第9話「心が共鳴するんだ」
「なぁ、なんでこんなことしたんだァ」
目を開けると、視界にはきれいな夕焼け空が見える。
蘭越がいぶかし気な声をかけてくるのが、横から聞こえる。
「殴ったりして悪かったな。なんか、お前を見てると何とかしたくてな」
河川敷。二人の学生は並んで大の字になって寝転がっている。
こうしてみると、本当にヤンキー漫画の一コマみたいだ。
「……おせっかいは要らねぇ。オレにかまうんじゃねぇよ」
蘭越はそうは言うが、立ち去る気配もないので、俺は話を続ける。
「どうして殴られても、今みたいに殴り返さないんだ?」
「……争いっつうのは、同レベルの奴らでしか起きないらしい。だから、オレが反撃しちまったら、オレもあいつらと同レベルになっちまうんだ」
渋々口にする蘭越の言葉は、見た目とは裏腹に超然的な理論で意外だった。
「でも、あんな卑怯な奴らの殴られ屋になんかなる必要ないだろ。そもそも呼び出されようが行く必要ない」
俺は以前にも似たようなことを言ったが、蘭越は殴られ続けるのをやめる気配はなかった。
「逃げたくねぇ。もう逃げたくねぇんだ。でも、オレ馬鹿だからよォ。どうしたらいいかもわからねぇんだ」
その言葉に、何か思いつめた色があった。
だから、俺は素直に「何かあったのか、よかったら聞かせてくれないか」と言っていた。
蘭越は叱られた子供のように、小さい声でしゃべり始める。
「オレは、中学生までずっと野球漬けの毎日だったんだ」
蘭越は、滔々と語り始めた。
「オレは野球部で、エースで四番。キャプテンを務めていた。部員全員の期待を背負って全国大会に出場したよ」
後で、詳しく聞いたところ蘭越は、中学時代の部活での功績から推薦で入学したらしい。
なのに、高校では野球部には入らなかった……いや、入学当初に退部したというのが正しい。
「でもよ。結果は初戦で敗退だ。完封負けだった。うちの中学は、特に強豪校というわけでもない。全国に進めたのも十何年ぶりとかの話だ。全国にはオレなんかには比べ物にならないくらいの努力を積み重ねた化け物たちがウヨウヨしてやがった」
井の中の蛙大海を知らずとは、まさにこのことだったのだろう。
どんなスポーツでも、芸術でも、勉強でも。小学校、中学校、そして高校と上がるにつれ、視野が広がっていく。それまでは、地域じゃ一位を取っていたヤツでも、全国の世界じゃまったく歯が立たない何てこと、当然あり得る。
俺は中学生まで、ぼんやりと生きてきた。
だから、その壁にぶつかる苦悩をよく知らない。
「オレはその時仲間に言ったよ。勝てなくてゴメンってな。泣いて謝った」
ひたむきに野球に取り組む、スポーツ刈りの蘭越の姿が容易に想像できる。
「けどよ、仲間の奴ら、こういうんだ『しょーがないよ。俺たちにしちゃよくやった』って」
「その時にさ。オレの頭はぐちゃぐちゃになって、最終的には真っ白になった。だってよ、オレたちは勝つために練習を必死になってきたんだろ? でもまったく歯が立たないまま完封負けしちまった。悔しい、今からもっと練習しなきゃって思ったら仲間に言わせればよくやった……?」
一旦、そこで言葉を区切ると、蘭越は適当に地面の草を握りしめ、ちぎって投げた。
風に舞う草が、俺の顔にかかる。
「でも、オレも心の端っこの方で気づいてたんだ。野球じゃあいつらには勝てないって。このまま続けても、どっかで妥協して諦めるんだろうって。だから、高校で野球をやるつもりはなくなった」
だからこそ、反抗的な風貌を身にまとい、自ら問題児となることで退部を選んだのだろうか。
推薦入試の決め手は野球部の全国出場が大きいところだろう。少なくとも、入学当初は野球部に顔を出すぐらいはしなきゃいけなかったのだろう。
「野球から逃げることに対して、オレはまず親父に相談してみた。野球を始めたきっかけは親父が昔実業団でやってたからだからな。そしたらあっけないもんで、『そうか。別に好きなことしていいぞ』って言いやがった」
