そんな俺の顔をサラはまじまじと見つめた。
「ハァ? なにニヤニヤしてんの?」
「な、そ、そんなにやけてた?」
「うん、アホみたいな顔して」
まったく、普段はそういうイタズラとかをしてこない人からされると、こう、印象深いよね。
俺はその後、巡った寺社仏閣のことなんか全然記憶に残らなかった。
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