第75話「突き進む大きな船」

 楽屋では、ハロミスの面々が談笑をしながら待機していた。

 日向が大声で何やら騒ぎ、佐伯が口を抑えてクスクス笑っている。霧島はしきりにスマホを操作しており、友人たちと連絡を取っている様子だ。

 隅の方で瀬戸がベースを担ぎ、生音でフレーズを触っている。そのリズムに合わせ、高千穂が頭でリズムを取っていた。


「すまん、話がある。ちょっといいか」


 俺が、不安で震えそうになる声を上げると、ハロミスの五人は揃って顔を俺に向けた。

 俺の背後でスパコンが強張った表情をしているのが、顔を見なくても空気で分った。


「おう! なんだ!」

 日向がカラッと言う。


「こっちのメンバーがまだ揃わない……」

「出番を代わってくれ、なーんて言う気じゃないだろうな?」

 俺が頼みを切り出す前に、霧島が先を言ってしまった。


 出演順は、最初の『ダイナソーゾーン』の後は俺たちで、最後がハロミスだ。

 ランボーが到着することに期待をかけるなら、先に彼らに演奏してもらうしかない。


「……メンバーが揃わないと、ライブができない。頼む、いや、お願いします」

 そう言って、俺は深々と頭を下げた。

 メンバーの不手際はリーダーの責任でもある。俺は精一杯の誠意を込めて頭を下げた。

「そうか! しょうがねぇな!」

 霧島は絶対に受け入れないだろうが、日向はそうではないという打算は正直なところあった。

 思い通りのリアクションでニカっと笑う日向に、素直に感謝する。

「おいおい、大洋。こいつらの出番なんか飛ばしちゃえばいいじゃんか」

 案の定、霧島は食い下がる。

「でも、解散がかかったライブなんだろ? せっかくだから最後まで全力でぶつかろうぜ!」

 日向は相変わらずだ。


「でも実際問題、お客さんには三組分のチケットで売ってるわけだしね。出来る限り、トラブルは避けた方がいいと思うな」

 佐伯も理論的に援護してくれる。

 なんだかんだ言って、彼らは良い人なのである。

 そうであることが、より一層俺たちを惨めにさせるのだが、今はそんなちょこざいなプライドなど捨てるしかない。


「でも、本当に揃うのか? 実は本番が怖くなって逃げちゃったとか」

 日向の疑問に、俺は虚勢を張るしかない。

「くる。必ず」

 あいつは、アホアホで意味不明な言動が多々あるが、決して逃げ出したりはしないと信じていた。

 もう2度と逃げたくないと言っていたあいつの言葉を、俺は信じている。


「そうよね……メンバーが揃わなかった場合は仕方ないけれど出番は無しにするしかないわね。私たちか、剣崎先輩に頼んで演奏してもらうしかないかしら」

「はん、むしろお客はそっちが嬉しいんじゃないか」

 霧島は軽薄な笑いを浮かべて声を出す。

「でも俺は反対だ。そもそも、リハの時点で遅刻するようなやつを待つ必要もねえよ。こいつらの出番は没収して即解散だ」

 霧島は親指を真下に突き出してそう続けた。


「ううーん、ユウジはどう思う?」

 悩んだ日向は、他の人の意見もうかがう。

 そこで、話を振られた瀬戸悠士は、鬱陶しそうに真っ黒な前髪を払いのけ、ベースの指板から顔を上げた。


「いいだろ。別に。出演順を変えればいい」


 その意外な意見に、俺は声を出してしまいそうだった。

 俺の想像では、むしろこいつが一番の難敵だと思っていたからだ。

 だが瀬戸は、「最後のライブだろ。せめてやらせてやれ」と続けた。


 ああ、そう……こいつの中で解散は確定事項なのね……。

 でも、と瀬戸はさらに言葉を続ける。


「俺は素直に、こいつらがどんな演奏をするのか聞いてみたいだけだ。解散が掛かったライブなんて、そうそうあるもんじゃ無い。背水の陣で挑む演奏に興味はある。チャンスぐらいやっても俺たちに損はない。それだけさ」

