第2話「高校でバンドを組みたい」

「おい、クチナシ。起きろって」


 意識の遠くから、声が聞こえる。

 俺は肩を揺り動かされていることに気がつき、鬱陶しく思いながら顔をあげた。

 あれ、ここどこだっけ。


「ちゃんと起こしたぜ」

 小声で囁く声がする。この声はスパコンだな。

 ということは今俺がいるのは学校か。

 

 夢の中では、中学生の時に見たあのライブの内容だったなぁ。あれからもう1年たったのかぁ。やっぱり実感するよねぇ、なんだか照れたりしちゃうね。そういやひどいことも……。


「おはよう。朽林。いい夢みたか?」


「あ、え、あ、まぁ……はい」

 夢見心地のフワフワ状態だった俺を、担任の松本教諭による妙に明るい声が現実に引き戻す。

 冷や水を頭からぶっかけられたかのように、俺はゾッとする。

 今は高校二年の春。六時限目のロングホームルームの時間だ。


 担当教科は現国である松本先生は、今年で四十五歳になるベテラン教師だ。

 学年副主任を務め、校則違反を絶対に許さない堅物眼鏡野郎だ。今は額に青筋を立て、こちらを射抜くように見つめている。

 まずい、これはかなりキレている。


「伝統ある春藤祭の実行委員を決めるホームルームで居眠りとは、いい度胸だな?」

「す、すんません…」

「そういえばお前、部活も委員会にも、なにも参加していないよな。いい機会だ。お前が男子の実行委員やれ」

 は?と俺が理不尽な人選に対する抗議の声をあげるより早く、クラスの女子グループから悲鳴のような声が上がった。

「やっば、ウケるんですけど。サラ罰ゲームじゃん」

 ツリ目の印象的な派手目の女子、美野夏海が前の席に座る女子の肩をバシバシ叩きながら騒いだ。

 クラスの女子グループの中でも特に煌びやかな、いわゆるスクールカーストトップ層である美野夏海を含めた、一軍の女子生徒達は口々に「サイアクだよねー」とか「サラかわいそう」とか囁いている。


「コラ、美野。静かにしろ。学生時代に自主性をもって取り組んだ経験がないと、社会に出てから困るんだ。荒療治だが、お前にはこれぐらいせんと意識が変わらんだろ」

 その間も、女子生徒達のひそひそ笑いや、体育会系男子達のゲラゲラ笑いが教室内に響く。


 偏見と侮蔑に満ちた松本先生の言葉よりも、クラスメイト達のリアクションの方が辛辣だった。

 そうだよ、どうせ俺は笑われものさ。


 ちなみに、春藤祭とは我が藤山高校の伝統的なイベントである。

 毎年、新年度の最初に行われる学校行事で、簡単に言うと外部の人達を呼ばない学生だけの文化祭だ。

 クラス替えではじめて顔を会わせた相手や、新入生を迎えた部活などの交流が主な目的である。


 クラスの一軍といえる華やかな連中は、この春藤祭ではしゃぐことが、イケてる流行の最先端であり、学生生活を最高にエンジョイしていると考えるらしい。

 だからこそ、学校の最底辺をヤモリのように這いつくばる俺には実行委員を選出するホームルームなんぞ無関係のイベントであり、うたた寝をしていたのだが、まさかこんな展開になるなんて。


 春藤祭の実行委員は男女で一人ずつ選出することとなっており、女子の方は既に立候補で神宮寺サラという生徒に決まっていた。

 盛んに女子生徒達がコソコソ言い合っているが、当の本人は腕を組んで、松本先生が黒板に書き殴る「朽林成志」という俺の名前を見つめるだけで特に何の感情も抱いていないようだった。

 さしずめ、俺のことなどムシケラ程度にしか認識していないようである。

 

 神宮寺サラ。

 彼女はイギリス人と日本人のハーフで、鮮やかな金髪ブロンドのロングヘアーがトレードマークとなっており、整った顔立ちと圧倒的な存在感から、廊下を歩けば振り向かない男子がいないくらい目を引く存在だ。

 クラスのイケてる女子の中でもトップの存在に位置する、いわば女王である。


 彼女は美野夏海などの取り巻きの女子数人と、神宮寺サラと同じくらい煌びやかな男子生徒数名とグループを形成しており、春藤祭を盛り上げるべく画策しているらしかった。

 ただ、不運なことに男子メンバーの方々が部活の部長であったり、クラスの委員長であったりと春藤祭実行委員と掛け持ちが難しい役職についていることもあり、委員の選出に難航していたようだ。


