第74話「名前を呼んで」


 私の絵の一件がきっかけで、蘭越君たちと霧島君たちのライブ対決が決まってから二週間が経過した。

 時間の進み方は可変性があるのか、この日々は特に速いスピードで過ぎて行ってしまった気がする。

 

 ライブの当日は既に、明日に迫っていた。

 とは言え、演奏をするわけでもない私には特にするべきこともない。

 だが、一つ。

 私自身の問題について、答えを出すべく、私は蘭越君に忙しい中申し訳ないが会ってもらう約束を取り付けた。


「なんだァ? 大事な話って」

「……いや、"大事な"とは言ってないんだけど」

 相変わらず、運動しにくそうなパンクロッカーの恰好でランニングをしていた蘭越君は、息も切らさずいつもの川沿いの喫茶店の前に来てくれた。


 いつもの喫茶店の、お決まりのテラススペースに。

 とある日の放課後。私は蘭越君を呼び出していた。

 きっと明日のライブの練習で忙しいだろうから、手短に用件を果たさなければ。


「これ、見てほしんだ」

 そう言って、私はテラス席の上に置いてあった包みを開ける。

 シュルリと、包んでいた布を解いた中から現れたのは、紛れもない私が書いていた『あの絵』だった。

「おおッ! あの時の絵じゃねェか!」

 蘭越君は私が差し出した絵を掲げ、歓喜の声をあげてくれる。

 その反応に、思わず自身の口の端が緩むのを感じる。


「うん、汚れをふき取って、上から色を塗りなおしたの。……どうかな?」

「オウ! めちゃくちゃいい絵だぜェ!」

 蘭越君は目をキラキラさせて私の絵を見てくれた。

 うれしい。

 私はやっぱり、絵を描くのが好きで。

 それを誰かが見て、好きだと言ってくれることがうれしいんだ。


「……あのね、蘭越君」

「ん?」


 蘭越君の反応を見て。

 確認作業を終えた私は、自身の決意を彼に打ち明ける。


「その絵、お父さんとお母さんに見せようと思う」

 それは、私なりの蘭越君への誠意だった。


 もともとは私の絵がきっかけで、蘭越君のバンドは大変な勝負をすることになった。

 それはただの成り行きで、私なんかが蘭越君たちの物語に介入しているわけではないと理論的にはわかっているのだけれど。


 無関係な部外者で居てはいけないと思ったから。

 だから、私も勝負する。

 絵に対する気持ちを、両親に見せる。

 それで、進路の事を本気で話をしたいと思った。

 志望校を、国立理系から芸術系の学科に変えたい。

 今の思いを、ぶつけるのだ。


「そっかァ。頑張れよ、委員長」

 蘭越君はそんな私のことを笑いもせず、茶化しもせず、真剣に頷いてくれた。

 そんな彼の、まっすぐで純粋な表情を見ていると、自然と勇気が湧いてくる。

 両親の反応は、正直想像したくない。

 きっと驚いて目を丸くして、慌てふためいてしまうのだろう。

 たかが絵を描いたぐらいで。

 けれど絵を描くぐらいのことが。

 私の本気なのだと、伝わるように。


 もう少し、勇気が欲しくなってしまったから。

 私は思わず欲張ってしまう。


「……、頑張れって、言ってほしい」

「あん?」


「名前を呼んで、頑張れって言ってほしいな……」


 少しだけ、わがままかもしれない。めんどくさい女だなって、思われるかも……。

 いいや、違うよね。蘭越君はそんな風には絶対に言わないと思う。

 だから、そう信頼できるからこそ私はこんなことまで言えてしまうのだろう。

 

「……頑張れよ。理科」

「っ!? 普通に苗字で呼ばれるかと思ってた……」

 急に苗字ではなく名前を呼ばれたものだから、裏返った声が出てしまう。

「ああッ!? なんだァそっちかァ!?」


 そう言った後、二人で顔を見合わせて、白い息を吹き出して笑った。


 蘭越君の言葉は、私に無限の力を与えてくれる。

 大好きな、人からの応援だから。

 脇役の私でも、物語を主人公になれる気がした。


「おっと、そうだァ。オレからも頼みがあるんだ」

 そう言って、取り出したのは一枚のチケットだった。

「オレたちのライブ、見に来てくれよなァ」

「うん。もちろん」

 そもそもは私もきっかけの一端であるのだから、見に行くのは当然である。

 しかし、ある種の儀式のように、私は蘭越君からチケットを購入した。


「蘭越君も、明日のライブ。頑張ってね。応援してる」

「おう、委員長も楽しんでくれよなァ」


 両親の反応がどうであれ。

 蘭越君のライブが待っている。それならば、どんなことでも乗り越えられるような気がした。



 ハロミスとの対バンライブ当日。

 俺はこれまでのライブとは比べ物にならないほど、特殊な感覚に支配されていた。


 どういう表現をしたものか、初めての感情が多く入り混じっている。

 緊張はもちろんあるし、やってやるという意気込みもある。

 冷静になれば、足がガクガク震えてしまいそうな不安もある。

 色んな気持ちが溢れて全然眠れなかったけど、まったく眠くなかった。

 

