1-4

「大丈夫?」


 突然の声に、累は顔を上げた。

 目の前には濃い鳶色の穏やかな視線が心配そうにこちらを見つめている。

「どうかしたの? 具合でも悪い?」累が答えないのが不安になったのか、続けて問われる。

 顔立ちはどこか儚げな女性のように見えるが、透き通る声は成人した男性のそれだ。見れば服装も自分と同じく白紺のセーラードレス、彼はこの学園の乙子おとこなのだろう。


「だ、大丈夫です! ちょっと、休んでただけなんで……」


 累は慌てて自分の顔を隠した。多分人には見せられないひどい顔をしていたと思う。こんな顔を見ず知らずの人間に見られるのは嫌だった。

 目の前の乙子はその様を静かに見つめていたが、やがて自然な動作で累の隣に腰かけた。そして、冷えてしまった累の肩をそっと自分のほうへ抱き寄せた。


「えっ? あ、あの……」

「辛い事があった時は、こうして誰かのぬくもりを感じると楽になるのよ……」


 触れ合う肩からやわらかなぬくもりを感じる。冷えてしまった身体が、肩からじんわりと溶けていくみたいだった。


「温かいです……」

「ええ、そうね」


 湖畔に春の風が吹く。まだ冬の冷たさを孕んだ風は水面をすべり波立たせ、東屋に座る二人の側を静かに通り過ぎていく。

 先ほどまであんなにも冷たかった風は、今は少しも感じられない。まるでやわらかな毛布に包まれているような、穏やかな温かさが肩から全身へ広がっている。

 その心地よいぬくもりを感じながら、累は少しの間だけ心の中の寂しさを、ほんの少しだけ忘れる事ができた。



 それから数刻して、その乙子はそっと累から身体を離した。


「もう大丈夫?」


 そう言って顔を覗き込む。

 瞳と同じ濃い鳶色のセミロングがふわりと揺れる。ところどころカーブがかかっているのは、人工的なものというより、天然のもののように感じる。

 その表情はどこか儚げで、目じりの下がった目元から注がれる眼差しは、抱きしめたくなるような、保護欲を感じさせる。乙子とわかっていても、累は思わずどきっとしてしまった。

「だ、大丈夫です!」顔のほてりを隠すように視線をそらしながら累は言った。


「そう、ならよかった。私、ここでよく読書をしているの。いつもは誰もいないんだけど、今日は来てみたらあなたがいたから、びっくりしちゃった」


 累の様子を気にするでもなく、その乙子は手元を手で押さえながら微笑む。そんな様もびっくりするほど絵になる美しさだった。


「じゃあ、私は行くわね。あなたはもう少し休んでいきなさい」


 そういうと、彼は立ち上がり元来た道に帰ろうとした。


「あ、あの! ありがとうございました!」


 累が慌てて声をかけると、彼は振り返りふわりと、まるで可憐な妖精のような微笑みを浮かべて答えた。


「気にしないで。私は各務かがみ 伊都いと。何かあれば、上級生の教室を訪ねてね」


 伊都はそういうと、柔らかな栗色の髪をなびかせながら、学び舎へ消えていった。

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