第四章「茜色の手紙」

第80話「世界に色が付いたように」


 人は恋に落ちると、世界に色が付いたように景色が変わるという。

 アタシはまだ、恋という感情についてはっきりと自覚したことは無い。

 けれど、目に映る景色が、世界が、ある一瞬で大きく色を変えた経験はある。

 

 音楽とギターとロックに出会うまでのアタシの世界は暗い灰色で、モノクロだった。

 足元ばかり、見降ろしていたから。


 だけど、あの日から。

 あのギターと出会った瞬間から、アタシの世界は真赤に色付いて、前を向いて歩いていくことが出来た。

 だから、アタシはもう多少のことで負けたりはしない。こんなところで立ち止まっている女ではないんだ。


 でも、それと同じくらい、大事な二人が傷つけられる事が恐ろしい。

 暗い部屋、ベッドの上にうずくまり、一人ギターを抱きしめる。

 いつ訪れるかもわからない、日の出を待ちながら。



 日の長さも短くなったなと、改めて実感する秋のこの頃。

 世間では、スポーツの秋だの読書の秋だのというが、学生としては年がら年中体育という授業で強制的に運動させられ、日々教科書と睨めっこして過ごしているためそれらを特別秋らしいと感じることはない。


 秋の学校行事といえば、文化祭である。

 ただし、我々藤山校生の場合は少し事情が異なる。

 春先に春藤祭という行事があることにより、秋ごろにある文化祭は“一応”という体裁で執り行われる。

 出し物の大半が地域との文化交流という名目のボランティア活動の成果発表や、市政文化の調査レポートの発表会となりお祭り感が希薄である。

 当然、盛り上がる要素は皆無である。


「それに比べると、他校の文化祭はやっぱいいなァ」

 腕もすっかり完治したランボーは手に入れた水風船を親の仇ほどに手のひらで打ち付けながら呟いた。

「そうだな。まあ春藤祭も同じようなもんだったけどな」

 俺も同調しながら、あまり美味くないが無駄に大きいリンゴ飴を頬張る。

「ワイは講堂でやる『ナウイ棒早食い選手権』にでてみよっかなー」

 スパコンは入り口で入手したパンフレットを吟味している。

 俺たちバンドメンバー三人は、俺たちが通う藤山高校ではなく、他校である北陵高校の文化祭に訪れていた。

 北陵高校の文化祭は、世間一般でイメージする文化祭をさらにパワーアップさせたような印象で、かなり活気に満ち溢れていた。

 派手なコスプレやメイクをした男女若者が入り乱れ、すでにカオスである。


 もちろん、俺たちは三人で他校の文化祭に繰り出し、ナンパしたナウなヤングのコギャルたちとパーリナイするつもりなどは毛頭なく、単に知人に誘われたから馳せ参じたまでである。


「あ、朽林たち。お疲れ様」

 柊木和希は俺たち一行を認めると、手を振り招いた。

 彼女は祭りの最中でも、いつもと同じ制服姿で涼しげな表情でセミロングの髪をなびかせている。

 背中に大きなベースのケースを担いでいなければ、人混みの中で見つけるのも難しかったかもしれない。


 俺たちは、北陵高校に通うアリサと多村、そして柊木が所属する『Yellow Freesia』が出演する学祭有志ライブを観戦しに来た。

 というのも、先日の俺たちとハロミスの対バンライブのチケットを買ってもらった交換条件ということで、お客としてくるようにという言いつけがあったからだ。

 

