第3話「センスないよ? 君。」
今から遡ること約一年前。俺が高校に入学した直後のことだ。
初顔合わせのホームルームで最初に行うのは各自の自己紹介だ。
それぞれ中学時代のあだ名や趣味などを披露しする。高校デビューをもくろみ、各々恥ずかしいキャラ付けを行っていた。
俺はロックに魅せられていたあの時、自己紹介で盛大にカマすこととなる。
いつかタイムマシンで過去に戻れるようになったら、俺はこの瞬間の歴史を改ざんするために全財産をなげうっても構わないと思っている。
以下に、その時の自己紹介を示す。
「山花中出身の朽林成志っす。みんなよろしく……。
俺の趣味・特技はロックかなーやっぱ。一応中学生時代は帰宅部だったけどライブに行ったことあるし、俺って創造的な性格だしそこら辺とかめっちゃミュージシャンに向いてるって言われる。握力も31キロあって、中学の時はクラスの運動部に勧誘されたり……バンドで天下をとるんだからやめろ!って感じでした(笑)」
と声高に宣言していた。
クラスメイトの反応は、まあ微妙ではあった。違う中学から来た人から見れば、本当にミュージシャン志望の奴と思われたかもしれない。
しかしこの時、俺はまだベースを触り始めて数日のド素人である。
当然、ミュージシャンに向いているなんて言われたこともないし、なんなら運動部に勧誘されたこともない。
浮かれた俺は恥ずかしい見栄を張っていたのだ。しかもめちゃくちゃダサい感じに。
ちなみに、握力31キロだけは本当だ。
そして、当時は同じクラスに居た霧島が、バンドを組むという希望を自己紹介で喋っているのを聞いた。
ちなみに、わが藤山高校に軽音楽部はなく、各自でバンドを組み活動するしかない。
初日の昼休み、先に声をかけてきたのは霧島だった。
「クチバヤシくん……だっけ。音楽好きって言ってたよね」
「おう、霧島君も音楽やりたいって言ってたよね。俺ベース担当なんだ。もしよかったらバンド組まない?」
当時、ちょっと無理してイケてる風なノリを出していた俺は、あろうことか自分から霧島を誘っていたのだった。
「マジ!? じゃあさ、今度の週末センパイたちとセッションすんだけど、一緒に来る?」
その言葉に、少し引っかかった。
こいつもうセンパイとかと知り合いなの?
登校初日じゃなかったっけ?
と疑問符が浮かんだが、浮かれ切っていった俺は細かいことは気にせずその誘いに乗った。
その週末、繁華街の駅に降り立った俺は、少しの不安と大きな興奮をもって待ち合わせ場所に向かっていた。
昼過ぎの繁華街には、まだそれほど人はおらず、この後の夜のかき入れ時に合わせた営業準備が徐々に始まっていた。
今日が俺のロック史における偉大な一日となるのだ。
背中に担いだベースを背負いなおし、意気揚々と歩く。
この時、まだベースを始めて大体一か月であり、ろくに演奏も出来なかった。
一人でセンパイや経験者と混じるのは怖いが、同級生の霧島もいるし、初心者ということを素直に言えばいろいろ教えて貰えるだろう。
そう甘い考えを持っていた。
「お、朽林君。こっちこっち~」
待ち合わせ場所であるビルの前には、背中にギターケースを担ぎ、右手には何やらアタッシュケースのような長方形の箱を持った霧島が手を振っていた。
人懐っこい笑顔の霧島のことを、正直に『良いヤツ』と思い込んでいた。
ビルの地下に続く階段を、霧島の後ろに続いて恐る恐る下る。
霧島は慣れた表情で地下の扉を開けると、そこはなにやら狭い通路で、脇にカウンターがあった。
「剣崎で予約していると思うんッスけど」
剣崎というのは、例のセンパイのことらしく、俺たちの学校の二つ上、つまり三年生の先輩にあたる。
カウンターには黒いTシャツに金色のでっかいネックレスをしたプロレスラーのような体格の男が立っており、手書きの汚らしい帳票みたいなノートをジロジロ確認して、「ルームC」とだけ言った。
「ん?行くよ?」
雰囲気に圧倒されている俺を振り向いて、霧島は促した。
俺は、この地下通路の壁に所せましと張られた、ロックバンドのポスターに目を奪われていた。
名前も知らない海外のヘヴィメタルバンドや、日本のインディーズで活躍している若手バンドなど、コアな音楽ファンしか興味がないような世界に、ああ、俺もこの世界に飛び込むんだと期待を膨らませていた。
