第61話「アタシは、27歳で死ねるかな」
俺とアリサは地下鉄に乗るため、佐伯はバス停の方向へそれぞれ歩き出す。
この頃は夕日に染まるのが早くなり出したように感じ、徐々に減り始める夏の余韻に浸りながら、労働で疲弊した体を引きずり帰路に就く。
分かれ道で佐伯と別れを告げる。
普段、バイトで知り合った人間関係とはその後なかなか交流する機会もなく、来年は受験を控える身となるためバイトに勤しむ時間も無いだろうから、佐伯と再会することももう無いだろう。
そう考えると、少し惜しい気もするが、当の本人は「じゃあねー! お疲れ様ー!」とサッパリした感じで手を振り早々に背を向けて歩いて行った。
まあ、佐伯から見れば、俺は無数にいる友人知人の一人であり、俺とは比べ物にならない人間関係を築いているだろうからいちいち別れを気にしていないのだろう。
改めて、帰りの地下鉄の駅を目指して歩を進める。
傍らには、同じ地下鉄の駅を利用するであろうアリサが、特に距離を置く必要もないので並んで歩いている。
「なあ、お前はよくバイトしているのか?」
俺は、まったく会話しないのも変かと思い、なんとなくアリサに話を振った。
「ん? まあね。金ロー女子なのよアタシは」
そんな週末の映画番組みたいに言うなよ。
「まあ、機材とかにも金かかるしな。ギタリストの方がエフェクターも沢山あって費用もかさむんじゃないか?」
「そう? アタシはガツーンと歪んでキュイーンと鳴けばなんでもいいんだどね」
俺はジョニーやら霧島みたいに足元をガチャガチャピカピカさせるギタリストを想像していたが、アリサは違うようだ。そういえばランボーも似たようなもんだった。
言動といいプレイスタイルといい、なんだか似てる連中だな……。
「ま、アタシはこう見えて堅実的なのよ。お金は大切に貯めてるわ。大人になったらきっとリボ払い? とかも上手く活用するキラキラ女子になっちゃうだろうし」
「……そ、そうか」
なんか怪しいパンフレットに毒されていないか、彼女の将来が少し心配になる。
俺たちはそんなどうでもいい雑談をしながら、地下鉄の駅に降り、交通電子マネーを利用して改札を通る。
ちょうど駅のホームに地下鉄がチュンチュンと音を立てて入ってきたところで、開いたドアをくぐり比較的すいている車内に入った。
俺は大抵、座席が空いていれば一番端っこに座る。ここがおちつくんです。
座席は一列丸ごと空いていて、向かい合わせの反対側にはニ、三人が座っている。
けれど、アリサは迷わず俺の隣に詰めて座る。
まあ、そこまで雑談をしておきながら、急に距離を開ける人もいるまい。
「セイジは何でベース始めたの?」
アリサは、ゴトゴトと低い音が一定周期で繰り返される車内で、外は何も見えない真っ暗な窓に反射する俺を見ながら問いかけてきた。
「俺は、ただ中学生の時に初めてライブハウスでバンドの演奏を見て、憧れたから……だな」
ついこの間も誰かとこの話をした気がするなと思いながら答える。
「モテたいとか、有名になりたいとかは?」
「そこまではあんまり考えていなかったな……」
「じゃあ……バンドで天下を取りたいとか」
「そ、それは、まぁ多少は」
……まだ楽器を始めたばっかりの頃、そんな宣言をクラスの自己紹介の時にした気もして、少し嫌な思い出が蘇る。
しかし深く問われて、改めて自分自身でも考えてみる。
確かに、ただ演奏に感動しただけならそのバンドのファンになって、音楽を鑑賞することを楽しむだけで十分なのだ。
別に自身でベースを持つことに必ずしも直結しない。
けれども、俺はベースが欲しいとあの時本気で思った。
そこには、本当の自分の気持ちが隠れているのだろうか。
「アタシがバンドをするのはね。すんごい演奏をして、有名になって、みんながアタシの顔と名前を憶えて、それでガンガンお金を稼ぐため」
「えらく現金だな、結論は」
アリサは薄く口の端を曲げて、悪戯っぽい目線でこちらを流し見た。
おそらく最後のところは冗談半分なんだろうが、彼女にとっては金銭も大事な要素であることは間違いないのだろう。
「お金を稼ぐなら、別にバンドじゃ無くてもいいんじゃないか?」
最近のミュージシャンは以前ほど稼げないというネット記事を読んだ気もする。
「いいのよ。楽器を持つと、人はバカになれるから。アタシはバカみたいにライブして、お金を稼ぐのがいいから」