 窓の外にうっすらと朝日が昇るのを見て、相変わらず冷え込む秋の朝に息を吐いて。

 冷たい水で顔を洗い、服を着替え、新しい相棒、ミュージックマン・スティングレイを担いで家を出る。


 今回のライブハウスの最大収容人数は百五十人ほどという。

 チケットノルマは一応俺たちの最低限の枚数は売りさばきはしたが、集客の大半はハロミスとスペシャルゲストの剣崎が率いるバンド『ダイナソーゾーン』のおかげだった。

 ……この先、もしも主催ライブをするようになったら、集客とか大変そうだなぁ。


 俺は電車に乗り、繁華街の方へ向かう。

 ライブハウス『キューブ・モール』はアーケード街の傍らにある。

 ゲーセンやクレープ屋の合間にひっそりと黒い壁があり、その存在を知らない人は素通りしてしまうことだろうが、この街で音楽に関わっている人ならその存在はよく知っていることだろう。

 人気の出演者が居る時は、よく外に行列ができている。

 

 いつもは、楽器屋を巡る際に横目に見ながらその前を通るだけだったのだが、今日は出演者としてその扉をくぐる。

 

 薄暗い階段を降り、楽屋へ向かう。

 これまでも数々の有名バンドがそのキャリアを始めたばっかりの頃、利用してきたであろう物置のような簡素な楽屋に入る。


「おお! 君が今回のライブで共演する子かい! 初めましてだね!」

 ぎょろりと目が飛び出し、インパクトのある顔面の男は、俺の事など覚えていない様子だが、初対面ではない。

 俺が初めてのスタジオで苦い思いをした際の先輩、剣崎が楽屋内に居た。

 彼はおそらくメンバーであろう他の男性数人とおそろいの恐竜がデザインがされた黒いTシャツを着ている。他のメンバーの顔は見たことが無かったので、あの頃のセッション仲間ではない様子だ。


「ああ、どうも」

 俺は、まあ覚えていないならそれでいいやという気持ちで何となく会釈をして挨拶を済ます。

 一応、他のメンバーの方々にも「よろしくお願いします」の一言を言った。


 それにしても、知らない人達の空間に一人で入るのは何とも所在ないな……。

 そう思いながら楽屋内を見回した時、角の方に座る萎んだ風船マンみたいな人影が視界に入った。

 ……スパコン、お前生きとったんかワレェ……。

 

 どうやら、俺よりも先に楽屋に入ってしまったスパコンは、年上の見知らぬバンドマンに囲まれ、どうしていいかわからず隅の方で萎んでいたようだ。


「よ、よう、早かったな。スパコン、ランボーはまだか?」

「……ハッ、クチナシじゃんか~。おせえよもう、ランボーならまだきてねーぞ」

 明らかに安堵した表情でスパコンはめちゃくちゃ早口で言った。

 

 とりあえず、荷物を置き俺たちは一旦楽屋を後にした。

 開演は十五時である。リハまでには戻らなければならないが、まだいくばくか時間がある。

 少しでも気を紛らわすためにいったん外に出た。



 ライブハウスの前で、スパコンと油を売っていると続々と知人が訪れた。

 チケットは、サラ、『Yellow Freesia』アリサ、多村、柊木、それからスパコンの妹の留利や、ジョニーに長岡さんや相川さんなどなどいつものメンツに買ってもらった。

 それでも、ハロミスの集客に比べれば鼻息で吹き飛ばされてしまうほどであろうが、俺たちのお客さんとして人が来てくれるというのは、やはり感慨深いものである。

 しかし、ジョニーからは『急にバイト先の後輩が休んじまった。悪いが今回のライブは観に行ってやれそうにない。すまない』という趣旨の電話があった。それはまあ仕方あるまい。