ここは、いわゆるスタジオという場所であり、バンドの練習施設のようなものだ。
防音の練習ブースが何部屋もあり、お店の設備によってはレコーディング機材などもあるため、プロを目指すバンドが音源を作ったり、ライブの練習を行ったりしている。
ベニヤ板やコンクリートの打ちっぱなしの、飾り気のない壁の迷路のような通路を抜けると、Cと手書きの紙が貼られたドアの前に来た。
二重になっている防音扉を開け放つと、音の波が中からムワッとあふれてきた。
生のドラムの音圧に、俺はあのライブを思い出した。
「こんちわーお疲れ様です」
軽いノリで霧島が挨拶し、中に入る。俺は軽く会釈をしてその後に続いた。
中には、六、七人の男女が居て、それぞれ楽器を手に立っていた。
そのうち、真ん中でギターを持ちながらマイクスタンドの前に立っていた男が手を挙げる。
「お、翔クン。お疲れ~」
「剣崎センパイ、今日はどもっす」
剣崎という男は、角ばった頬とギョロリとした眼球のインパクトのある顔をしていた。ぼさぼさの髪が、彼の野性味あふれる印象をさらに強くする。
霧島が答えると、周りの先輩たちも寄ってくる。
「あ、この子が翔クン? よろしくねぇ~」
「へぇー、そのギターケースってことは、もしかしてシェクター? かっちょいいなあおい」
霧島を中心に、先輩グループが談笑を始める。
キーボードの前に立つクルリとパーマがかかったショートヘアの女性と、ドラムセットに座った男性、そのほか、正直今となってはよく顔も思い出せない面々。
俺の存在は認知されていないかのように、彼らは霧島にしか声をかけない。
「あの……」
情けない声を絞り出したとき、霧島が「あ、今日はクラスの友達もつれてきたんで」と俺を紹介してくれた時には、俺は性懲りもなく『こいつはいい奴だ』と思っていた。
「ほう! 君、名前は?」
「あー、
「へぇー、ベースはなにつかってるの? アンプは?」
剣崎という男はお喋りが好きなようで、飛び出そうな大きい眼球を見開いてこっちにまくしたてる。
それを、「こらこら。あんたの顔怖いからビビっちゃうじゃん。早速鳴らしてみればいいっしょ」とキーボードの女性がたしなめた。
「そうだな。うん。じゃあみんなで音合わせてみようか」
その言葉を受け、霧島は手にしたギターケースからギターを取り出し、準備を始めた。
俺も、いそいそと楽器を取り出し、準備を始める。
「はは、まだまだ初心者なんで……」
誰かに聞こえているのかも分からない音量で、俺は一人呟いていた。
備え付けのベースアンプの前にしゃがみ、接続するための線をソフトケースのポケットから引っ張り出す。
その時、ギュワーン!というカッコイイギターの音が響いた。
振り返ってみれば、霧島は緑のギターを担いで音を鳴らしていた。その様子を先輩たちが楽しそうにはしゃぎながら見ている。
「ま、適当に弾いてるんスけど」
そういいながらも、デュクデュク、ピロピロ、ジャカジャカ、ジャーン。と弾きまくる。
足元には、アタッシュケースが広げられ、文庫本くらいのサイズのいくつもの機械が並び、チカチカ光っている。
これはエフェクターというもので、自在にギターの音色を変化させることができるのだ。
俺は呆気にとられて口をポカンとするしかなかった。
こいつ、めっちゃうめぇじゃん。
そう思うと、少し冷や汗が背筋を伝った。
俺は接続を終え、ベースの音を出そうとボリュームを捻ったりするが、聞こえてくるのはウゥ~ンというノイズのみ。
困りながら色々いじると、バボン!ガリガリブチィ!と嫌な騒音が急に鳴った。俺はびっくりしてオロオロすると、横にいたキーボードの女性がベースアンプのボリュームをゼロにした。
「壊すから。そういうのやめて」
とだけ言った。
まったく理解できていなかったが、俺のベースの配線手順が間違っていたらしい。
ただ、線を差すだけのはずなのに、上手くできなかった自分が恥ずかしくなった。
その間も、霧島はノリノリで演奏をしている。
「ねぇ、そろそろセッションしようよぉ」
キーボードの女が言う。
「そうだな。どうする? なんかやれる曲ある?」
剣崎が聞くと、霧島は「最近の曲なら何でもイケるッス。あ、耳コピなんで完成度とかはまだまだっスけど」という。
ワイワイ盛り上がる彼らは、最近流行りの海外アーティストの曲の演奏を始めた。