 瀬戸はそういうと、再びベースを弾き始めた。

 なんだかんだ言って、こいつは異常な音楽オタクなのか。

 未知の演奏を聴く機会があるなら、それを大事にしたいということだろう。


「ちっ、そうかい」

 賛同者がおらず、明らかに不服そうな霧島をよそに、佐伯が話をまとめる。

「ということで、一応わたしたちはO Kよ。順番を替わってあげる。ただし、私たちの最後の曲が始まる前のMCまでにメンバーが揃わなければ、残念だけどあなた達をステージに立たせるわけにはいかない。その時点で、私たちは『諸事情により出演者欠席のため~』と説明して演奏を延長するわ」

「ああ、……ありがとうございます」

 俺は深々と頭を下げるしか無かった。

 あとは、ランボーが来てくれることを待つだけだ。



 剣崎のバンド、『ダイナソーゾーン』のライブは、熱狂のまま幕を閉じた。

 ざわめきが鳴りやまない会場に、ハロミスの面々が現れる。


 すると、会場は先ほどまでのライブの熱狂に負けず劣らない、大歓声に包まれた。


「みんな! 待たせたな! ちょっとした事情があって、先に俺たちが歌うぜ!」

 日向のパフォーマンスに、会場は大いに喜び荒れ狂う。

 その様子は、会場に駆け付けた人たち全員がハロミスだけを見に来たんだということを絶望的なまでに、暴力的な説得力で俺に訴えかける。

 誰も俺たちになんて、興味がないのだと突きつけられる。


 何をしてもマイナー、地味で、目立たず、人気もない。

 でもそれは、過去の自分だ。

 俺たちはステージの上でやるべきことがある。

 

 ハロミスの一曲目が始まる。

 霧島のギターがディレイを纏い、ハイトーンで煌びやかな音色を重ねていく。連想されるのは空。それも冬の空。

 冷たくて、澄んでいて、綺麗。

 けれどどこか寂寥感。

 旅立つものと、地に足を付けるもの。

 遥か先を見送り、置いてけぼりにされたようなところから、ベースが混じりドラムがリズムを打ち鳴らす。


 正直に言って、ハロミスの曲は凄い。

 ライブが始まるまでにネットに上がっている音楽をあらかた聞いたが、楽曲の出来は高校生のレベルではなく、凄かった。

 

 実のところ、春藤祭の時の霧島バンドや、過去にネットにアップされていた日向と佐伯だけの弾き語り動画であれば、負けないという自信もあった。

 再生数や注目度では確実に下だけど。

 夏休みの終わりに作り出した俺たちの音源なら、審査で受かるのは俺たちだというのは、ただの自信過剰でもなくジョニーを始めとした周囲の音楽関係の大人達からの評である。


 彼らに共通しているのは、楽曲制作の面で弱点があるだろうというのが、ジョニーの意見だった。

 技術面ならむしろ向こうの方が上だ。けれど彼らの演奏はスポーツであって、アートではないと言っていた。

 

 楽しく体を動かして一体感を感じながら、上手に演奏ができたという成功を共有する。

 もちろんそれも悪い事じゃない。感動もするだろう。

 けれど、それがウケるのはせいぜい身内、内輪までだ。

 それは何故か。

 見ず知らずのヤツはその内輪には入れないからだと、ジョニーは持論を展開していた。


 スポーツでも一緒だ。

 対戦するチームについて、応援するチームを決めてそっちが勝ったら喜びを共有する。

 贔屓のチームとか、自分たちの国の代表とか、好きなプレースタイルの選手とか応援する対象を決めて、自分は仲間だ、内輪なんだって意識付けをするために応援グッズとかレプリカユニフォームとかを着ることで、共有することが出来るんだ。

 