 それもそのはず、トップ集団以外の中途半端な立場の生徒じゃ神宮寺の相手役なんぞ務まらないことは誰もが承知のことだ。

 トップカースト以外の一般男子からしてみれば、男子の実行委員は避けるべき貧乏くじであったに違いない。


 すれ違いざまに貧乏神を擦り付け合うかのように、一般男子達はけん制しあっていたことだろう。

 ……なのに、どうしてそれに俺が強制的に選ばれてしまうのねん。



 放課後、俺は重い足取りで視聴覚室へ向かった。春藤祭実行委員の説明会があるためである。


 視聴覚室を見渡すと十名ほどの生徒がいて、楽しくオシャベリをしていた。

 当然のごとく、俺と仲の良い人はおらず、連中は俺が視聴覚室にはいってきたことを目で確認しても、声をかけてくる人間は皆無だった。


 俺はおとなしく教室の左前列、人が少ない区画に着席した。

 教室の後ろは賑やかな生徒たちに占拠されている。

 ここでひっそりと時間が過ぎるのを待とう。


 やや遅れて、神宮寺サラがやって来た。

 どうやら別クラスの実行委員の生徒数人とやって来たらしく、かしましくオシャベリをしている。

 その一団はちらりと窓際に座る俺を目にし、小バカにするようなクスクス笑いをした。

 まったく、勘に触るが気にしてもしゃーない。


 実のところ、この程度の『いじられ』ならもう慣れている。彼ら彼女らは俺を馬鹿にするように振舞うが、基本的には直接何かを言ってくることはないのだ。


 だが、何事にも例外はいる。


「あれ、サラじゃん。お前も実行委員なん? マジ楽しみだわー」


 太く、ハリのある声が教室内に響いた。すると、教室内にいた生徒達は声の主に気がつき、「オッスー」とか「うぃー」とか適当な挨拶をして、その声の主の方へ群がっていく。

 俺が一番顔を会わせたくない生徒がやって来てしまった。


 霧島翔斗。

 高い身長、浅黒く日焼けした肌、端正な顔立ちと大きな声。

 神宮寺サラにも劣らないスクールカースト最上位の人間だ。


 霧島は群がる生徒たちとひとしきり談笑した後、教室をぐるりと見まわした。

 まずい、こっちみんな……。

 だが、存在感を消すことはできても、存在そのものを消すことなどできない。

 俺は必死に窓の外を眺めていたが、やがて奴に見つけられてしまった。


「は? あれって、クチ男じゃね? なんでここにいんの?」

 霧島はこちらにも聞こえる大きな声で、傍らに立つ神宮寺サラに尋ねた。

「あー、アレ? なんか担任の嫌がらせで押し付けられた。マジ萎えるんですけどー」

「うっわ、サイアクじゃん。サラ、松本になんか嫌われてるもんな」

「そーそー、私の頭とか、地毛なのにさ。染めてるみたいに言ってくんだよね。私の家のこととか知らねぇのかよって。無知すぎて笑える」

「いや、でもサラの髪とかマジ羨ましいわ。俺も早く卒業して染めてぇ」


 ……いやがらせ受けたの俺なんすけど。なんで神宮寺が被害者なの?と心の中でつぶやく。

 だがまあ、霧島がこのまま神宮寺と談笑してくれればそれでいいか。


 しかし、無慈悲にもあの男の足音が近づいてくるのが聞こえる。獲物を見つけた猛禽類のように、決して逃がしてはくれない。


「よぉ、クチ男クン。……あんまさー、みんなの空気悪くしないでくれよ?」

 霧島は俺の隣の席にわざわざ座って、こちらの顔を覗き込むようにして言った。

「あ、ああ……」

 かろうじて口から出たのは、そんな言葉にならない音だった。

 カオナシか俺は。


 まったく情けないことに、背中に汗が伝うのが分かるくらい、体は緊張してこわばっていた。

 霧島はそれきり、俺には興味を失ったかのように、教室の後ろ側のグループに混ざっていった。

 やれやれ、嫌な日々になりそうだ。心の中でひっそりと、大きなため息をついた。

 

 俺が学校の生徒達から妙に見下されているのは、霧島のこういうイジリが原因である。

 集団の中で、声が大きく中心にいる人物が馬鹿にする人間に対し、周りの奴らの「こいつはイジってもいいヤツ」という認識が広まり、今の立場に追いやられてしまった。

 実際、学校内で一度も話したことも、なんなら名前すら知らない相手からも、小馬鹿にするような言動を受けることが多々ある。

 

 霧島が俺をいじめる理由自体は単純で、ただ奴の自尊心のために弱者をいたぶっているだけなのだろうけど。

 ただ、俺がそのターゲットにされる原因を生み出したのは、他ならぬ俺自身なのだ。

 霧島が俺を馬鹿にし始めたのにはきっかけがある。

 入学した当初、俺は何を血迷ったのか、霧島と友達になれると勘違いしていたのだ。


 ただひとつ、高校でバンドを組みたいという共通の思いがあったから。

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