ドラムスティックがカウントを鳴らし、キーボードがコードを鳴らして演奏が始まる。元曲は電子音とラップで出来た曲だったと思うが、即興でバンドサウンドになっていた。
剣崎が適当な英語で歌い、霧島は器用にカッティング奏法を披露しながら体全体でノリ、鼻歌まで歌っている。
その間、俺は一切の演奏をすることができなかった。次第に足が震え始め、耳の奥がじんわりと熱くなり、この場から逃げ出したくなる。
演奏が終わると、みんなで拍手しあい、「翔クン上手すぎ! やばくない!?」とキーボードの女が霧島を褒めたたえた。
剣崎が俺のほうに目を向け、「えーっと、クチ男クンだっけ? 君は何かやれる曲はある?」と聞いてきた。
どう答えようか、一瞬まごついていると霧島が口をはさんだ。さっきまでは色々助け船を出してくれていた霧島は、わざとらしい口調で言う。
「彼、バンドで天下とるってクラスの自己紹介で宣言してたんですよ。たぶん、めっちゃイケてるはずっス」
この時、霧島はクスッと嫌な嘲笑をしながら先輩たちに言った。
「おお! そいつは期待だな! ちなみに俺も天下を取るつもりだからライバルになるかもなぁ!」
ガッハッハと快活に剣崎は笑う。
俺は、既に背筋に大粒の汗が伝っている。
「あー、REXのワイルドドライブなら、できるかも……」
消え入りそうな声で、何とか絞り出す。
正直、霧島の演奏には程遠く及ばないが、自分のレパートリーの中で演奏出来る曲はこれしかなかった。といっても、この曲のベースは非常にシンプルで、二本の弦しか使わず、押さえる場所も全部で六ヵ所しかないいわば初心者向けの曲だ。
「いいね、やろう」
霧島がこっちを見ている。その眼つきは、俺を試すようだった。
結果は、散々だった。
家ではCD音源に合わせてちゃんと弾けてるつもりでいた俺は、実際に人と合わせるのがこんなに難しいとは思っていなかった。
ドラムや霧島のギターの音はしっかり合っているのに、俺のベースの音だけが間抜けにボョヨン、ボョヨンと鳴り響く。
剣崎は露骨に驚いた顔でこちらを見つめる。
先輩方は、俺のヘタクソさに驚き、憐みのような失笑を浮かべ、それきりこちらを見向きもしなかった。
結局、ベースの音は掻き消え、ドラムとボーカルとギターだけのセッションと化し、霧島は独自のアレンジをしたギターソロを披露しワーキャーされていた。
俺は別の先輩に「真面目にやらないんだったらベース代わってくんね?」と言われて場所を明け渡し、情けなくベースをしまい、部屋の端にある小さい椅子に座った。
それから、どれくらいの時間が経ったか覚えていない。
その後、誰も俺に話しかけることはなく、そのセッション会は終了した。
打ち上げと称した食事会には、一応気を使ったのか剣崎が誘ってくれたが、「なんか腹痛いんでかえります」とだけ絞り出し、その場を離れた。
このまま家にさっさと帰ろう。
そう思った矢先、その様子を目ざとく見つけた霧島が寄ってきた。
一団とは少し距離を置いた場所で、俺の肩に腕を回し、顔を近づけて霧島が喋る。
「なぁ、クチ男クン」
含み笑いの顔で、周りに聞こえないように霧島は言う。
俺は何も返せない。
「今日はアリガトね。正直、俺も剣崎さんとやるのはちょっと怖かったんだ。ライブでのあの人は結構凄いからさ。まぁ、今日は『仲間のみんなと楽しくやる会』だから緊張しなくていいって言われてたけどね」
仲間のみんな。
俺は、そこには含まれていないんだろう。
「クチ男クンみたいなのがいると、俺も気楽にやれんだわ。やっぱさー、『あ、こいつうめぇな』って思われたいじゃん? 引き立て役がいれば盛り上がるっしょ。まあ、フツーに俺の実力だけで充分イケたみたいだったけど」
俺の返事を聞かず、こいつは続ける。
「ぶっちゃけ、君がド素人なのは最初から分かってた。左手の指先、まだ全然弾きこんでるヤツのそれじゃないからね。にしても、まさかあそこまでド下手とは思わなかったけどさぁ。つか、そもそもセンスないよ? 君。
ベースの演奏がどうこうってより、君がステージに立っててもなんかキモくね?って笑えるわ。お笑いのほうが向いてんじゃね?」
霧島は、ぷっ、アハハ!と一人で笑い、俺の肩をバンバン叩いて去っていった。
その場に、俺は立ち尽くすことしかできなかった。
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