1-3

 理事長室から飛び出した累は、校舎の中を一心不乱に走った。やみくもに、無軌道に。

 窓から差し込む陽光は優しくやわらかで、白い壁にうっすらと影を刻み込む。教室の中からも庭園の方からも廊下ですれ違うたくさんの人達も、皆穏やかに笑いあい、楚々として佇まい、互いの貞淑さを確かめ合う。

 ここにいる誰もが、乙子おとこになる事を望んでいる。

 そんなのまっぴらごめんだ! ——累は走った、誰の声も届かないような、静かな場所へ……。

 気がつくと、累は庭園にある東屋まで来ていた。庭園に造られた人口の池、その真ん中に浮かぶ小さな浮島に建てられた東屋は、西洋の神殿をそのまま小さくしたような、どこか厳かな雰囲気があった。

 すっかり息があがってしまった累は、その中に据えられたベンチに座りながらしばし息を整えた。

 ふと自分の姿が目に留まる。

 紺色のセーラー服に身を包んだ自分の躰は、男にしては未成熟なのでそこまで違和感はなかった。

 スカートから伸びる足は引き締まっているが細くしなやかで、そこだけ見れば女と見間違う人もいるだろう。こんな世の中だ、それを喜ぶ奴は大勢いる。

しかし累は、そんな自分の姿にどうしようもない嫌悪感を覚えた。


「なに、やってるんだろう……俺……」


 どうしてこんな事になったのか、累もまだ整理ができないでいた。

 累は地方にある小さな孤児院で育った。そこには男であるだけで捨てられた子供がたくさん集まってきた。累もそんな風に捨てられた子供の一人だ。

 その孤児院は今の時代には珍しく、子供たちの自主性を重んじていた。男として生きる事を肯定し、そのための手助けをする。おかげで累は、自分が男である事に後悔する事も、嘆く事もなかった。

 ある日、数人の大人がやってきて、累を更生施設に預けるようにと言いに来た。彼女たちは国からの指示で、全国の男達の中から適性のある者のみを対象に黒百合学園への入学を呼び掛けているのだという。

 もちろん、呼びかけとは名ばかりで、拒めばあらゆる手を使って対象の周囲に圧力をかけ、対象が入学せざるを得ない状況を作り出す。

 累がこの学園に行く事が決まったあの日も、周囲の人々には皆何がしかの圧力がかかっていた。皆口には出さなくとも、累が学園に行く事を望んでいた。累さえ居なくなれば……——こうして累は、学園に入る事を決めた。自分を育ててくれた孤児院や、助けてくれたたくさんの人を守るために。それでも——。


「俺、ただ男に生まれただけなのに……」


 どうしようもない憤りを抑える事はできなかった。ただ男というだけで、何故こんな思いをしなくてはいけないのか、累はわからなかった。

 走ってかいた汗が下着を濡らし、身体に張り付く感触が気持ち悪い。しかも春先の風にすっかり冷えてしまったため、身体は氷水に浸けられたみたいに冷たく、無意識に身体が震えてしまう。いや、震えているのは果たして寒さのせいなのだろうか。俯いたその表情を伺いみる事はできない。

 ただ、震えを必死に抑えるように両腕を手で押さえながら、累は東屋のベンチでぽつんと一人動けなくなってしまった。

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