第81話「スノウドロップ」
学校祭の空気も適当に堪能した後、俺たち三人は体育館へ移動した。
今回のメインイベントである、『Yellow Freesia』の演奏を見るためである。
この北陵高校の有志バンド発表会も、俺たちの春藤祭と同じように五、六組のバンドが持ち時間20分程度で回転するようだ。
北陵高校には軽音学部があるため、出演者の大半はその部員によるバンドである。
『Yellow Freesia』は、柊木が他校であるため部活には所属していないようだ。
「にしても、すごい人の数だな」
俺は、周囲に詰めかけた観客の多さに驚く。
外部の人間も招かれているため、ゆうに300人は超えていそうな量である。
大学とかの学祭に、メジャーバンドが出演した時のような賑わいっぷりだ。
「どうやら、あの動画のおかげで優木氏がかなりバズってるみたいだぜ」
スパコンはスマホを操作しながら教えてくれた。
あの動画、というのは紛れもなく、俺たちとハロミスの対バンライブでの配信映像だ。
ハロミスきっかけで動画を視聴した人が、アリサの演奏に驚愕と熱狂をしているのだ。
正式な出演者である俺たちよりも話題を掻っ攫っていったのは”紅きギター少女"だった。
世間の不条理さを噛み締めながらも、しかし俺は今日のライブをお客として純粋に楽しみにしていた。
以前は、彼女たちのライブに圧倒され、敗北感を味わったりもした。
それは俺のただの被害妄想と言ってしまえばそれまでだが、しかし今は違う。
これまでの練習の成果、ライブでの結果やネクスト・サンライズの一次審査に合格したという事実が俺に確かな自信を与えてくれていた。
「それでは、次のバンドは……最近、巷で話題の紅きギター少女こと優木さん率いる『Yellow Freesia』です! どうぞ!」
司会の生徒による呼び込みの後、彼女たちがステージに登場する。
同時に、体育館は大歓声に包まれる。
他校の生徒や外部の人たちは、待ってましたと言わんばかりに拍手で迎える。
多くの人がスマートフォンのカメラをステージに向けており、さながら海外のフェスのようだ。
「おいおい、勝手に撮っていいのかよォ」
ランボーがぼやくが、この人数を嗜めることはできないだろう。
ネットに公開すれば、肖像権とかばっちり侵害しているだろうが、ある意味で宣伝になる面もある。
そんな心配はよそに、彼女たちのライブは始まる。
一曲目は、重厚なギターリフから始まった。
アリサの代名詞とも言える、自由奔放なギタープレイはそのままに、激しく歪んだサウンドは重く刻むようなテンポで攻撃を仕掛けてくる。
ヘビィメタルのように激しいリフが鳴り止むと、一瞬の静寂の後に美しい旋律のアルペジオがディレイを纏って空間を支配する。
そして、彼女は語りかけるように歌い始めた。
「また、進化してるな……」
相変わらず、アリサの歌声には息を呑む。
前述のようにサウンドは夏祭りで披露していた曲よりもテクニックが増しているが、歌声に関しては凄みが増していた。
彼女特有のミドルが強いながらも、女子らしい色合いの混じる歌声は、シャウトを混ぜても聞き馴染みが良い。
それでいて、説得力を増すような節回しには素直に感嘆する。
2コーラスが終わると、今度は激しいベースソロに突入する。
ゴーストノートを含んだ激しいスラップに合わせ、ドラムとの呼吸が抜群に合う掛け合い。
彼女たちならではのグルーヴ感が心地よい。
圧巻の演奏のまま、一曲目を終えると会場は割れんばかりの大歓声に包まれた。
「スゲェなァ、オレたちも早くライブしたいぜェ」
「多村氏のドラムはスマートだな。ワイほどのパワーはないが、あれはあれでうまいぜ」
ランボーとスパコンも、彼女たちの演奏に感化され、うずうずしているようだった。
今日はモチベーションを上げるという意味でも来て良かったな、なんてこの時点ではそんな風に呑気に考えていた。
「……今日は、お集まりいただきありがとうございます!」
アリサのMCが始まると、会場は盛大な拍手で迎えた。
まるで彼女たちのワンマンライブであるかのような空気に、思わず苦笑する。
「次は、今日初披露となる新曲です……この曲は、アタシの思いがすごくすごく詰まった曲で、とても自信作です」
少し息を切らしながら、汗ばむ額をピックを持つ右手の甲で拭い、話を続ける。
「少しだけ、話をさせてください……。アタシは『晴れの一日』とか『特別な記念日』みたいな表現は、あまり好きじゃありません。……だって、アタシたちにとって、全く同じ一日なんて無いから。毎日は少しずつ違っていて、昨日の出来事があって、今日がある。今日誰かと交わした何気ない言葉でも、明日も同じように笑い合える保証なんてどこにも無い」
彼女のMCは、その曲に込めた思いを伝えるように、彼女の素直な心境を述べていた。
会場は静まり返り、その言葉に耳を傾ける。
「たった1日で、世界が変わってしまう事だってあるから」
「だからアタシにとっては、何気ない一日でも特別な日なんだって、どうでもいい日常なんかないんだって思ってます。そして今日、この場に訪れてくれたすべての人たちと、同じ時間を共有できたことは、凄くすごく、大切な事だって思います」
その表情は、普段の彼女が持つ無邪気で破天荒な一面ではなく、真剣で少し影を含む顔だった。
なぜか、彼女がとても年上の大人のように見えた。
