第二話「初めての脱走」

2-1

 時刻は深夜。夜の寮内は、驚くほど静かだった。累は足音を立てないよう、慎重な足取りで廊下を歩いていく。


 先刻真咲から、学園内を一通り案内された。この施設は恐ろしく広大な敷地内に、学び舎やグラウンドの他、生徒用の寮や食堂、さらには簡単な遊戯場まで完備している。

最初は警戒していた累もここが更生施設である事を忘れてしまいそうになったほどだ。

寮では真咲と同室となった。新入生は自分の面倒を見る上級生と同室になる習わしなのだと、真咲は言った。


「夜は10時には消灯するから。それまでは自由にしてなさい」


 抑揚のない声でそれだけ伝え、真咲はベッドに横たわった。その後は死んだのかと思うほど静かに眠り、起きる気配はなかった。

 仕方なく累は周囲を散策しながら時間を潰し、消灯の少し前にベッドへもぐりこんだ。

 そして消灯時間をだいぶ過ぎてから、累は静かに起き上がり、夜目に慣らすように瞬きをしながら部屋の様子を見渡した。


「よし、いくぞ……」


 小さく呟きベッドを降りる。ふと真咲のほうを見てみたが、先ほどとまったく同じ姿勢のまま目を閉じている。少し不安になったが、よく見ると呼吸に合わせてわずかに胸が上下しているのを確認し、累はほっと胸をなでおろし、累は慎重に部屋を出た。


 消灯時間を過ぎた廊下は、非常灯と窓から差し込む月光ががぼんやりと照らすのみで薄暗い。昼間は厳かに見えた白い壁も、月明りで青白く照らし出されなんだか不気味な雰囲気に見える。

 累は薄暗い照明を頼りに、足音を殺しながら長い廊下を歩いて行った。

自由時間である程度ルートは確認している。寮から出た後は物陰に隠れながら敷地の外に出る算段だ。


「この先の階段を降りれば出口だ……」


 小さく呟き、累が暗い階段を降りていくと、急に視界が開けた。

吹き抜けのエントランスが目の前に広がっている。二階まで吹き抜けた天井は高く、入り口側の壁は一面ステンドグラスがはめ込まれ、色とりどりの光が床全体を照らしている。

そして累の視線の先、50メートルほど向こうにはこの寮の大きな扉が固く閉ざされいる。


「よし、ここを抜ければ……!」


 そう呟き、はやる気持ちを抑えながら足音を立てないように出口へ駆け出したその時である。

突然現れた何かに足を取られ、累は大きく前によろめいた。

何とか態勢を立て直し振り返ると、そこには累の動線上に足を出したままの真咲が、月光を受けながら静かに立っていた。


「お前! 寝てたはずじゃ……」

「起きてたわ。目を閉じていただけ」


 相変わらず抑揚なくそう言ったかと思うと、真咲は普段からは想像もできないような早さで累に迫った。累も慌てて身をひるがえそうとしたが、真咲の細い手に捕まったかと思うと、その小さな身体が大きく宙に舞い、次には激しく地面に叩きつけられた。

 背中を強打した痛みと息が詰まった感覚に悶えるが、真咲にがっちりと関節を抑えられ、身動き一つとれない。


「大人しくして。もっと痛くなるだけ」息一つ乱さず真咲が言う。

「深夜の外出は校則違反。でも初回だから、素直に謝れば今回だけは許してあげる」

「誰が謝るかよ! とっとと離せ!」

「そう、わかった」


 真咲はそう呟くと、いつの間に持っていたのが手錠を取り出し、鮮やかな手つきで累を後ろ手に拘束した。


「今夜は反省房で頭を冷やしなさい」


感情のこもらない声とは裏腹に、その細腕にどこにそんな力があるのか、累を強引に持ち上げ両腕でしっかりと抱えて持った。そう、所謂「お姫様抱っこ」というやつだ。

累の顔が一気に真咲の顔に接近する。持ち上げられた勢いで真咲の髪が揺れ、そこから妖しげで甘い香りが漂ってきた。


「な……!きもちわりぃ! 離せ! このっ!!」

「暴れると落とすから、おとなしくして」


 累は身をよじってなんとか抜け出そうとしたが、それ以上の力で真咲は累の身体をがっちりと捉えて離さない。

必死の抵抗もむなしく、累は真咲に抱きかかえられたまま、夜の寮内へ連れ戻された。

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