両手を挙げて壁際に立ちながら、塩野彰はその集団を観察していた。人数はエレンを含めて十五人。その全員が、特殊部隊のような装備で身を固めていた。その装備も雰囲気も、間違いなく軍隊のそれだった。

(要するに……)

「……あんたらの目的はサメ退治だったってわけだ」

 呟くように彰が言った途端、キッとエレンが睨みつけてきた。その隣に立つ、副官と思われる男の目つきも鋭くなる。だがなぜだろう……男の方は同時に、どこか事態を面白がるような雰囲気が感じられた。厳しく余裕のないエレンとは対照的だ。

「ちょっと塩野さんっ……あんま挑発するような態度とらないで下さいよっ」

 同じく壁際に立った島崎大介が、小声でそう言ってくる。彰と大介の間に立たされた女――筒井麻世は、鼻を啜るばかりだった。

「なぁ……ひょっとしてあのサメ、あんたらが持ち込んだものじゃないだろうな……」

 大介には諫められたが、彰は黙っていられなかった。行方不明の従業員全員があのサメの犠牲になったかはわからない。だが少なくとも三ヶ野虎夫は、彰の目の前でサメに頭を食われて死んだのだ。エレンたちが最初からあのサメのことを明かしていれば、犠牲者は出ずに済んだはずである。それをしなかったということは、秘密裏に行動しなければいけない理由があったということだ。一番考えられるのは……サメがここにいる原因そのものを、こいつらが作ったという可能性だった。

 咎めるような視線を送る彰の前に、エレンが足音高く近づいてくる。間近まで顔を寄せ、エレンは言った。

「私はあのとき、『すべて忘れおけ』と言ったはずだがな」

「すまんね。余計なことばかり覚えちまう頭でな」

「ついでに、余計なことにまで頭が回るようだ」

 彰とエレンは至近距離で睨み合った。エレンの瞳は、彰の内心を読み取ろうとでもするかのように、じっと向けられている。そしてぽつりと、

「……君はさっき、『サメ』と言ったな? 君は『サメ』を見たんだな?」

「はっ? 今更何言ってんだ!」

 確かめるようなエレンの言葉に馬鹿にされたように思い、彰の頭に血が上った。「塩野さんっ」と大介が静止してくるが、もう言葉は止められなかった。

「ああそうだよ! しっかり見たぜ、サメを! でっけえ口のサメが、三ヶ野の頭を食うところを確かにな!」

「……そうか」

 彰の怒声を受け……エレンが踵を返し、離れていった。思わぬことに、「おい!」と彰は怒鳴るが、その声にも振り向かない。エレンが顔を向けたのは、側に立つ副官らしき男にだった。

「伍長、作戦の邪魔になる。護衛をつけて、この三人をホテルの外にまで連れて行け」

「よろしいのでぇ?」

「彼らが見たのは『サメ』だということだ。確かに、私たちが退治するのは『サメ』なのだから、問題あるまい」

「……お優しいことでぇ」

 小声でやり取りをし……伍長と呼ばれた男が彰たちの方を向いた。相変わらず、どこか今の状況を面白がるような、そんな雰囲気が男からは見え隠れしている。その目は粘っこく、嫌らしい。その目を向けられて、彰は得体の知れない気持ち悪さを感じていた。

「では……軍曹殿のご命令ですので、兵も軍曹殿の部下を使わせて頂きますよ?」

「好きにしろ……」

「それでは……ああ、非常に運がいぃ。そっちの道を行けば、安全にここから出られますなぁ!」

 伍長はタブレットに似た機器を操作し、何かを確認すると、エレンの近くにいた兵士二人に顎をしゃくってみせた。兵士二人は一瞬顔を見合わせたが、すぐに頷き、彰たちの方へと近寄ってきた。

「〈こっちだ、着いてこい〉」

 兵士の一人が英語で命令してくる。その横柄な態度に、彰は奥歯を噛みしめる。このまま従うのは癪だったが、抵抗はできなかった。自分一人ならいい。だが、大介や無関係な女を巻き込むわけにはいかなかった。

「くそっ……!」

 せめてもの抵抗とばかりに悪態をつき、彰はエレンを睨みつけた。それだけが、そのときの彰にできることだった。


 ……兵士二人に前後を挟まれて、人気の無い廊下を彰たちは歩いていた。彰の歩く廊下の左側には、中庭を見下ろせる窓が続いている。各所に置かれた常夜灯のお陰で、中庭は夜でも明るい。あくびをかみ殺しながらそこを掃除していた日々が、まるで遠い昔のことのように思えた。