「でもよ。その時オレは、『好きなことってなんだ?』ってなっちまった。野球しかしてこなかったオレに、やりたいことや好きなことなんて思いつかなかったんだ」
いきなりやりたい事をやれと言われる方が難しいだろう。
まさしく、中学生の時の俺がそうだ。時間ばっかりを持て余して、真剣に何かを取り組んだことはなかった。
蘭越も、自分から野球をなくしてしまうと、何が残るかわからなかったのだろう。
「だから、とにかく好きなことを見つけようと思って、思いつくことを全部やることにした。手始めに、漫画の真似を始めた。漫画は野球部内ではやってた時に借りて読んでたからな」
そして、その漫画のタイトルは俺でも知っている有名ヤンキー漫画だった。
好きなことを探して、漫画のヤンキーの真似をして、他校の奴らに目をつけられて、ボコられて。
なんてアホなんだコイツは。
ただ、その時に思う。
こいつも俺と同じだ。
「なあ、お前に頼みたいことがあるんだ」
「ああん?」
「ギターとか、歌とか、どっちかでもいいんだ。お前に頼みたいんだ」
「歌ァ?」
「俺と一緒に、バンドやろうぜ」
それが、伝説の始まり……なんてわけではないけれど。
夕暮れ時の河川敷。
俺の思い出の場所であり、俺たちの始まりの場所となった。
ちなみに、須原はその一部始終を付近の電柱の陰から覗いていた。
俺が蘭越に大リーグボール養成ギプスでもつけるんじゃないかと疑っているのだろうか。
*
その日の夜。
俺は家で一人、夕食用の作り置きカレーを温めながら、バンド名を考えていた。俺と、須原と蘭越。何かいい名前はないかな。
その時、玄関の方で音がした。親が帰ってきた音だ。
築三十年のボロアパートは、1LDKの間取りだ。俺の部屋があり、母親は寝るときはリビングに布団を敷く。
父親は、居ない。
俺が物心つく前に、事故で亡くなったそうだ。
「たっだいまー。あ゛ー腹減ったわぁ」
母は仕事カバンを居間に適当に放り投げ、台所に入ってくるなり冷蔵庫を開け、ビールの缶を取り出した。
「今日は早かったな」
「うん、たまたま取材がこの近くであってね。今度の記事はあんたも興味あるかも」
母は、雑誌の記事を書く、フリーライターをやっている。
その内容は様々で、芸能ニュースからお堅い政治記事までなんでもやっているらしい。家ではあまり仕事の話はしないので、詳しくは知らないが。
「ん?」
俺は適当にカレーなべを混ぜながら話を聞く。
「はいこれ。最近業界で話題沸騰中の女子大生シンガーソングライターだって。近くのライブハウスじゃかなりの評判らしいんだけど、今回初めて音源を作ったんだって。あんたも聞いてみな?」
そう言い、差し出されたのは、一枚のCDだった。
ジャケットには、モノクロの写真に窓が一つ、写っているだけだ。
「ふうん」
俺は何気なく、そのCDを開く。
中の歌詞カードに、その女子大生シンガーの横顔が写っていた。
「……ああ!」
「え、どしたん? 好みのタイプ?」
「え、あ、まあ……じゃなくて、俺この人に会ったことがある」
そう、それは紛れもなく、俺に音楽のすばらしさを教えてくれたあの人。
川でベースを捨てそうになった時の、あの人だった。
「AKIRA……」
「そう。この辺で活動してたんだけど、今度は東京に進出するそうよ」
その日の夜は、夢中でヘッドフォンにかじりついていた。
AKIRAのファーストEP、『EVER GREEN』はこれまで聞いたどの音楽よりも、深く優しく俺の心に染み込んだ。
気が付くと、俺はベースを握り、正しい演奏かどうかもわからぬまま、音を鳴らしていた。
本当にいい音楽は、心が共鳴するんだ。
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