第63話「まだ、離れたくないんだ」

 九月。

 残暑もほどほどに、季節は移ろい始める。

 朝晩は涼しい風が吹き、山の色合いが緑から鮮やかな赤や黄色に変わり出す。


 しかし、俺の気持ちはまだ、切り替えられない。

 ……まだ、離れたくないんだ。

 夏休みから。


 ネクスト・サンライズ用の音源のレコーディングが完了するや否や、俺たちバンドメンバーは夏休みの課題に全く手を付けていないという事実と向き合わねばならなかった。

 俺、スパコン、ランボーはそれぞれの得意教科毎に分担して徹夜で課題を終わらせ、翌朝にお互い書き写すという手法でなんとか空欄をすべて埋めることは出来た。


「夏休みの序盤から少しずつやっていればそんなことしなくてもいいのに」

 というのはサラの発言であった。

 夏休みの最終日は一同が「しろっぷ」に集合し、課題のコピー作業と、完成した音源のお披露目ということでガラガラの店内で楽曲を流しつつ、そんな会話をしていた。

 

 実のところ俺は、あわよくばサラの課題を見せてもらえるかと期待していたのだが、「丸写しじゃ身につかないでしょ」というド正論を正面から浴びせられ断られてしまった。


 何はともあれ。

 俺たちの夏は終わった。

 

 送ってしまった音源をもう手直しすることはできない。

 後は、吉報が届くと信じて、練習を重ねるしかない。

 一応、約束通りアリサにも完成した楽曲を送り、「いいじゃん!」の反応を貰えた。

 それだけのことで、なんだか少し自信が湧いてくるのが不思議だ。


 新学期がスタートし、学校に登校する日々がまた始まった。

 それから数日が経過したこの日のホームルームでは、進路希望調査票を提出しなければならなかった。

 提出した者から自習という、まあ特にイベントの無い週のホームルームだ。

 

 俺も高校二年生。

 受験を来年に控え、いちおう進学校である藤山高校では、生徒の九割は進学する。ちなみに残りの一割の中には公務員試験を受ける人が多い。

 俺も当然ながら、進学をぼんやりと考えているのだが、今は目の前のバンドに意識を集中しているため、大学とか学部とかを全然調べていない。


 今日でさえ、進路希望調査票を書いてこなければいけない事をすっかり忘れて、俺の用紙は白紙のままだった。


「まさか、まだ書き終わってないヤツは居ないとおもうが、ここに便覧が何冊かあるからこれ使えよー」

 というのは、担任の松本の言葉である。


 事前に各自で大学名や学部名を調査して記入してこなければならないと言われていたのだが、俺と同様にズボラな奴はまあまあいて、教室に置いてあった便覧はあっという間に完売してしまった。

 まあ、誰かが使い終わった頃に俺も借りよう。


「なあ、スパコンは書いてきたか?」

 俺は退屈まぎれに、隣席のスパコンに話しかける。

「おう。まあワイは理系の情報系をとりあえず書き連ねただけだけどな。クチナシは文系か?」

「あー、まあそうだろうな。数学も別に得意じゃねぇしな……」

 スパコンは一応希望調査票を書き終えているようで、そそくさと提出しに行った。


 当然、お互いの進路はこの先の人生に大きく関わるのだから、気軽に「同じとこ行こうぜ」なんて言えない。

 ジョニーの昔話でもそうだったが、高校生バンドの一つの分岐点だよな、卒業後の進路って。

 いずれは、スパコンやランボーとも別々の道を行くことになるのだろうか。


 誰しもが、音楽で生計を立てる事が出来るわけではない。

 俺は、本格的にお客さんからお金を取って演奏することをしたこともない。

 いつか大人になったら、バンドを辞めるか、まあ一年に数回集まってセッションするぐらいの趣味になるのだろうか。それぐらいのペースで音楽と付き合うことになるのだろうか。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら、窓の外を眺めていた時だった。


「朽林、希望調査票まだ書いてないの?」

 たまたま、俺の机の横を通りすがった柊木が、俺の暇のもてあまし具合を見かねたのか、話しかけてきた。


「ん? まあな」

 便覧の空きを待っているので、俺は何も書けない。白紙の希望調査票を机の上に広げて見せる。

「ふーん。そうなんだ。……朽林も文系なら、私のを参考にする? 地元のありきたりなとこしか書いてないし」

 柊木は、手に持った希望調査票を見ながら俺に尋ねる。

 まあ、二年の時の希望調査票なんて、正直に言ってあっても無くても変わらないような代物だろう。

 実際の受験までは一年以上あるわけだし、学校側でなんとなく把握するだけのものだろうから。


 柊木もまだ、真剣に希望大学を決めて書いたという訳でもない様子だった。

 それなら、どうせ同じような文系大学を書くのなら丸写しでもいいか。調べるのも面倒だし。


「おう、ありがとな。とりあえず借りるわ」

 俺は柊木から希望調査票を受け取った。


 柊木の希望調査票には、女子っぽい丸文字ではなく彼女らしい整ったフォントの筆跡で、第三希望までの大学と学部が書かれていた。

 地元の国公立大学であり、確かに俺も聞いたことのある名前だったので、実際の選択としても無難だろう。

 第二希望と第三希望を入れ替えるとか、学部をちょっと変えておくとかの芸を仕込んでも良かったが、まあ面倒なのでそっくりそのまま書き写していく。

 柊木は、俺の机の脇に立ってその様子をジッと眺めていた。


「これでよし。一緒に出しちまうか」

 俺は書き終えた流れで、柊木を見上げる。


「……えっ? ああ、う、うん……」

 

 しかし、柊木はなぜか呆けた様な顔をしていて、俺の声に反応して一瞬はっとしていた。

 眠かったのかな、ぐらいの気持ちで進路希望調査票を柊木に返す。


「うん、出しに行こっか」

 柊木は無表情のまま調査票を受け取って、俺たちは提出の為に教壇へ並び歩いた。


 ちょうどその時、同じく提出の為に教壇へ行っており、自席に戻る途中のサラとすれ違う。

「…………」

 サラは、何も言わずに俺の顔をキッと睨んだ気がした。

 

 ……俺何も変なことしてないよな?

 まさか希望調査票の丸写しを咎めるほど厳しい事は言わないだろうし、睨んだように感じたのは多分気のせいだな。

 普段の教室ではそこまで一緒に行動していないし。


 そんな感じで、秋の日々は始まりを告げた。

 ネクスト・サンライズ審査結果発表は、十月上旬とあった。

 それまで、しばしの辛抱だ。

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