「アタシたちの音楽が、この場にいるみんなの中に入って、今日という日がこの先ずっと忘れられないような『何気ない一日』になればいいって思います。そんな思いを、この曲に載せました」
その言葉をきっかけに、多村と柊木が演奏する構えをし、観客たちは声援を上げる。
「それでは聞いてください『スノウドロップ』」
突如、アリサのギターが鳴いた。
コーラスの成分を多く含んだそのサウンドは、ギターでありながらもストリングスのように伸びやかで幻想的だった。
その勢いのまま、ドラムのフィルインと共にビートが打ち鳴らされる。オーバードライブの効いたベースも加わり、アップテンポで疾走感溢れるバンドサウンドを奏でる。
Aメロ、Bメロはその勢いのまま駆け抜け、ノリのいい爽やかなロックサウンドを展開している。
だが、その直後。
サビの直前でアリサ特有の自由なギターフレーズと共に転調した。
そのままサビに突入し、世界は一気に開ける。
それまでも、夕暮れを駆け抜ける様な爽快感と裏腹の焦燥感を感じさせていたが、サビの転調をきっかけに世界は一変する。
満点の星空か、あるいはそれすらも突き抜けたような宇宙の様な広がりに心が強く惹きつけられる。
おそらく、普通の人たちは単純にメロディが良いノリのいい曲だと思うだろう。
だが俺は、これまでのアリサが時折見せる自身の存在証明、あり方を強く見せつけるような、それでていてまだ何かを探し続けるようなあの雰囲気をくみ取り、共感を覚え感情が揺さぶられる。
……やっぱり、来てよかった。
彼女たちの演奏を聴くと、もっともっと上手くならなきゃと再認識させてくれる。
俺は大歓声に包まれる体育館の中で、はるか前方のステージに立つ紅い彼女を見据え、震えながらも口の端を歪ませた。
*
祭りの騒めきも、夕刻が近づくにつれ寂寥感を含む色に変わる。
見上げれば、赤く染まりつつある空から優しい西日が差し込んでくる。
スパコンとランボーは在庫処分の割引商品を漁りに行ったのでしばらく帰ってこないだろう。
俺は体育館の裏にある日当たりの悪い非常階段のあたりで、『Yellow Freesia』の2人、柊木と多村と共にライブ後の余韻に浸っていた。
「ふあー、暑かった。みんなの反応どうだった?」
多村は非常階段に腰かけ、手にしたスポーツドリンクのペットボトルから口をはなし、満足げに言った。
「ああ、ものすごかったぞ。プロ顔負けの盛り上がり方だった」
俺は壁際にもたれながら、素直に感想を述べた。
「そっか、やったぜい」
そう言いながら、彼女はブイサインで応える。
「そういえば、アリサはどこ行ったんだ?」
俺は、傍で同じく壁にもたれながら、暑そうに襟を捲り手で風を仰いでいた柊木に尋ねる。
「アリサは体育館を出るとすぐに囲まれちゃって。サイン会的な?」
「マジかよ、すっかり有名人だな……」
いつかプレミアがつくなら、俺も貰っとこうかしら。
「ほんと、クラスの子たちからも人気出ちゃって。もう大変よ〜。っぷは、クッチーも飲む?」
スポーツドリンクのペットボトルの飲み口を俺に向けながら、多村は言う。
「いや、遠慮します」
俺にはその申し出は少し刺激が強いですね。
そんな話をしていると、付近の植え込みの中からガサゴソ音を立てて、赤い頭がのぞいた。
草むらの陰から、中腰の姿勢でアリサが這い出てきた。
「はっ、ってあんたたちか。ふぅ、やっと逃げ切った」
一瞬驚いたようにこちらを見たアリサは安堵しながら額を拭う。
「あははっ、ノラネコかよ。スターは大変だねぇ」
その様子をケラケラ笑う多村にアリサはムッとしながらも、膝についた土埃を払い立ち上がった。
「もう大変よ。サインに音源データにもみくちゃで」
「それ全部対応したの?」
柊木の声に、不敵に口の端を歪めてアリサが答える。
「まさか。クラスメイトの子たちには後でなんとでもしてあげる約束をして、その他大勢からは逃げ出した。ま、多少は実力行使をしたけどね。後は岡崎先生がなんとかしてくれたわ」
……押し寄せる民衆を投げ飛ばす彼女の姿は容易に想像できるな。
「あ、そうだ。セイジ、これ忘れてったでしょ」
そう言いながら彼女が差し出したのは、くたびれた二つ折りの財布であった。
「えっ、俺忘れてた?」
「うん、あんたが不健康な人? のコスプレをしてた衣装のとこに落ちてたわよ」
不健康な人って……。
一応あなたが提案したバンパイア執事だったのですが。
それにしても財布を落とすなんて、俺も迂闊なものだ。中身は大して入っていないが、一応学生証とかも入っているので大事な個人情報も含まれる。
赤の他人の手に渡らずに幸いだった。
「ありがとな。拾ってくれて」
「いいのよ。これで貸し1つね」
そういうと、アリサは多村の横に並んで腰かけ、彼女の飲みかけのドリンクを貰っていた。
こうして眺めるのが俺にはちょうどよさそうですね。
「それにしても、あの新曲。よかったぞ」
俺は作曲者であろうアリサに賞賛の言葉を贈る。
「うん、ありがと」
彼女は、特にそれ以上の言葉は要らないとでもいうように、言葉少なく相槌を打って空を見上げた。
つられて、俺も上を向く。
この日の赤く染まる秋の空は雲が薄く伸びていて、きっと俺にとっても忘れられない景色の一つとなるだろう。
こうして、俺たちの何気ない秋の一日は過ぎていった。
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