「おう。おつかれさん」

 俺は柊木の挨拶に応じる。

「あれ、神宮寺さんは?」

 柊木は俺たち三人組の泥臭い男軍団を見回して言った。

「ああ。なんか忙しいとかで来れないらしい」

 事前にサラにも話をしていたのだが、何やら用事があるそうで丁重にお断りされてしまった。

 本当に申し訳なさそうな様子だったので、本心では来たかったはずだと思う。

 最近は暇を持て余していたはずだが、まあ流石に彼女自身にも用事くらいはあるだろう。

「そっか。仕方ないよね」

 柊木は特に落ち込んだ様子もなさそうに、平坦に言った。

「なあなあ、まだライブまでは時間あるだろ? ワイお腹すいたからなんか食おうぜ」

 スパコンが無邪気に言うと、「じゃあアリサたちのクラスに行こうか」と柊木は先導する。


 学生はもちろん、近隣の住民や明らかにナンパ目的の大学生などが入り乱れるお祭り騒ぎの校内を縫って歩くと、アリサと多村が所属する2年A組の教室までやってきた。

「えっと、ここなのか」

 俺は教室の扉の上に掲げられた看板を見上げて、困惑の声を出す。

 出し物のタイトルは、『バイオレンス系コスプレ喫茶』とある。

「うん……ここのはず」

 柊木も若干対応に困惑しているが、教室の場所に間違いはないようだ。


 教室内は、何やら棺桶やら拷問具の様な模型が立ち並んでおり、おどろおどろしい空気に満ちている。

 薄暗い照明の店内は、和洋問わず、なんか不気味なものを詰め込みました、みたいな適当なコンセプトでシュールな空間だった。

「お! きーちゃんとご一行殿、よくぞおいでなすった」

 教室の中から、聞き覚えのある声が出てきた。

 しかしその姿を見た、主に男子たちは驚嘆に息を飲んだ。

 それは、その声の主である多村のコスチュームのせいである。


 少し青白い顔色のメイクは妖怪チックであり、撫で付けられた艶髪と、青色のリップと黒いアイシャドウは普段の活発でボーイッシュな印象から一変、蠱惑的で妖艶な印象へ様変わりしている。

 さらに、その身に纏うのはタイトなサイズ感のナース服である。

 スカートは膝上の際どいラインでピッチリと太ももに張り付いており、足元から覗くガーターベルトの黒いラインが刺激的だ。

 胸元はハート型にくり抜かれており、鎖骨の下あたりの滑らかな肌が主張している。

 そして、その背中には大きな蝙蝠の羽を背負っており、非現実感を演出していた。


「サキ、その格好は……」

 そんな多村に対して、冷静に柊木は問う。

「これぇ? なんだっけ、サキュバスナース? ウフフ、いいでしょ。吸引してあげよっか?」

 何を吸われちゃうんですかぁ! 

 と内心で奮起するも一言も喋らない男子たちをよそに、「へーそうなんだ。とりあえずご飯食べたいから入るね」と柊木は俺たちを連れ入店した。

「はーい、四名さまご案内」

 多村は明らかに弄んで楽しんでいる様子で、艶っぽい口調で来店を告げた。

「あ、ちなみに男子たちは見物料で1人300円だからね、お会計の際に頂戴しま〜す」

 パチンとウィンクをして、ガメツイ商売をしていた。

 だが、後悔はない。むしろ安いもんだぜ!


 店内は俺たち以外にもいくつかのグループが入っており、それなりに盛況だった。

 教室の机を集めて作った即席テーブルに俺たちは着く。

「ディストピア系焼きそば800円……」

 俺はメニュー表を眺めて、その微妙に高い金額設定に呻く。

「まあまあ、なんでもいいから早く食おうぜ」

 食欲に忠実なスパコンは、あまり金額を気にしていないようだ。

 結局、その謎の焼きそばを人数分注文する。


 多村が注文を聞き取り、教室の奥にある厨房へと消える。

 ややあって、焼きそばのソースが焦げる芳しい香りが立ち込め、トレイを持ったメイド服姿の女子が配膳にやって来た。

「人間どもよ……よくぞきやがったなぁ……」

 低い呻き声のような声音で、配膳にやってきたのは真赤な髪のアリサである。

 しかし、当然普通のメイド姿ではない。


 トレードマークである深紅の髪に加え、脳天から緑色の汁が吹き出したかのようなペイントがされている。

 さらに、右目のあたりには何やら球体がぶら下がっており、眼球を模したパーティーグッズを付けていた。

 メイド服も、本来は黒いドレスに白いフリル付きのエプロンであろうが、赤や緑の飛沫を浴びたマダラ模様だった。

「アリサ、それは」

 柊木は律儀に確認する。

「ヴァー……アタシはゾンビメイドよ。いいでしょ」

 見えている方の左目をわざと白目にして見せて、トレイを机に置き、両手を前にぶらんとさせながらアリサは言った。

「ああァ、よく似合ってるぜェ」

「ヴァー? お前もゾンビにしてやろうかぁ!」

 アリサは喜んでいるのか、怒っているのかよくわからないリアクションでランボーに襲いかかる。


「ま、まあ。とりあえず食おうか」

 俺は実は少し腹が減っていたので、配膳された飯にありつく。

 テーブルの上に置かれた焼きそばは、多少具材が少ないものの、特筆することのない一般的なものだった。

 割り箸を割り、食指を伸ばそうとするとアリサに止められる。

「あ、セイジちょっと待って。いま呪文をかけるから」

「呪文?」

 そう言われ、俺はアホみたいにオウム返しに問う。

 一応メイドの格好をしているのだから、萌え萌えキュンな呪文をかけてくれるのか……?