「ひっ、何やらいかがわしい気配がしますが、本当に大丈夫なんでしょうね」

 お客の一人、スパコンの妹、須原留利もライブのお客さんとして来てくれた。


「あくまで、実地調査ですから。不穏な気配があれば即刻……」

「あーはいはい、わかったわかった。とりあえずワイとこっちで大人しくしてろ」

「なっ、兄の分際で何を……ああっ」

 そういいながら、スパコンに連れられていく。


「ハァ。なんだかんだで、ちゃんとお兄ちゃんしているのね」

 サラも先ほど到着し、今は俺と並んで須原兄妹のひと悶着を鑑賞している。

 この兄妹も、先日の草野球対決以降、少しは関係性が柔らかくなったような気もする。


「よっ、クッチーにサラ姉。今日は頑張ってねー。解散がかかってるんだって?」

 その次に訪れたのは、麗し女子三人組である『Yellow Freesia』の面々だった。

 多村は相変わらずキャップを被っており、その背後に赤い頭のアリサと柊木を連れている。

「霧島君が学校関係の知人に解散の事、SNSで拡散しているみたい。だいぶ噂になってるけど大丈夫そう?」

 柊木は心配そうにうかがう。

「大丈夫ではないと思うが……」

「いいのよ。解散後に再結成なんてあるあるだし。どーんと構えてれば」

 アリサは能天気に呟き、「あーアタシ達も出演者で参加すればよかったなー」と言いながら慣れた様子でライブハウスの中に入っていく。

 どうやら彼女達は既にこの箱でライブ経験があるようだ。

 そう思うと、負けていられないなと気を引き締め直す。


「それにしても、ランボーはいつ来るんだ……」

「メッセでもしてみれば? あいつのことだからどっかでラーメンでも食べてるんでしょ」

 サラに言われ、俺はスマホを取り出してランボーに投げかけた。



「それで、ランボーからメッセの返信は無いのね?」

 サラは腕を組みながらじれったそうに聞いてくる。

「ああ、既読すらつかない。家に電話してみたが、家はもう出ているらしい」

「まさか道に迷ってるわけじゃないよな? さすがにこの辺は通いなれてるしな」

 俺たちは楽屋の前、通路の脇に集まってスマートフォンをのぞき込んでいた。

 

 というのも、もうすぐリハの時間だというのにも関わらず、ランボーが現れない。


「なにかあったの?」

 様子がおかしい俺たちに気が付いた柊木やアリサ、多村も集まってくる。


「ランボーが行方不明になった」

 俺のその一言に、一同は真剣に頷く。

 あのアホ野郎、一体どこで何しているんだ……。

「私、探しに行ってみる」

 柊木がそう申し出てくれ、ランボーの家の住所を伝えた。

「アタシも行くわ」

「おっけ、私はこっちに残るから来たら連絡いれるよ」

 柊木、アリサは会場を出ていき、多村は会場の入り口付近で待機する。


「……ちょっと、私も気になるところを調べるわ」

 そういうと、サラもふらりとライブハウスから出て行った。

 その際、片手でスマホを操作していることから、どこかへ電話するつもりだろう。


 その後、俺たちのバンドのリハの時間となり、とりあえず俺とスパコンは機材のセッティングをした。

 ランボーが居ないため、ギターもないので音のバランス等は大体でやるしかない。

 いつものアンプでもないので、もはやぶっつけ本番状態となる。


「メンバー揃ってないけど、大丈夫?」

 声をかけてきたのは佐伯だった。

「いや、大丈夫ではないが……」

「そうだよね。何とか本番までに連絡つけばいいね」

 サクッと言い切ると、背を向けて彼女のバンドメンバーの輪に戻る。

 

 まったくだ。

 いったいどうしたものやら。


 しかし、ランボーと連絡が付かないまま、時間は無情にも止まってはくれない。

 開場、開演時間となり一組目のバンド『ダイナソーゾーン』が演奏を始める。


 客入りはほぼ満員。

 地下のライブハウスは、地上とは異なる特異空間と化し、バンドサウンドに呼応して熱狂が始まる。

 薄暗い空間に集う若者たちは、それぞれの抱えた思いをライブにぶつけるために、その手を掲げた。


 既にライブシーンでは知名度のある剣崎のバンドが演奏するとあって、一般の音楽ファンも多く訪れている。さらに、ネットで話題沸騰中のバンド、ハロミスの初ライブとあって、学生のお客さんも多かった。

 俺たちのことなんて、名前も知らなければ興味もないようなお客。

 そんな中、メンバーが一人欠けた状態でライブなんてできない。


 俺はついに、決断をしなければならない。

 スパコンを連れ、楽屋に向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る