ノケモノロック

やしろ久真

第一章「river side moon」

第1話「今日から俺はロックスターだ。」

 その光景は今でも、鮮明に脳裏に焼き付いている。


 眩しいくらいの照明を浴びて、ステージの上に立つ三人。わずか数メートル先に居るはずなのに、客席側から見る彼らは果てしなく遠い存在に思えて、けれど同じ空気を吸っているのが分かるくらい近くに感じた。


 ドラムスティックの乾いたカウント音が響く。その途端、空気が破裂した。

 掻き鳴らすギターのディストーション。うねりをあげるベースのリズム。内臓を震わすドラムのビート。三者のサウンドがグルーヴを産み出し、会場全体を包み込む。

 観客達は三人のエネルギーを感じ取り、取り憑かれたかのように、躍り叫んでいた。

 

 俺はその場に根が生えたように立ち尽くし、その光景に圧倒されていた。

 一秒も見逃したくない。まばたきをするほんの一瞬さえ、惜しかった。

 この日、この瞬間に。

 自分の人生が大きく変わったのだと、心のどこかで確信していた。




 中学生の頃の俺は、特に何かに打ち込むということもなく、ただ何となく日々を過ごしていた。

 

 学校に通い、とりあえず勉強をして、放課後は友達と無駄話で盛り上がり、家に帰ればゲームをして漫画を読んで風呂に入って寝る。

 誰の邪魔もせず、騒がず、目立たず。ただひっそりとその場の空気を壊さないように過ごしていく。

 ぼんやりとした頭で、週末の暇つぶしをどうすっかなーと考えながら過ごす日々に、特に不満はなかった。


 しかし、あの日から。

 たまたま友達に誘われて行ったライブハウスで、あの演奏を見た日から俺はロックに魅せられていた。


 偶然、自分がライブ会場の左側にいたおかげで、ステージの上に立つベーシストの姿がよく見えた。

 クールな佇まいと熱いリズムを弾き鳴らす姿に、特に感銘を受けた。太く、打楽器のようなベースの音色に、興奮を抑えられなかった。


 ライブが終わり、家に帰るや否や、俺は母親に宣言した。

「俺、ベース買いたい! お小遣い前借りさせてくれ!」

 母はそんな俺を見て驚いた後に吹き出して笑い、

「あんたがそんな事言うの初めてじゃん。ベースを買うのは良いよ。でもお小遣いは自分で稼ぎなさい。新聞配達でもなんでもいいから、バイトをして自分の力で手に入れてみたらいいんじゃない?」

 と言った。

 その時、俺は中学三年生。受験を終え、高校進学を控えた春休みの出来事だ。


 それからはベースを手に入れることを夢見て、俺は新聞配達のアルバイトに励んだ。

 早朝四時に起きて、自転車に飛び乗る。近所の家々を巡り、新聞を郵便受けに入れていく。

 早起きはとてもつらく、配達間違えをして怒られもしたが、それでもベースを手に入れるためならと思うと苦しくはなかった。


 高校に入学したら、必ずバンドをやろう、そう心に決めていた。

 学校に軽音楽部があるかは知らないが、音楽をやっている人は必ずいるだろう。なんだったら俺が作ってやるぐらいの気持ちだ。

 今にして思うと、期待に満ちた俺は少し浮かれていたのかもしれない。


 新聞配達のバイトを始めて、三日ぐらい経ったある日。

 早朝の商店街を自転車で通り抜けると、アーケード街の隅にアコースティックギターのハードケースが置かれているのを見つけた。

 よくよく見てみると、その近くに座り込んだ女性がギターの弾き語りをしていた。

 まだ日が昇り切らない、人気の少ない商店街に、一人座り込む女性に視線を奪われる。


 女性は黒いロングのストレートヘアで、ジャケットにカーゴパンツという出立ちをしていた。

 アコースティックギターと相待って、さながらアメリカのロードムービーから抜け出してきたかのようだ。


 彼女は爪で軽く弦をはじき、鼻歌を歌っている。

 俺はなんとなく、自転車を止めてその歌声を聞いてみた。

 ロックに魅せられた俺はジャンルに関わらず音楽そのものに関心を持っていたのだ。


 女性の歌声は軽やかなリズムにパワフルなトーンで、英語の詩を奏でていた。いわゆるカントリーというジャンルの曲で、初めて聞いた曲なのに、どこか懐かしい響きがあった。

 女性の声は、女性の中では少し低く、ハスキーだが艶のある不思議な声だった。


「気に入ってくれたかな?」


 女性が顔をあげて言った。

 俺はようやく、自分がその場に立ち尽くして歌声に聞き惚れていたことに気がついた。

「あ、はっ、はい!」

 上ずった声で返事をする。我ながら、なんだか情けない声だった。

「ありがとう、新聞配達君。それにしても、今日はいい風だな」

 黒いストレートの髪をかき上げて、女性は笑った。

「え? 風ですか」

「そう。きっと風はこの地球の鼻歌なんじゃないかな。気まぐれで、気持ち良くもあれば、時には鬱陶しい」

 女性は、俺の反応など気にもせずに続ける。

「春は風が強く吹くなぁ。暖かくなる日々に、きっとウキウキしているのだろう」

「いいですね、その解釈」

「おっ、君もいけるクチかい、うれしいねえ。ところで、君のお仕事のほうは良いのかい?」

 「あっ、いけねっ」

 俺は少し照れながら、再び新聞配達に向かった。


 一週間後、俺はアルバイトを終えて報酬を受け取った。それと貯金をあわせてざっと三万円。

 ベースを手に入れるための軍資金を携えて俺は意気揚々と楽器屋に向かった。


 駅前の商業ビル。その一角にある楽器店は、ピアノやトランペット等も扱う総合楽器店で、店内には女の子をつれた家族やアコースティックギターを眺めているおじさんがいた。

 俺は迷わずベースがおかれているコーナーへ向かう。

 見渡す限り、壁一面に飾られたギターやベースの光景に圧倒された。

 

 壁にかけられた十数本のベースの中から、俺の相棒となる一本を選んでいると、楽器屋の店員が声をかけてきた。

 俺は緊張でたどたどしくなりながらも、自分の予算と初めてベースを買うことを説明した。

 すると、二十代後半ぐらいの真面目そうな店員は優しく説明してくれた。

 そしてついに俺は、『ベース』本体、音を出すためのスピーカーのようなものである『アンプ』、それに『シールド』というベースをアンプに繋ぐケーブル、弦を弾く『ピック』、弦を調律するための『チューナー』を購入した。

 というのも、たまたま楽器店で初心者セットフェアをやっており、軍資金の三万円で一式揃えることのできるセット商品があったのだ。

 

 俺は店を出ると、背中に担ぐソフトケースに収まるベースの重さと感触に胸が踊った。

 今日から俺はロックスターだ。

 一ヶ月後には、俺にロックの魅力を教えてくれたバンド、『REX』の曲を弾けるようになろう。きっと、本家『REX』のメンバーと同じくらい、スゲー奴らと運命的な出会いを果たし、バンドを結成するのだろう。

 半年後にはステージに立てるようになってて、一年後にはファンも出来て、レコード会社の人がライブを見に来てくれたりして……。

 そんな妄想に胸を膨らませながら、俺は帰路についた。


 町には春の風が吹いていた。冬の寒さを溶かし、木々が芽吹く柔らかな空気が心地よい。

 春休みはあと一週間。これは俺が高校生になる少し前のことだった。

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