 できれば通常メイド仕様の方がいいなぁ……。

「いくわよ……ヴォエ・ヴォエ・ヴァー……」

 完全に食欲をなくすような掛け声と共に、アリサは調味料が入った半透明のチューブを取り出し、その中身を俺の焼きそばの上にぶちまけた。

 それは、緑色をしたドロドロとした液体である。

「あの……これは」

「ん? ゾンビの体液。これでセイジもゾンビの仲間よ!」

 嬉しくねぇ。

 しかもそれ、ゾンビの格好をしているアリサの体液ってことになるぞ。

「まあいいか……いただきます」

 流石に食えないような変なものではないだろう。さしずめ食用絵の具で色付けしたマヨネーズかなにか……

 そう、たかを括り、大きな一口で緑色の物体を頬張る。

「はぅ!?」

 俺は強烈な目元への刺激に思わず涙をボロボロこぼして咽せた。

「アリサ、一体これはなんなの!?」

 俺のリアクションに驚愕した柊木が問いただす。

「これはマヨネーズとワサビを混合して調合したものよ! だいたい9割はワサビだけど」

 そりゃないぜ……アリサの体液、辛すぎるよぉ……

 俺はそのまま、約15分はその場で悶絶し続けた。  

 

 俺の口の中も落ち着き、なんとかディストピア系焼きそばを食い切った後、店員である多村はこんな事を言った。

「追加500円でお客さんのコスプレ体験もできるけど、どう? きーちゃんは堕落系エルフの衣装とか似合うと思うんだよねぇ」

「ええ……私は遠慮しとくよ」

「そっか、じゃあ男子たちは? ボー君はもう世紀末ヤンキーのコスプレみたいなもんだしクッチーとかコンちゃんはどう?」

「ワイはこんなお遊びコスプレなんか認めないね、レイヤー様に失礼極まりないね」

 相変わらずめんどくさいオタクっぷりを発揮するスパコンは置いておいて、俺は金を取られることに対しての拒否感を覚える。


「そうよ、せっかくなんだしセイジも着なさいよ。このバンパイア執事とか似合いそうよ!」

 アリサは満面の笑みで執事服の掛かったハンガーを差し出す。

「あ、確かに。意外とそれでライブしたら人気出たりして」

 なぜか先ほどまで冷淡に却下していた柊木も援護射撃に加わる。

「よしわかった、特別に一割引の450円でいいわよ! さ、着替えた着替えた!」

 半ば強引に多村に背を押され、俺は衣装を受け取り、教室の隅の暗幕で仕切られた更衣室へ押し込まれる。

 それにしても、割引率低過ぎだろ。別に衣装なんか使い回しなんだからもっと安くてもいいだろ。


 だがしかし、こう、女子たちにキャッキャとせがまれてしまうとね、仕方ないよね。

 別にバンパイア執事とかちょっとかっこいいかなって思ってないんだけどね!

 そんな嬉しはずかしな面持ちで衣装を着替え、小道具である牙を口に嵌める。

 更衣室に置いてあった小さい鏡で自分の姿を確認し、まあまあ似合ってるかなと自己満足に浸りながら先ほどの席に向かう。


 その途中、おそらくアリサと多村のクラスメイトであろう店員役の獣耳を付けた女子が俺の姿を見て目を丸くした。

 あまりの似合いっぷりに驚いたかなとほくそ笑む俺。

「あ、あのっ。大丈夫ですか!? 顔が真っ青ですけど、具合が悪ければ保健室連れていきましょうか!?」

「あ、いえ、大丈夫です……」

 どうやら、本気で顔色の悪さを心配されているだけだった。

 見れば、そんな俺の姿を見ている一同は爆笑していた。

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