 でもライブは違う。

 ライブには勝負のルールはない。

 だから、公平な勝ち負けが明確につくことはありえない。

 売上とか動員数とか数字の結果はあるけれど、それが唯一無二の正解だと思っている奴はそもそも音楽自体には興味が無いだろう。


 音楽はアートだ。

 表現者の思いをメッセージとして感じ取って、受け手が自分なりの解釈を重ねて、溢れる感情を堪能する。

 その瞬間に、特別な気持ちが芽生えて、表現者と受け手に繋がりが生まれる。

 だからこそ、見ず知らずのヤツでも、そのメッセージに感情が動けば、仲間になることが出来るんだ。

 百人が好きだという物を、自分も好きである必要はない。

 逆に、百人が忌み嫌う音楽でも、お前が好きならお前の中ではそれが勝ちだ。


 だから、スポーツの音楽をやっているだけだと、その上手さや話題性から注目を浴びることがあっても、長く寄り添う仲間が生まれることは無い。

 そこがお前らと、あいつ等の違いかもな。


 そう言っていたジョニーとの会話を思い返す。

 ジョニーがかつてバンド活動を通じて得た実感だろう。


 ちなみに……。

「まあ、そうは言っても楽曲や演奏意外の情報にも食いつくのがお客さんなんだけどな。実際イケメンが歌えば人気も出るし、楽曲制作秘話に感動エピソードが加わるだけで名曲と呼ばれるようになる。そういう外目をよくする包装紙みたいな情報にだって、お客さんは拘っているもんだ。別に悪い事じゃねえ。音楽で食ってくなら、そういうブランドってのが無いと稼げねえとこもあるからな」

 ……というオチもつけていたけれど。


 でも俺もその話には共感できた。

 よく、テレビ番組とかで天才ギター少年とかが取り上げられていて、まだ小学生ぐらいの子が超絶技巧を披露したりして話題になっていたりする。

 けど、その子をミュージシャンとして見てファンになるような人は基本的に居ない。

 それは、同じギターの演奏でも、ファンになって聴き続ける演奏と、話題になって注目を浴びる演奏は本質が違うからだということを、ジョニーの話を聞いて理解した。


 だから、これまでの霧島や日向たちの演奏は、話題先行のスポーツ音楽だったかもしれない。

 けれど、今ステージの上で奏でられる楽曲は、確実にアートだった。

 自分でも認めたくないほどに、曲から、演奏から、歌から。イメージが膨れだして感情が揺れ動く。共感もするし、共鳴もする。

 いい、曲だ。


 その正体に、俺は気が付く。

 瀬戸の作り出す曲のせいだろう。

 ハロミスが今のメンバーで始動したのはいつ頃かは知らないが、おそらく夏休みの後半からだろう。

 俺たちが佐伯と会話をして、彼女がネクスト・サンライズに興味を持った。

 そして日向が瀬戸を誘い、広い人脈が繋がって霧島と高千穂が加入した、そんなところだろう。

 

 だが、明らかにその頃辺りに投稿された楽曲から、クオリティもメッセージ性も強烈になった。

 瀬戸という男は姑息で嫌味な野郎だが、心の根底にある思いはむしろ俺とも共通していることがあるんじゃないかとすら想像する。


 言葉には出来なくて、上手く誰かに伝わるかもわからない。

 けれど、曲げたくなくて、捨てたくなくて、大事に抱えていたい思い。

 それを、音楽という無限に広がる世界の中で表現できないかと模索する。

 その瀬戸の演奏姿が、素直にカッコいいと思えてしまったんだ。


 そしてそのことが、たまらなく羨ましい。

 俺もその旅に出たい。 

 冬の空に飛び去った何かを追いかける、その背中を追い越したい。

 

 そして、彼の音楽を基礎としたハロミスの演奏は、霧島のテクニックと、佐伯の上手な立ち回り、無口で一同を支える高千穂、そして先頭をきって立つ日向のカリスマ性と勢い。それらすべてを内包していて、見るものに強く訴えかける。


 佐伯の言葉を思い出す。

「彼って、海賊王になりそうでしょ?」

 

 ああ、そうだとも。

 俺はその船に乗せてくれなんて言わない。

 だけど、客席に詰めかけた大勢のお客さんたち全員を抱えて突き進む大きな船に、俺はただ圧倒された。

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