そう笑うアリサに、俺はわずかに憧憬の念を抱く。
今の俺の目標は、ネクスト・サンライズで勝ち上がり、アキラさんと同じステージに立つこと。
でも、その先はどうなるんだろう。
俺がベースを手にした原点、原動力になっているのは何だろう。
「……俺は、ライブハウスで演奏を初めて聞いたとき、感動して。こんな凄い物があるんだって、見てる世界が一新された気がした。でも、その時にふと思ったのかもしれない」
自分の中で纏まらないことは。
独り言のように吐き出してみるのもいいかもしれないと、最近思うようになった。
「どうして、俺はステージの上に居ないんだろうってな」
ステージの上で演奏する人達は、自分の気持ちや生き様を観客たちにまざまざと見せつける。
観客たちはそこに自分を重ねて、感情を共有し心を震わせる。そこに、音楽的な感動と興奮が生まれる。
その時、俺は客席につっ立っているだけでいいのか。俺もステージの上から自分の生き様を誇示したいんじゃないかと思ったんだ。
だって、俺の物語は俺が主人公だから。
くだらなくてちっぽけな物語でも、主人公はステージの上に立たせてやりたい。
そんな気がしたのかもしれない。
「あー分かるわ。盛り上がっちゃうとついステージに乱入したりダイブとかしたくなっちゃうもんね」
「……ま、そうだな。俺はしないけど」
アリサはいつもの調子でそう言った。
けれど、彼女にも俺の気持ちの一端は伝わっていると、言葉は無くてもなんとなく理解できた。
なぜなら、以前の彼女のライブは彼女の存在証明そのものだったから。
原動力の一部は重なっている、そのことに気づけたからだ。
「アタシは、27歳で死ねるかな」
ポツリと、メガネを無意識の動作で直しながらアリサがつぶやく。
言葉だけを聞くと物騒だが、音楽好きのヤツなら言葉の意味も分かるだろう。
世界的な天才アーティストは27歳の時、数奇で不運な死の運命を辿る。
ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、カート・コバーン……名前をあげればきりがなくなるぐらい、数多くの天才たちが27歳でこの世を去った。
もちろん、長寿の生ける伝説みたいな人達も大勢いて、ある種のジンクスというか迷信でしかないのだけれど。
音楽に関わる人間は、27歳になった瞬間にふとこのことを思い出すのだろう。
その時、地下鉄はとある駅に到着するというアナウンスが流れ、アリサは席をポンと立った。
俺の家の最寄り駅はまだ先なので、俺は座ったままだ。
アリサはドア付近に移動するが、クルリとこちらに振り向いて、スマホを握った手を俺に差し出した。
「ねえ、セイジのメッセ教えてよ。音源できたら聞かせて!」
そう無邪気に聞かれると特に深い意味を勘繰る必要も無くて、俺は素直にアカウントを交換する。
これで、サラに続いて二人目の女子との交換である。
そんなことをわざわざ数えてしまうあたり、俺もどうしようもないなと自嘲する。
その後、「じゃあな! 決勝で会おう!」という言葉を残して、アリサは地下鉄を降り、駅のホームを悠々闊歩して去って行った。
地下鉄の中から、その赤い後頭部を眺めて俺はなんとなく力を貰ったような気がした。
再び発車した地下鉄の車内で一人、なんとなく暇なのでメッセージを送ってみる。
『普段はコンタクトなのか? メガネも意外と似合ってるぞ』
既読が付き、しばしの間を置いたのち。
『忘れろ! 記憶が無くなるようにアタシと同じ頭の色にしてやろうか』
……真赤に染められるのだろうか、血で。
次会う時は撲殺されるんだろうか。
その返信を見ながら、けれど俺は一人笑っていた。
*
後日、俺のコツコツ貯めていた軍資金を一斉解放し、ミュージックマン・スティングレイを購入した。
新たな相棒の音色は、芯の詰まった重厚感のある打撃音で、その日の俺はうっとりしながらベースを弾き続けた。
しかし翌朝、母から「あんた、新しいベースに浮かれるのはいいけど、添い寝はさすがにやめた方がいいわよ」と指摘され洗面所で鏡を見ると、俺の頬には四本の弦の跡が等間隔に並んでいた。
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