「結局、何もできずじまいか……」

「まぁ、さすがに仕方ないんじゃないっすか? いくらなんでもサメが相手じゃ勝ち目ないっすし、本職らしいあいつらに任せておけばいいっしょ」

 彰がぼやくように呟けば、筒井麻世を挟んで反対側を歩く大介が、疲れた口調でそう言った。手当さえ出せば、たいていの仕事は手伝ってくれる大介も、さすがにサメの相手をするのは真っ平らしい。大介の気持ちも理解できる。確かにサメ相手では、命がいくつあっても足りないだろう。それはわかっているが……それでも彰は納得できなかった。

 エレンたちは人の少ない今晩のうちに、一気にけりをつけるつもりなのだろう。今までとは違う重装備で姿を現したことからもそれがわかる。だが、今までずっと仕留められなかったサメを、一晩でほんとに倒せるものなのだろうか。それに、

(……何だ? 何かが引っ掛かる……)

 エレンが率いる部隊の様子に、どこかおかしいものを感じていた。特に引っ掛かるのは、あの伍長と呼ばれていた男だ。この事態をどこか面白がっているかのような態度。軍隊なのに、上官であるエレンに対しての敬意がまるで感じられないのもおかしかった。それに、エレンの命令を受けて、伍長が出した指示……なぜあの男は、こちらの廊下が安全だとわかったのだろう? 米軍が開発した兵器の中に、サメの居場所を探知するシャークレーダーがあるという噂は聞いたことがあった。もし仮にそれをあの伍長が持ってきていたとして……だったらなぜ、今の今まで問題のサメを見つけられなかったのだろうか?

「……考えすぎは頭髪によくないっすよ」

「……もうどうでもいいからぁ……早くお家帰してよぉ……」

 考え込む彰に対し、大介は嘆息混じりにそう言い、麻世は鼻を啜って泣き言を口にする。

(まぁ、仕方ねぇか……)

 頭を振り、彰も考えを振り捨てた。どのみち今晩はこれ以上、自分にできることはないのだ。サメの件について告発をするにしても、それは明日以降のことだ。

(しかしほんとに、ろくでもない職場だったな)

 彰は今一度中庭を見下ろし……そこに人影を発見した。外国人だろうか? やけに大柄な人間だ。夜は事故を防ぐために、客はプールのある中庭に出ることはできなくなっている。だとすると従業員の誰かか……体格を考えると、エレンのお仲間かもしれなかった。

 その人影は、何やら大きな荷物を引きずっているようだった。自身の身長を超すような大きな何か。ずるずるとそれを引きずって歩き、持ち上げようとしているのか身を屈め、

「――!」

 咄嗟に、彰は大介と麻世を引っ張るようにして後ろに飛び退いていた。後ろを歩いていた兵士が舌打ちをし、三人を押し止めようとするが……次の瞬間起きたことが、その兵士の動きも止めていた。

 中庭に面したガラスが砕け散り、巨大な何かが廊下に飛び込んできた。流線型の巨体。その先の大口が、前を歩いていた兵士の上半身に噛みついた。ぶつんという嫌な音が響いた。悲鳴もなく、兵士の頭が床にころんと落ちる。それと当時に、わずかに残った兵士の足、脛から下の部分がパタンと倒れた。それ以外の兵士の体は、すべてそいつに食われていた。たった一口で食われていた。

 そいつの巨体がどすんと床に落ちる。それは見間違えようもないサメの巨体。前半分は床に横たわり、後ろは緩やかに天井に向かって曲線を描き……そして尾びれの代わりに、人がいた。そう、人だ。異常に発達した筋肉を持つ、上半身が裸の人間。頭髪の代わりに、盛り上がった血管がビクビクと動いている。飛び出た瞳は真っ黒で、感情を感じさせないその目がぎょろりと動き、彰たちの方を見た。

 怖じけたように、彰と大介は、麻世という名の女は、生き残った兵士は、一歩後退った。それを追うように、そいつは体の向きを変えた。

 そして……そいつの人間の口が、雄叫びを上げた。

「シャァァァァァァァァァァァァァク!」

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